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菅井汲と飯田善国

「本は読まない。自分と違う意見は疲れるし、同じなら読む必要はない。」
(菅井汲「一億人から離れてたつ」(1982年現代企画室刊)より)
 菅井汲(1919-1996)は、明快な色彩と形態で構成される絵画・版画作品で知られますが、その思想、発言、生き方のスタイルも単純化されていて、スカッとします。ステーキにも味をつけずに、毎日同じメニューを、朝昼晩365日20年間食べ続けたとか、総入れ歯を作るときに、歯の溝のない全部がつるっと一枚の歯になっている入れ歯をオーダーしたが、歯医者が気持ち悪がって作ってくれなかったとか、痛快なエピソードがあります。
 スピード狂であった菅井は1967年首の骨を折る半死半生の大事故をおこし、運転していたポルシェは鉄の塊になりました。2か月間意識不明ののち奇跡的に手術に成功し生還したのち、再びポルシェを注文したそうです。事故の1年後、当時ドイツで彫刻を作っていた飯田善国(1923-2006)は、パリに住む菅井に夕食を招かれて、最新の黄色のポルシェが門の前に置かれているのを見ています。

 菅井との対話について語る飯田善国の文章がまた素晴らしいので引用します。事故の傷跡がのこる菅井をみて、
「だが、傷々しさが強い意志の岩盤に乗っかった草むらのようなものであるとき、意地の布地が持続する志を包むやわらかい表皮であるとき、孤独が日常のコーヒーである男にとって、肉体の不幸はむしろ一つの啓示ではなかっただろうか?
「200キロのスピードでポルシェが畑の黒土の上を数百回転してひと握りの鉄の塊となるまでの数秒間、この人は、純粋空間の運動そのものと化していたのであり、つまり、時間そのものと化していたのだから、恐怖などという人間的感情の入る余地はまったくなかったわけだ。」
「そう考えて、この人の、自分の不幸をまるで他人事のように語る乾いた男らしさの秘密が判ったような気がした。
 小さな肉体に
 強い魂が宿るとき・・・・

「そうだ。小さな肉体に強い魂が宿るとき、爽やかさが生まれる。だがその爽やかさは孤独に押しつぶされそうだ。苦しそうだ。苦しそうだが、爽やかだ。しっかりと存在している。一人の男が・・・。孤独な男が・・・。世界の真ん中に。」
飯田善国「見えない彫刻」1977年小沢書店p179)
飯田の文章は、どれも硬質ですが、それでいて詩情にあふれた甘さのようなものがあって、なんども繰り返し読んで書き留めていました。なぜかこんな切り抜きが残っていました。
「夢を失うのはたやすい。だけど、深い夢を育てることのできる人間だけが、現実と最後まで闘えるのだということを決して忘れないで欲しい。」
「ー21世紀への手紙ー」(飯田善国:1978年8月6日、ヤクルトジョアの新聞広告)


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