神戸の電車男?No.7
病床での生活
手術後は背骨の骨折のため寝たきりの生活だった。
友達が見舞いに来てくれた時冗談で
「俺、寝たきり老人ならぬ、寝たきり盲人になってしもたで~」
なんて話していた。
ベッドの上半身を起こす角度も15度に制限されていたので食事は看護士さんにスプーンで口に運んでもらわなければならなかったし……。
「あ~ん」
ってな風に若いお姉ちゃんに食事を食べさせてもらえるのだから、これはまだ楽しい体験だったが、不愉快だったのが排尿は管で取られ、排便はおむつの中にせねばならなかったことだ。
(あかちゃんは、こんな不愉快な感覚でおむつに排便しているのか?)
と思った。
それにしても見ず知らずの患者の排尿排便の世話までせねばならないのだから、看護士さんの仕事って凄い仕事だし、無条件で尊敬できる仕事だ。
蛇足になるけれど、看護士さんと患者でロマンスが生まれるなんてのは、小説だとか、アダルトビデオの類の中だけのことのように思えた。
下の世話までさせていては、どんな口説き文句を並べても、目の前のお姉ちゃんを口説けそうにない。
少なくとも私の実力では……。
病室では、お見舞いに来てくれた方と話しをしたり、警察の事情聴取があったり…、と慌ただしく過ごした。
それ以外の時は、弟が買ってくれたポータブルのDVDプレイヤーでDVDを観たりテレビを観たりして、暇な時間を過ごした。
2005年7月28日、N救命救急センターからYキリスト教病院へ転院した。
転院後は、ベッドの上半身を30度まで起こせるようになり食事も寝たきりの人が食べやすいように工夫された物を自分で食べられるようになった。
寝たきりの人用の食事って?という疑問に少し答えてみよう。
ご飯はおにぎりになっていて、手で持って食べられるように工夫されているし、おかずは一口大に小さく切って爪楊枝で食べられるように工夫されているのだ。
食事の他にもベッドからお尻を少し持ち上げることができるようになり、ポータブル便器をお尻の下に挟み込んで排便できるようになった。
おむつにしてしまうしか術が無かった不快感から解放された。
尿道の管も抜け、尿器に自分で取れるようにもなった。
さらには、30度まで上半身を起こせることでオーバーテーブルに置いたパソコンを使えるようになり、久しぶりに友達からのMailを読んだり、こちらからMailを書いたりネットで調べ物をしたりできるようになった。
寝たきりになってみるとネットを使えることで広がる外界との繋がりを強く感じられた。
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