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人間万事塞翁が馬

今回のリハビリで感じたことが2つあるので今日はそれを話そうかなと思います。

一つ目は

「同じように何かで苦しんでいる人に対する気持ち」

カターレ富山で同時期に前十字靭帯を怪我していた2人(柳下選手、ガブリエル選手)とチームがキャンプに行っている時から「しんどいな~」と時に愚痴を吐きながら3人でリハビリをしていたわけなんですが……

自分のリハビリがうまくいっていない一方で、同時期の似たような怪我の2人が順調に復帰へと近づいていくと、自然と「なんで自分は」という焦りとか悔しさとは少し違う悪い側面が顔を出してくるんです。苦楽を共にしたリハビリ仲間の復帰を喜ぶ気持ちもあるんですが、やっぱり自分は弱い人間でたびたび顔を出す悪な部分をなんとか隠そうと余裕のない状態でした。

そんな中、練習後のジョギング中に同じチームののぶくん(椎名選手)が僕のその心境を見透かしたようにボソッと言ったんです。

「自分のことのように喜んであげなきゃ」

図星すぎて心の中で苦笑いしたのを覚えてます。
たぶん椎名選手は僕よりも長期離脱を何度も乗り越えてきているからその中で僕と同じように複雑な気持ちを感じたこともあるんじゃないかなと思います。だからこそ、僕にそう言ってくれたんじゃないかなと思います。もしかしたら、僕は顔に出やすいタイプだから顔に出ていたのかも。

この日を境に毎晩どうすれば心の底から”ライバルであり仲間”の少し難しい存在であるチームメイトの成功を自分のことのように喜べるのだろうかと考えていたんですが、どうやらみんな同じような試練が与えられているという認識が邪魔していることに気づきました。

ある記事での一希君(深井選手)の

「一人ひとり与えられた道がある」

という言葉を見て、ハッとなりました。

僕は前十字も膝蓋腱も同じ長期離脱というくくりの敵という認識で、その敵に打ち勝ち復帰した二人と全く勝てない自分。そこに劣等感を抱いているから心底喜べなかったんだと思います。

強烈な競争社会にいると、向き合うべき相手はいつも自分自身なはずなのに、だれかとの比較でしか自分を見つめられなくなる。ほかの人を見たって、その人の苦労や努力が見えることは少なく、結果の部分ばかりが目に入る。そりゃそうです。みんな人に見えないところで死ぬほど頑張っているはずです。そんな誰かの成功と勝ち目のない比較を続けてるとやがて自分を信じることができなくなり、うまくいかないのは自分以外の何かのせいだと悪魔が登場します。これに飲み込まれたらそれが最後です。


僕の場合、それを”一人ひとり違う敵と戦っている”という風に考えるだけで簡単に比較することがなくなりました。そうするだけで、あの人は強敵を倒したぞ!じゃおれはどうなんだと自分に発破をかけるようになりました。
それ以来、ニュースを見て、いろんなところでいろんな人がいろんな強敵と今まさに戦っていると思うと自分も頑張ろうと心の底から思えるんです。

このマインドはサッカーだけでなく人生のいろんな場面で大切にしていこうと思います。

二つ目は

「苦しい時は人と話す」

僕はもともと悩みや苦しい状況を人に話すタイプではなかったです。
なぜかと言われるとはっきりと自分でも分かりませんが、これまでは何か壁にぶつかっても最終的には自分自身の心がYESと言うのかNOと言うのかという究極の2択になる。
それならば、むしろ周りの声が雑音になると思っていたんだと思います。勉強にしてもサッカーにしても恋愛にしても、自分が後悔するかしないかを考えればYESかNOか、答えはすぐでるものでした。必要なのは後悔しない道をすすむ勇気だけです。

これは後付けですが、これまでの悩みはそんなに悩んでいなかったんだなと思います。というのも、今回のリハビリで悩むこともできないというところまできました。

膝回りの怪我でオペをすると、大腿四頭筋の筋肉がガクッと落ちます。
そこを中心にリハビリで戻していくわけなんですが、痛みと相談しながらメニューや負荷、回数を決めていきます。
例えば、片足スクワットをするとして、
痛みが強いなら自重で20回
痛みが少ないなら5キロの重りをもって10回
おおざっぱですがこんな感じで、できることを少しずつという感じです。

毎日1回2回3回……20回と顔をしかめながら声をあげながらひたすら筋肉が戻ってくるのを信じて耐えていました。

ただ、本来ならもっと動けているはずの時期に、いつまでたっても自重ですら痛みがある状態が続く期間がありました。体感ではかなり長く。
膝が少しずつ回復している感覚はなく…筋肉が戻ってくる感覚もなく…
その時は毎日、同じ時間に同じくらいの回数同じくらいの痛みに耐えるだけの日々です。

モチベーション動画や同期(松岡選手)や後輩(安光選手)に強めに発破をかけてもらって何とか一日一日を乗り越えてはいましたが、僕にとって、進展の見えないリハビリが相手では付け焼き刃にすぎなかったです。

一度、”心が完全に折れました”

朝起きて今日も少しでも前に進もうとトレーニングルームにいっても、気づいたらボーっとしてる、筋トレのセットの合間にぼーっとしてる。食事中もボーっとしてる。すべての行動に意味を感じない。頭が働かなく、何で悩んでいるのかすらわからない。感情の波がほとんどなくなりました。
ただ一つ、一人になると「あぁ、終わったんだ」と選手としての道が途絶えたんだと勝手に絶望している。そんな状態でした。

ちょうどその時期に人間の本能なのか運なのか
・小・中とお世話になった恩師から連絡が来たり
・友人に電話したり
自分のことをよく知る人と話すときに、自然と今自分やばかもしれないと話すようになったんです。なんで話そうと思ったかは全く覚えてないです。防衛本能なんですかね。

でも、話したその一瞬だけ深呼吸しているような感覚があって、冷静になれるんです。そう繰り返し誰かと話していると、相手に説明するために今自分がどんな状況で何が必要なのか冷静に考えて言葉にする必要がありました。すると少しずつ魂が戻ってきました。

自分の辛いことを打ち明けるのは、たとえ友人や家族であっても簡単なことではないかもしれませんが、言葉にすること・誰かに説明することで自分自身の現状を認め、するべきことやできそうなことを失意の中の自分(どんな人)でもわかるように整えることができるんですね。今更ですが、そんなことに気づかされました。

おまけ
ちょうど人に悩みを打ち明け始めたころに、どんなに眠くても”朝日をあびに外に行く”ということをやり始めました。言葉で説明できませんがめちゃめちゃいいです。ネガティブな感情を吹き飛ばしてくれます。気分転換にぜひ。

苦労は人に話すと安っぽく見えますが、今回はお許しを。
長くなりましたが、現場からは以上です。

#亀は亀
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