今、死を考えているあなたへ

死を考える事は、昼夜を問わず、あなたの脳を絞り上げる。
あなたは今、とても疲弊している。noteという、多くの人間にとって、軽く消化できる娯楽と、しばしの休息を求める場であるにも関わらず、あなたは『死』という文字を見つけてしまうほどに。
あなたの疲弊は、決して、あなたが下等であるが故に、耐え難く感じるのではない。「疲れた」と溢しても恥になる事はない。あなたには大手を振って休息する権利がある。

とまぁまずは、この大前提を伝えなければ、この後の文章で誤解を招いてしまう恐れがあります。
今から書くことは私の事であり、あなたのことではありません。気楽に読んで頂ければとても嬉しいです。

さて、私は自殺するために首を吊りました。
しかし生き残りました。紐の強度を優先しワイヤーを使っために上手く結ぶことができず、輪っかを作るためにネジで止める金具をつかいました。
ちょうどその金具の部分が私の体重に耐えきれなかったようです。生きている者の特権として食べ続けた報いのようにも感じました。

死のうと思った理由は様々ですが、引き金となったのは間違いなくSNSでしょう。
死んでいった人間も生きていた過去があったという事実から目を背け、後出しのように「死ぬほど辛かったのか」と喪に服す人間が実在する事を、初めて理解した出来事があったのです。
辛いならば死んで証明しろと言わんばかりの言葉と、死が人の身に起こる最大の不幸である堅固な常識を前に、死なねば解放されない苦しみを、生きている身で語る事が、彼らの目に如何にうつるかと思うと怖くなりました。
それに自分の外側に言葉をおく無責任こそが、人の痛みに無頓着でいる第一歩にも思えたのです。
死ななければならないと意地になりました。

自殺は失敗に終わりましたが、自殺しようとした事実は残り医療保護の目的で入院することになりました。共同生活というものが苦手というのもありますが、スマホもなければ鉛筆も使えず、一日中外を眺めるしかない生活は非常に辛いものです。
1日でもはやく自由になりたいと、死にたいという臭いものに蓋をしました。結果、治ったふりが上手いだけの人間になりました。

精神疾患の治療は投薬やカウンセリングだけでなく、その後の職業選択やらの面倒も診てくださります。人の精神というものは一つの宇宙でありますから、個人に蓄積された本人すらも自覚することができない情報の数々を紐解く必要があります。
私自身、根っこの部分は解決しているはずにも関わらず、生きたくないという気持ちだけは拭いきれず、続きが気になるアニメや、ハンバーガーの新作や家族など、生きるに足る筈の理由ですら、死なないための抑止力であり足枷に感じてしまうのです。
楽しみすらも疎ましく、楽しんでしまう自分も許せない脳みそになってしまいました。
愛していたはずの家族が、死ねない理由であると、重しく感じては、申し訳なくなるとともに惨めになります。
どうか私は産まれなかったものと消えてしまうことができたらと願わない日はありません。

脳の仕組みがおかしくなったのか、私の性格であるかはもうわからなくなってしまいました。
しかし、私はひとつ自分が救われる瞬間を知りました。
同じく死を考えているあなたに、自分にかけてやりたかった言葉をかけることです。本当に情けない話です。
自分に向かう優しい言葉は全て言い訳に感じてしまい、あなたに対して発散し救われようとしているのです。
私は傷を舐めようと擦り寄る妖怪です。
あなたが生きているだけで、私は救われます。私という足枷のせいにしながら、あなたに生きてほしいのです。
人助けだと思って生きていただけないでしょうか。
本当に申し訳ありません、辛くて辛くて死んだ方がいっそマシだという明日の苦しみをあなたに強いてまで、私は救われようとしています。
明日目が覚めた時は、生きているだけで偉いという綺麗事ではなく、献身という美徳を誇ってください。
もちろん責務と強いて、果たす必要はありません。
あなたが生きている事で救われる妖怪が少なくとも一匹ここにいる事を知って欲しいのです。
どうかよろしくお願いします。
可能な限り生きていただければと思います。
どうか無理のない範囲で


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