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相対主義を乗り越えるための思考展開

 私は相対主義といった冷めた価値観を超え、毎日生き生きと過ごしていくために、正直さ、謙虚さを大切にしていきたいと考える。なぜなら、それが他者の価値観を受け入れる姿勢であり、それを忘れてはならないからだ。確かに、相対主義的立場に立つと、個人の生き方は人間社会において、完全に正当化することはできないという諦めがつく。そのために周りの生き方を侵害しないような独立を守ろうとすると視野の狭い思い込みになってしまいがちだ。これではこれから生きていく上での目的意識が途絶えてしまう。つまらない生き方になってしまうのは相対主義を乗り越えられないことが原因のひとつとなっている。これを打開するための思考展開を、最近読んだ漫画を例示として説明したいと思う。
〇「ビースターズ」
 まず、個人の生き方は正当化できないために周りの生き方を侵害しないような独立を守ろうとすると社会は閉鎖的でキレイゴトの裏に、様々な悪行が横行する世の中になってしまう。この漫画も最初はそんな世の中が描かれていた。そこでは草食動物と肉食動物が人間的な価値観と生活スタイルをもっていて、彼らは本来食べて食べられる関係にもあらず共生することができていた。この社会を成り立たせるためにはまず肉食動物が欲望を取り押さえながら動物の肉ではない他の食料で食欲を満たさなければならなかった。これだけみると肉食の本能をコントロールすれば世の中共生関係を維持できるのではと思われる。
 しかし、そう上手くいかず複雑な問題が漫画の中で起きていた。肉食動物は本来の欲望を満たすために表社会の裏で草食動物の肉を食らって、いわゆる裏市と呼ばれる存在を社会全体がひた隠していた。そもそも人間社会を投影しながら、動物の根源的で強力な本能も持ち合わせている個人を認めるとしたら社会の不具合が何かしら起きるのは目に見えている。人間であっても身体的な感覚は感性に大きな影響を与えているのだから、その身体感覚の相いれなさは周りとすれ違いをおこす要因になるだろう。これを動物の本能に置き換えるならば周りとの協調を果たすために強力な不快状態に陥る代償が生まれてしまうのは必然である。
 この理想と現実が大きく隔たれた社会の中で草食と肉食が建前なく手を取り合えるような関係を築き上げた者たちがいた。その中の一人がハイイロオオカミのレゴシである。まず、人物紹介からいくとレゴシは性格が落ち着いていて、権力や暴力とは程遠い生活を送っている。肉食動物らしからぬ性格であったため、レゴシの価値観に個人的興味を抱いた。
 ある日、レゴシが真夜中に部活動の練習を行っていた時のことであった。学校を一人でうろついていると突然肉食の本能が強力に目覚めて近くにいた小さなうさぎの生徒を食べそうになっていた。飲み込んでしまう寸前に正気を取り戻すことができたが、その日からレゴシ自身は食肉本能に向き合わなければならない肉食動物の一員だとする自覚が生まれた。その上、色々な出来事が相まってレゴシ自身は一度食べそうになったそのうさぎの生徒に対して個人的な恋心を抱くようになっていった。このようなレゴシの顛末は、一見するととても理解不能で矛盾に満ちているだろう。
 しかし、そもそも他の肉食動物たちもまた、草食動物に対して惹かれる気持ちをもっているたため共生関係になったというこの世界線上の歴史があった。まず、草食動物は肉食動物にはない、集団で助け合って生きていく才能に長けていた。肉食動物は時に自分勝手に生きる面があるという自己認識、自己内省からか草食の内面の気高さや美しさに惹かれて見倣いたいというリスペクトの気持ちが生まれていた。これはレゴシのように身体感覚の違いを受け止めながら、それでも草食動物と関わり合いたいという相反するふたつの心が彼らの中にあるから生じた関係性であった。ただ、食物連鎖上の関係が生まれながら違うため、すれ違いや衝突が起こる。
 この現実を前にして、肉食動物の本能と向き合い、建前なしで共生していく生き方を初めて貫ぬくことができたのがレゴシであった。人間社会でも、人種や民族の差異によって差別意識が生まれている。これは分かり合えない苦しみから逃れ、価値観をすり合わせることを鼻からはあきらめていることが要因の一つになるだろう。確かにレイシズムの立場でみてみると、生まれや血縁によって国家に役立つ存在になるか、反社会的な組織に染まってしまうかが決まってしまうように見えるかもしれない。
 しかし、人間社会の営みを振り返ると立場を違うもの同士、価値観をすり合わせながら生きていくことの繰り返しで歴史的に成功していると通観できるため、閉鎖による平和は幻想に過ぎないと考えられる。閉鎖的な関係を個人的にも社会的にも超えていけるように、レゴシが身体感覚の違いを超えて草食を愛することができた例をフィクションではあるが参考にしたい。周りの価値観を認め合える見方を持つために、分かり合えない苦しみよりも他者の生き方をかけがえのない存在として愛でる気持ちを強く持つことが大切なのではないだろうか。レゴシのように生来の正直さ、謙虚さを大切にしてきたからこそ、建前のない関係性を築いていけたのではないだろうか。
〈参考文献〉
佐藤岳詩(2021)「倫理の問題」とは何か〜メタ倫理学から考える〜
板垣巴留 (2016)BEASTARS

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