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7年目の備忘録

はじめましての方ははじめまして。
そうでない方はお久しぶりです。



さて、今年もこの素敵な企画の季節がやってきたわけだが、相変わらず無策で臨んでいる。
無策どころか、酔った勢いでエントリーし、今そのままの勢いで文章を紡いでいる。

というのも、つい先ほどまで今シーズン7回目の忘年会に出席していたのだ。
おかげで葵ちゃんの生放送も見逃してしまい、ご立腹である。

忘年会も7回目ともなると、もう1回目がどんなものだったのか忘れてしまっている。
確かに幹事をやったはずなのだが、文字通り忘年してしまっているわけだ。
ただ、今年はもう残り2回ほどなので、ずいぶんと気は楽になった。

今日も何とか電車がある時間には解散でき、今は電車の中で眠気に耐えながらこの文章を打っている。
アドカレが更新されなければ、おそらく寝過ごしたということなので、皆さんがこれを読めているということは無事に帰宅できたと思っていただいて大丈夫だ。


酔っぱらうとつい思っていることをつらつらと文字にしたくなる。
酔った勢いで食べたものではなく文字を吐くという、自分の新しい生態を図らずも発見してしまったようだ。


まあそんなわけで、毒にも薬にもならない酔っ払いの戯言に少しばかりお付き合い願いたい。
誤字脱字についてはご容赦。起きて余裕があれば修正しておくことにする。



葵ちゃんがこの世界に降り立ってから、今年でもう7年が経つ。
7年というのはもうものすごい期間だ。


7年前の当時、大人だった私もすっかり大大人になってしまった。
(関係ないけど大大人って書くと王大人みたいだね)


先日友人の結婚式で、7年ぶりに会った同級生がいたが、とっさに名前が出てこなかった。
まあ向こうは向こうで、こちらが名乗っても私のことを思い出せなかったようなので、お互い様かもしれない。

この結婚式の例が適切かはわからないが、それほど7年という時間には重みがある。


それぐらいの長い期間、葵ちゃんは活動を続けてくれており、私たちは葵ちゃんや歌劇団のみんなと共に過ごすことができている。


移り変わりの激しいYoutube業界において、葵ちゃんのような存在は本当に貴重で、一緒に時を積み重ねていけることはありがたい限りだ。



そんな葵ちゃんとの大切な日々のことは何一つ忘れちゃいない、とカッコよく言えればいいのだが、まあ7年もあると実際のところ結構忘れてしまっているものもある。


むかーしにコメントした葵ちゃんの動画からいいね通知が来て、(こんなこと言ったっけなあ・・・)と思ったり、大掃除してたらタンスの奥から「葵」と書かれたハチマキが出てきたり。
(ハチマキは現物見ても思い出せなかったので、調べたらクラウドファンディングの返礼品でした)

まあ人間、大事なものもそうでないものも色々忘れてしまっているものだ。



さて。
「初心忘るべからず」という言葉がある。

今さら説明しなくても皆さん意味は分かると思うが、Aoi ch.の魅力を考えると、未就学児が読んでくれている可能性も捨てきれないので一応説明しておくと「物事を始めたころの純粋な気持ちを忘れてはならない」ということらしい。




葵ちゃんと出会った時の、私の初心とは何だっただろうか。



葵ちゃんの歌が好き。動画が面白い。
そのギャップに心惹かれる。

そんな純粋な「好き」の気持ち。




ふと最近の自身を顧みた時。

初心を忘れてはいなかっただろうか。
そんな疑念にとらわれる。


それは別に葵ちゃんから気持ちが離れたとか、好きじゃなくなったとか、そういうことではない。


むしろその逆と言うべきか。


少し大げさに言うならば、不純に、邪に、不適切に。

好きになりすぎていたというのが正確なのだろう。





少し昔の話をしよう。





かつての私にとって、葵ちゃんは人生になくてはならない存在だった。
暗く沈んだ人生における、希望の光だった。


プライベートでつらいことがあり、落ち込んでいた頃、葵ちゃんに救われた経験が、その時もらった応援が、私の人生に深く根付き、葵ちゃんに恩返しをすること、葵ちゃんを好きでいることが、私が前を向くための原動力となった。

葵ちゃんを応援するために、自分にできる事は何だってした。

ツイートには、RTとリプ、動画には感想をつけ、葵ちゃん主導の企画やファン主導の企画にも参加し、それこそアドカレにも文章を寄稿し、慣れないファンアートにも挑戦しながら、最前線で旗を振り続けた。

旧ファンサイト、新ファンサイトにも参加し、サシトークにファンミなど葵ちゃんを応援する機会、言葉や思いを届ける機会を逃す事はなかった。


当然のことながら、これらは全て自分がやりたいからやっていたことであり、実際その全てがとても楽しく充実した時間だった。

葵ちゃんからの応援をもらって、葵ちゃんにも応援を返して、全力で歌劇団だったあの頃は、とても充実していた。

葵ちゃんを応援することなしに「私」は成り立たないと思っていたし、葵ちゃんからの応援が受け取れなかったら生きていけないとまで思っていた。

私は葵ちゃんからの応援に、葵ちゃんへの応援に、ゆっくりと依存していっていた。





そんな中、2022年。今から2年前。
私の人生に大きな転機が訪れる。

詳細は非常にプライベートなことでもあり、ここでは語れないが、その転機は決して良いことではなかった。


2022年は私にとって人生最大の苦難の年であり、心も体もまずは命を繋いでいくのがやっとのような状態になっていた。


YouTubeやTwitterを開く余裕も気力もわかず、葵ちゃんの応援を受け取れず、葵ちゃんを応援することもできない日々が続いた。


つらく、苦しく、孤独な日々。



そうして、二度と取り返すことのできない沢山のものを失いながら、私は何とかその苦難を乗り越えた。

そう、乗り越えられてしまったのだ。


図らずも葵ちゃんの応援がなくとも、私は前を向き、生きていくことができるということを自分自身で証明してしまったのである。

まぁ普通の人からすれば当たり前の話ではあるのだが、当時の私にとって、この事実はそれなりに衝撃的な出来事だった。



私はもう葵ちゃんが好きではなくなってしまったのか。

あれほど応援がなければ生きていけないと思っていたのに、自分の情熱はその程度のものだったのか。


こんなことではもう葵ちゃんのファンを、歌劇団を名乗れないのではないか。


これまで自分の軸だと思っていたものがぐらつき、そんな自問自答を繰り返す。




そんなある日、一本の動画が届く。

そこに映っていたのは、葵ちゃんの姿。




「あおいんち」というファンサイトがある。


この記事を読んでいるような方はもう当然のように全員ご存じだと思うので、今さらの話にはなってしまうが、その中のプランの一つで、誕生日になると葵ちゃんから動画が届くというものがある。


正直、自分が誕生日であることも、葵ちゃんから動画が届くということも忘れていた。

そう思いながらメールの通知から動画を開く。


他の方にどのような動画が届いているかはわからないし、ここでその詳細をお伝えすることはできないが、その動画には、間違いなく私のためのメッセージが含まれていた。

その月に生まれた誰かのための動画ではなく、「私」のための動画だった。



ああ、そうか。
そういえば、この優しさが、温かさが、葵ちゃんだった。


ずっと私はそんな葵ちゃんが好きだったんだ。
ゆっくりでいいから、一緒に楽しいことを見つけていければいいんだ。


送られてきた動画を見て、私は自然にそう思うことができた。

葵ちゃんがいなくても生きていけるけれど、きっと葵ちゃんといる人生の方が楽しい。

そんな当たり前のことに気がつくのに、ずいぶん時間がかかってしまった。



けれどそれは、当時苦しくて、葵ちゃんがいないとどうしようもなくて、その優しさに、温かさに救われたかつての自分を決して否定するものではない。


あの時の私には葵ちゃんの存在が必要で、もしかしたら葵ちゃんがいないと生きていけないなんてことはなかったのかもしれないけれど、その応援は間違いなく私が前を向くための力となっていた。


かつて、そしてまた再び私が救われたように、今も誰かが葵ちゃんの存在に救われていて、けれどきっと私はもう葵ちゃんに依存しなくても大丈夫になったのだ。

救われたからその恩を返し続けるなんてこともいらないし、葵ちゃんの一挙手一投足を追いかける必要もない。



ただ、葵ちゃんを好きでいること。



彼女の歌が好きだ。
往年の名曲の歌ってみたは心地よく耳に染み渡り、新曲のくじらは繊細な中に雄大な美しさを感じる名曲で何度もリピートしてしまう。

動画とのギャップもその魅力だ。
私は割と食べ物系の動画が好きなので、今年だと1万円で本格ラーメンを作る動画や、直近の甘みの限界を確かめる動画なんかがお気に入りだ。



葵ちゃんが好きで、動画を見ると楽しくて、歌を聴くと元気が出て、楽しそうな姿を見ているとこちらまで笑顔になる。


そんな私の「初心」。



もう忘れてしまわないよう、ここに備忘として記しておこうと思う。





さて、ずっと自分語りだといわれるともうおっしゃる通りで大変申し訳ない限りである。
しかもせっかくの7周年に、こんな湿っぽい文章を書いてしまうのもどうなのだろうか。
もっと文才があればいいのだが、いかんせん地力も練習量も想像力も何もかも足りていないので、ひたすら自分自身を掘り続けることでしか文章を生み出せないという悲しい事情がある。

書いているうちにずいぶんと酔いも醒めてきた気がする。
電車も無事最寄り駅に着いてしまったので、明日の仕事のためにも早く帰って寝なければならない。
明日からもまた日常が始まる。葵ちゃんを好きでいる日常が。
それでは、またどこかで。



本記事は『富士葵ちゃんと振り返る Advent Calendar 2024』に寄稿したものです。
他の記事は力作名作ばかりなので、ぜひご一読をお願いします。


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