センスじゃなくて鍛錬、しかも具体的な

Xデザイン学校「ラピッドプロトタイピングブートキャンプ」
2回目の感想。

並行しているベーシックコースではまっている迷路のヒントになりそう。

「センスがないからアイデアが出せないのではない」

「アイデアを問われたときにサッと引き出せる鍛錬が足りないだけ」

講師の倉光さんがおっしゃった言葉。
文章以外で「センスがあるね」と言われたことがどんなに思い出しても皆無な人間には希望になる言葉だ。

一方で、このパターンの指摘って他の職業でも聞く。

生まれ持ったもののせいではなく、努力の仕方の問題。
課題だと思っている場所が違っていて、だから解決方法を誤解している。

私はデザインは猛烈門外漢だったから、この課題の場所や努力の仕方が、本当に本当にわからなかった。
「とりあえずスケッチブックを買って絵でも描くか?」くらいは痛い迷走をした。

今日の講座で、具体的なヒントがわかって、本当にエウレーカ。
つまりは、頭の使い方の練習量の差。
抽象と具体を行き来する練習量の差。
それをなんのアウトプットにいかすのかは職能で違うけど、根本は同じでは。

なので冒頭のセリフは「あなたは鍛錬していますか?(これからしますか?)」という単純な意志の問題として跳ね返ってくる。

授業後のフリー質問で、倉光さんに「引き出しを増やすために普段心がけていることは」と素人丸出しの質問をしてみた。

聞いた内容がとてもいいなあと思ったので、メモ代わりに書いておく。

「新しいものを面白がって、積極的に触る」
「新サービスとか海外も含めて情報を浴びるようにしている」
「新しい情報が集まるアカウントをフォローしたり、新しいもの好きな人のおすすめを聞いたり」
「新しいサービスを見たときは、これって何の課題を解決しようとしているんだろう?と考える」
「人間の感情の揺れってある程度普遍的で、年齢関係ないこともある。これは若者にも使えるんじゃないかとか、考える」

私はデザイナーではないし、今後もデザインをメイン業務にする予定もない。
でもやはりこの話は、全社会人に共通すると思う。

普段情報に触れるときに、なーんも考えずに受け流すか、都度観察、分解、抽象化を試みるか。
この積み重ねが「鍛錬」という言葉で表れている。

すごい人って、その人の「できること」だけに目が向きがちだけど、「どうやってできるようになったのか」にこそ、学ぶべきヒントがあるのかもしれない。

「万全の体制でスタートできることはない」

「リサーチの時間が足りないことを言い訳にしない」

これもいい言葉だった。
会社の愚痴ばかり言っ人のせいにするのもおなじ。
十分な資源と十分な時間がある環境など、この世に存在しない。
その中でどうやるか。

今日の講座ではかなり短い時間で個々の作業をこなしていった。
それはあえてで、それくらい時間を区切ることで、瞬発力を鍛えるという狙い。

確かに、「時間をたくさん与えられたらうまくできます」って「兵隊を100万人与えられたら1万人の敵に勝てます」って言ってるようなもんだもんな。誰だってできるし、そんなラッキーは起きない。

「効率よくやる」はよく言うけれど、「早くできる」っていろんな能力を含んだ概念なんだなあ。
瞬発力っていい言葉だなあ。

「ほしいものは、作ればいい」

この精神は私の人生にほぼなかったな。
字を書くだけだったもんなあ。
できることが増えるのは、単純に楽しい。

今回figma講座を申し込んだのは、「やりたいけれど、独学のエネルギーがない」という意思の弱さから。お金を払って場所を作って追い込めば、いやでも学ぶだろう作戦だった。今のところ大正解。

ベーシックコースがベーシックだけど私にはレベルが高いので、こういう噛み砕ける内容で自己肯定感を高めていくのも大事だな。

ということで。
2回目にして、ようやくこの講座のタイトルの意味をちゃんと理解した。

「ラピッド」な「プロトタイピング」の精神を叩き込む「ブートキャンプ」確かに。

次の課題は復習と鍛錬の継続。
継続しないと、鍛錬じゃなくて、体験。

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