全くの素人がスマブラSP一年間本気取り組んでみた。スマブラでお金を稼いだ話。(自分語り編)

6000円。


これは9月中にスマブラだけで稼いだ金額だ。
今日でスマブラを初めて、釜塚ABふらいを初めて、ちょうど一年。
これはすごいことだ。

それに対して出費は。

55,680円。

ハーゲンダッツを賞品にした対抗戦の賞品のハーゲンダッツ代
46,680円
合計120コ分

ファンアートを描いてくれた方への寄付
3回 合計6,000円

スマブラ頑張って配信してる方への投げ銭
3回 合計3,000円

総額55,680円

狂ってるのは俺か、世界のほうか。
いや、俺だね。

俺だけが、間違ってる。



僕がスマブラをする理由はだいたい100コくらいあって。

実はニッチ界隈で有名人だった俺くん。


俺くんは元々別の界隈で活動していた。
めちゃくちゃニッチな界隈だ。

仲間たちと小さな会社を立ち上げてた。
自分達の立ち上げたプロダクトを実際に製品化して販売していた。
製造業ってことになるのかな。

全国展開もしたし、楽天のランキングで一位を取ったりもした。

インフルエンサーとしてはフォロワーも2万5000人以上いて、
雑誌に特集が掲載されたり、
地方のラジオに出たり、
テレビに出るような有名人と絡んだり。

まぁ界隈ではちょっとした有名人だった。(自分で言うのホント反吐がでる。)

俺くんのおしごと!!

業界ではちょっと邪道というか、変わった立ち位置にいた。
俺くんがやっていたお仕事はインフルエンサー業の要素が強かった。

優秀な仲間が商品を作る。
凡人凡夫の俺くんは、自分のブランドのファンを増やす。
ファンの人達に商品をPRする。

僕はそれで良かった。
ファンも喜んでいて、自分の会社のスタッフ10人ちょっとを養って、自分もギリギリ人並みの生活を送る。
完璧だった。

でも、ものを作って販売する、製造業として見れば、
かなり大胆というか、結構 歪な形とも言えた。

このあたりは経営方針であったり、意見が分かれる部分だと今でも思う。

他と違っても別に良くないか?という僕と、
いや、軌道に乗ってるんだ、今 道を正したほうがいいという人と。

自分がやりたいことと、会社の方針が少しづつズレていくのを感じた。
大切にしていた仲間たちとさえ、すれ違っていった。


僕は、精神を病めてしまった。

なんで、働いてんだっけ。

精神を、安定させる薬が、手放せなく、なった。
睡眠薬が、ないと、眠れなく、なった。

薬の量はだいぶ減ったけど、いまだに精神安定剤と睡眠薬を服用している。

ヒモニートになりたかった 学生の俺くん

僕はちょっぴり複雑な家庭で育った。
母親が二人いたり、結構色々だ。(本筋とは違うので割愛)

父親は良い高校、良い大学、良い会社に勤めることを僕に望んだ。

でも、僕はそれが幸せとはこれっぽちも思えなかった。

『で?お前離婚してるやん、子供グレてるやん、俺だけど。
お前はいつも怒ってるやん、幸せに見えんのだが??
それがお前が俺に求めることか??間違ってるよね????
反論あるか????反論無いなら俺の勝ちだが????ん?????』

父親に対して、いつもそう思っていた。
言えなかったが。

だからか、高学歴や高収入、一般的な幸せなんかに興味が持てなかった。

いや、小説に影響されて殺害計画を立てたりするような中二病をこじらせていた僕だ。
単に元々、そういう人間だったのかも知れない。

僕はヒモニートになりたかった。

なんかラクに、なんとなく楽しく、ちょっとお金があればそれで良かった。

適当にお金を吐き出す装置があればいいと思った。

大学生になったころ、僕は会社を作ることをイメージし始めた。

会社を作るなんていうと聞こえが良いけど、結局、みんながポケモン育てるのとおんなじだ。
自分の信じたポケモンが勝てるように育てる、試行錯誤する。

うん、同じだった。
会社を育てるのが、僕は楽しかった。

会社をはじめてからは結局、めちゃくちゃ働いた。
寝る時間なんてなかった。

失敗したり、電気と水道が止まったり、消費者金融でお金を借りたり、
そんなこともあったけど、最終的には軌道に乗って、
人並みの生活がおくれるようになった。

それなりに軌道に乗ってからも、私財をたくさん会社や界隈に投じた。

まぁ、さっき言ったけど、それも壊れてしまう。

最終的に僕は会社をやめることにした。

僕は、孤独になった。

無能の俺くんから、無能の釜塚ABふらいへ。

会社を軌道に乗せたのは本当だ。
でも、僕の能力が高かったか、というとかなり疑問が残る。

これは謙遜ではなく、真実として、事実として、実態として、
他の立ち上げメンバーが優秀だったのだ。

僕に目立った能力は無かった。

強いていうのなら、インターネット、Twitterが好きだったというだけなのだ。

やる気と気合だけはあるTwitter好きの男。

控えめに言って、バケモノの子だった。
残念なことに、信じたくないけど、僕のことだった。

そんなやつが1人になったとて、何も起こるはずもなく。

とにかく、絶望の淵から這い上がりたかった。
そのためにもう一度、努力をし始めた。

と、なればこれも美談になるが、真っ赤なウソだ。
地獄の底に落ちていった、堕落したし、落下したし、脱落した。

1人は、辛かった。
正直、めちゃくちゃさみしかった。

文字通り、死ぬほど孤独だった。
誰かに生きてても良いよって言ってほしかった。

少なくなり続ける貯金を切り崩して、Switchを買った。
現実から逃げるようにして、ゲームを始めた。

風花雪月のシナリオには度肝を抜かれた。

ただ、そんな風に、逃げ続けていた。

去年の10月6日、釜塚ABふらいのTwitterアカウントを開設して、スマブラを始めた。

そんな風に、惰性で始めた。


大きな目標や、夢や、希望なんて、これっぽっちもなかった。

貯金と精神と時間を切り崩しながら逃げ続けてるだけだった。

それでも、さ。

そんな はみ出しものの僕に、スマブラ界隈は、暖かかった。

数カ月間、どのキャラクターも逆VIPだった。
それなのに、対戦相手が見つかった。
めちゃくちゃ丁寧に教えてくれる人だって、いた。
(スクリーンショットをわざわざ取ってくれて、ここがこうだよ!って教えてくれる人がいたのにはマジで恐れ入った、本当にありがたかった。)

嬉しかった。

少しづつ、孤独が紛れるにつれ、
スマブラが競技として好きになり始めていた。

少しづつフォロワーが増えてきた。
少しづつ、なにか自分にできることが無いか、模索し始めた。

釜塚ABふらいが生まれてから一年がたった。
今この瞬間だ。

夢も希望も人脈も才能もない。
お金だって沢山あるわけじゃ無い。


でも、だからって行動しない理由にはなんないよな。
生きてたって、良い、よな。

今、僕は埼玉県熊谷市スマブライベント『スマガヤ』主催者をしてる。
多分、今日もハーゲンダッツやなんやを配りながらスマブラ配信をしてる。

キミも遊びにきてよ。
案外、孤独って倒せるもんだぜ。


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