『アイドルホース列伝 超』執筆裏話④ トランセンド編
はじめに
今回は、小川隆行・ウマフリ『アイドルホース列伝 超 1949-2024』(星海社、2024年)において私が担当した競走馬列伝の中から、トランセンド(225頁)の執筆の裏話をお届けします。
1.執筆まで
私はダート競馬が好きです。小さい頃『みどりのマキバオー』のサトミアマゾンが好きだった、というのもあり、中央馬と地方馬が入り乱れて争うダート競馬には独特の魅力を感じています。そういう訳で、今回も執筆希望を出す際にダート馬を多めに入れていました。結果としてゴールドアリュールとトランセンドという2頭を担当させていただくことになり、大変光栄に思いました。
特にトランセンドは『ウマ娘』への登場で大きな話題になっていたところ。この馬の魅力が伝わるような列伝を書くべく、気合を入れてプロット作成に入りました。
2.プロット作成
『アイドルホース列伝 超』掲載の各列伝を執筆するに当たっては、『ウマフリ』の緒方きしん代表に多くのご助力をいただきました。その中でも最も緒方代表と構成についてやり取りしたのがトランセンド列伝でした。
最初に取り掛かったのは、トランセンドの「ハイライト」となるレースはどれなのかを選定する作業。まず浮かぶのはヴィクトワールピサとの日本馬ワンツーを飾ったドバイワールドカップですが、2着に敗けたレースを「ハイライト」と言って良いものか、迷うところです。ジャパンカップダート連覇の偉業も印象的ですが、2年分のレースを1ページでまとめると、薄くなるような気がしました。私のライターとしての力量不足ですが…。
一方で、私にはトランセンドの「ハイライト」の描き方として腹案がありました。東京競馬場で行われた、マイルチャンピオンシップ南部杯を取り上げることです。2011年当時、地方のJpnⅠレースまでは追いかけていなかった私ですが、この時は府中でのレース開催ということでテレビ中継を観ていた記憶があり、耳慣れないファンファーレとトランセンドの強さが印象に残っています。
このレースは異例づくめ。NARの岩手競馬を代表するJpnⅠがJRAの東京競馬場で復興支援競走として行われた一戦。印象に残っていたファンファーレも、岩手競馬のものを使用したのでした。そしてトランセンドはこの年のフェブラリーステークスも勝っており、「春秋東京ダートマイルGⅠ級競走連覇」というおそらく空前絶後の記録を達成しました。この異例のレースを「2011年の日本競馬を象徴する一戦」として描くことで、トランセンドを唯一無二の競走馬として伝えることができるのではないだろうか。そのような考えが私には浮かんでいました。
しかし、デアリングハートの時と同様に、編集の意図とはズレているだろうな、とも分析していました。「アイドルホース」=「ファンの多い馬」と位置づけるなら、トランセンドのファンが大きく増えたレースと推測される、ドバイWCかJCダートを選ぶことが適切だと思うからです。しかし、「アイドル」を原義である「偶像」という視点から考える、という私の方針からすると、トランセンドを一つの「象徴」として描ける南部杯を取り上げるべきだろう、と思い直しました。
案の定、『ウマフリ』の緒方きしん代表に南部杯を取り上げるプロットについてご相談したところ「レース選定の根拠が欲しい」とオーダーを受けました。そこで、この南部杯が異例のレースだったことを説明し、トランセンドが南部杯を勝ったことの意義を伝えたいという考えを伝えると、即日方向性にゴーサインをくださいました。ここで緒方代表に「否」と言われていたら、最悪執筆断念まであったかも知れません。このプロット作成までの過程が本列伝執筆における一番の難所だったと思います。
3.執筆
プロット自体は緒方代表とのやり取りで大分固まっていましたので、ゴーサインから執筆着手まではスムーズでした。しかし、ここで問題になったのが、「南部杯1レースを取り上げるだけでも1頁を余裕で超過する」ということです。
前述したように2011年の南部杯は異例ずくめのレース。レースが東京競馬場で行われた経緯について、当時を知らない読者の方々にも分かりやすく説明しなければなりません。その上トランセンドの臨戦過程についても説明したいし、後日譚としてJCダート連覇も言及しておきたいし…となると、全く紙幅が足りませんでした。
結果として、「経緯説明を優先してトランセンド自身のレースについては思い切って略す」という最終判断に至るまでに二転三転しました。この最終判断にも自信はなく、他の列伝と同時に入稿したものの、この列伝だけは書き直しの可能性があるな、と思いながら送信したことを覚えています。
結果としてほぼ修正なしで掲載になりました。もしかすると他の列伝よりも修正が少なかったくらいかも知れません。私の伝えたいことを汲んでいただけたのかな、と胸をなでおろしました。苦労した分、自分のライター人生においても思い出に残る執筆作業です。