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SNSとの付き合い方・2

前にも一度、SNSとの付き合い方について記事を書いたことがあるんだけど、SNSの「鍵垢」についてちょっと思うところがあったので書いてみようと思う。
「鍵垢」とは、「”フォロワー以外に自分のアカウントを非公開にする”設定を施したアカウント」のこと。誰が始めたのかわからないけどすっかり一般的になった表現だ。

わたしがこのところ最も使っているSNSは「Bluesky」なのだが、「Bluesky」にはこの「アカウントに鍵をかける」という仕組みが実装されていない。今後も実装される見込みはあまりなさそう。

大規模SNSで有名なXにはもちろんこの「非公開」設定があり、「鍵垢」にして使っている人も少なくないだろう。
実はわたしもXに3つのアカウントを持っていて、3つともTwitterを始めてまもなく用途別に作った。どのアカウントも13年以上使ってきた。
でも最近、そのうち2つには書き込みはおろか、見にいくことすらほぼなくなった。理由はイーロンだ。多くは語らないがマスクだ。
それで今月に入ってその2つのアカウントに鍵をかけた。いずれ削除する予定のアカウントなので、とりあえずの処置として。
鍵垢にするのは初めてではないんだけど、これまでずっと3つとも公開アカウントだったので、一時的とはいえ、思い切った決定ではあった。
なぜなら、わたしは鍵垢はなるべく使わない方針でこの13年SNSをやってきたから。

ちなみに、鍵垢を使う人は友だちも含め、どのSNSにもたくさんいる。
で、ふと、鍵垢を使う理由にはどんなことがあるのだろうと思った。
今回、自分にも明確な理由があって鍵をかけたのだが、理由にはいくつかの種類がありそうだと思った。

SNSで書いた内容を他の人に見られたくないから
この理由が多いのかな、と思う。

  • 人に言いたくないこと

  • ネガティブなこと

  • 個人情報に触れそうなこと

  • 名前は出さずとも明確に思い浮かべている誰かに対する苦言・悪口・陰口

生きていれば、溜まった鬱憤をわーっと吐き出したいこともあるだろう。発散したい気持ちはわかる。
だけど大ぴらに書いてしまうには気が引けるから、鍵をかける。
自分が許可した人だけの空間にすることで、通りすがりの他人からネガティブなリプを送りつけられたり、赤の他人に拡散され炎上してしまうなんてことも回避できる。
見られると思うと書きたいことが書けない、と思ってしまう人は、鍵垢を選択するのだろう。

SNSを仲間内だけの繋がりにしたいから
気心の知れた友だちとの会話のためだけにそのアカウントを使う人もいると思う。
一つ目の理由とも近い気がする。
リアルで友だちとおしゃべりするように、SNSでも仲の良い人だけと交流したいという人は一定数いると思う。
そういう人はインターネット上にいる不特定多数の「他人」に介入してほしくないという気持ちが強いと思うので、結果、鍵をかけるのだと思う。

リアルな自分を知らない人とだけ交流したいから
SNSを日常の自分とは違う自分でいるための場所にする人もいる。
仕事や学校の知り合いとは繋がりたくない、とか、特定の趣味趣向を身近な人には知られたくないというケースもこの理由に当てはまるかもしれない。
リアルな自分と全く違う自分をどの程度使い分けられるかにもよるけど、異なる世界が広がるのは面白いことだと思うので、この理由もありだと思う。

そもそもSNSで本名じゃなくペンネームを使う時点で「知られたくない」気持ちは誰にでもあるかもとは思う。個人情報だし。

ここまで3つ理由を書いたけど、わたしの理由はこれらともちょっと違う。

SNSを使った迷惑行為からアカウントを守るため
これがわたしが自分の2つの放置アカウントに対し鍵をかけるという設定を選択した理由。
いわゆるスパム行為やなりすまし、アカウント乗っ取り、乗っ取ったアカウントを使った迷惑行為などに利用されないようにするため、削除するまでの間、非公開にしたかったのだ。
完全に守れる保証はないけど、放置はできないので。

ちなみに、なぜ鍵垢をなるべく使わない方針なのかというと、発信するときに「見られる」意識を失わないため。
SNSで自分が書いたこと・発した言葉は一人歩きする。わたしを離れてインターネットの海の向こうに出て行ったっきり戻ってこない。誰かに二次利用されることもある。面白おかしく書いたことが誰かを傷つけていないとは言い切れない。
自分の発信には可能な限り責任を持とうね、と自分に意識させるため、鍵を使わないようにしている。
そういう意識がないよりはある方がいいと思っているから。

はるか昔にやっていたHPの掲示板(懐!)に憧れの漫画家さんの編集者の方が書いてくれたメッセージを今でもわたしは大事に心に留めている。

「こちらの掲示板に集まる方たちはみなさん、根拠のない情報に惑わされることなくうちの漫画家を応援してくださっているので、これからもどうぞよろしくお願いします」

これを見たわたしの心の第一声は「み、見られてた!!!!!!(大汗)」
そう。まだ日本のインターネット人口が15%くらいだった頃に、まさか見られてるとは思わんじゃん???(2022年は85%だそう)
この「見られてる」という感覚は今でも鮮明に覚えている。
むしろ、今みたいなSNS全盛期だからこそ、この感覚を忘れてはダメなんだと思う。

たぶんわたしは今後もインターネットなしの生活はできないと思うので、SNSも使っていくつもり。使っていくつもりなので、発信する内容は気をつけようと思う。(たいして誰も見ていない、と思うようなビュー数だとしても)

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