重ね合わせともつれ

バス乗り場に向かうまで30分程余裕があるので、これを書く。

今日は朝ホテルをチェックアウトした後、タクシーに乗って茶畑へ向かった。そのタクシーの中でふと考えた。繋がるって受動的な行為なんだろうか、それとも能動的なのだろうか。昨日も今日も色んな人と話した。タクシーの運転手、トイレの前に座ってたおばちゃん、一緒のバスだった二人組、みんな違う訛りの英語を話す人たちで、コミュニケーションをとるのがすごく難しい。
でも、相手が誰であれ、人と話すと心が少し熱くなる気がする。

こうやって人と繋がれたのは、一人で旅行に来る、色んなアクセントの英語で話すという自分の能動的なアクションがあったからに違いない。けれども、そこにその人たちがいることは自分ではどうすることもできない、受動的なものでもあると思う。
とすると、繋がるとは受動と能動のどちらでもあるのだろう。
どのアクションを誰の立場から見るのかが、受動か能動かを決定するのか。
重ね合わせともつれ、アインシュタインに聞いてみたいものだ。

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