デザイン雑談:水晶宮/万博の建築について
水晶宮は、1851年のロンドンのハイドパークで開催された第1回万国博覧会の会場として建設された。大きさは長さ563m幅 124mの約7万㎡で、特筆すべきはこれをわずか9か月で完成させたことである。設計者のジョセフ・パクストン(1803-1865)は、庭師からスタートし大温室の改良の経験を積んで、この世紀の大建築を成功させた。建築部材の徹底したプレファブ化と、建設工程の合理化によって短期間の工事を可能にした。しかも驚くべきは、この水晶宮は移設可能であって、600万人を集めた140日の会期の終了後に、1854年にはロンドン郊外にスケールを大きくして移設・再建され、1936年に火災で全焼するまで残っていたのである。
この水晶宮を皮切りに、例えばパリのグランパレ(1900年)やニューヨークのペンステーション(1910年)のように、多くの鉄骨とガラスによる大空間が建設されたが、それらは、ボザール様式の大空間を巨大スケールの鉄骨造で実現したものであって、水晶宮のような繊細で軽快な構造ではなかったのである。もちろん移設可能ではなかった。
博覧会などでの暫定的な建築は当然、移設可能な建築とすべきであろう。まして持続可能だとか、エコだのSDGsだのが口先だけでも叫ばれている今日の万博において、よもや移設可能で再利用できる建築以外のものが許されるとは、到底私には信じられない。79億で契約されたと聞く大阪万博の日本館ははたしてどうか。もし水晶宮のような移設可能な建築であれば、その後も利用できるから、工事費をリース化して回収できるのではないだろうか。この素晴らしいアイディアをぜひ採用していただきたい。
いつのころから、万博が新奇をてらった珍建築の住宅展示場のようになったのであろうか。もういちど原点に戻って、水晶宮のような大展示場のなかにそれぞれのブースを設ける形式にしたほうが、CO2削減になるのではないだろうか。どうせ、VRとかがメインになって、実際の空間にデザイン性とか差異性とかはそれほど求められないし、そんなすぐ壊される建築を意気揚々と作るアーキテクトは、エコロジカルな良心がとがめないのだろうか。
相変わらずの作り捨て建築になるであろう、今度の万博に参加するアーキテクト諸君!二度とエコだとか環境だとかをくちにしないでくれ。
とはいうものの、「人類の進歩と調和」なんか何も信じていないと公言しつつ、しっかりと万博の大屋根設計に参加し、それで疲れ切ってしまったと告白した磯崎新のように、自らの主義や思想、主体性を微妙にずらして、二枚舌の第3者的な語り口によって、主義主張ではなく、何よりも作品を作る事を第一義とできるのが、一流のアーキテクトなのかもしれない。あらゆる言辞を弄しても、作ることが大義なのだ。
青山高校生だった私は、ムードとしての反体制に流されて、万博は決然として見に行かなかったが、あとで友人の建築家に聞いたら、万博を見たことが建築設計を志望した動機であったらしい。そんな意味でも、自分はちゃんとしたアーキテクトにはなりきれなかったと反省している。
余談だが、水晶宮のような繊細で軽快な大空間の構造がふたたび建築史のメインに登場するのは、1967年のモントリオール万博のアメリカ館のエキスポドームであろうか。バックミンスター・フラーによるジオテックドームである。同じ年に東京サマーランドのプールも完成しているが、実はこれも技術史的に結構凄いことだと思う。1970年の大阪万博のお祭り広場よりずっと優れていた。
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