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音楽との思い出話

家系的に音楽一家だ、というわけではないが音楽が好き。

親父はサザンが好きだけど、カラオケは得意はじゃない。桑田さん独特のタメを真似しようとしてどんどんテンポがズレていく。おかんはユーミンやピンクレディーが好きだが、どーにも歌は得意ではないし僕が子どもの頃は謎のオリジナルソングをよく歌っていた。

歌が上手とかそういうのは抜きにして、共通しているのは「音楽が好き・楽しんでいる」という事。数年前にも夫婦でサザンのライブに行ってたな。その血はしっかり継いでいる。音楽はウキウキわくわくを与えてくれる。マジリスペクト。

僕はといえば、気づけばプレイヤーとしてステージに立っていた。終演後のビールは格別だった。客としてライブに参戦してグチャグチャになる事もある。グチャグチャになった後のビールはこれもまた最高だ。

僕の音楽との思い出をツラツラと。思った以上に長くなったぞ。
誰が興味あんねん!!という話なので流し読みでどうぞ。

幼少期

一番古い記憶から遡ってみる。

お遊戯会でノリノリだったのは写真やビデオで見た。あの頃からステージに上がるの好きだったのか?たぬきの格好でお尻をふりふりしていた。可愛いぜ。俺。

我が家の正月は近くの弥山に登ってお参りして初日の出を見る、という習慣があったのだが、帰り道に姉となぜか「ズルい女」を歩くリズムに合わせて大熱唱しながら坂道を下っていた。

キャンプに行くと、永遠とサザンを聞かされていた。カセットテープで聞いていたから、A面とB面が切り替わる時に曲が止まってしまっていた。切り替わりの位置も覚えてる。海でキャンプしながら聞くサザンは、子どもながらに気持ちの良いものだと感じていたような。愛の言霊の最後のラップを必死に覚えた。わ〜れはエ〜ロティカ〜セブ〜ン♪も歌ってたな。ええのかあの曲を子どもに聞かせて。

親父は昔から新しい物好きで、特にコンピューターの進化には大注目していた。インターネットに一番に飛びつき、新しいソフトをすぐに買って嬉しそうに遊んだり、一太郎を駆使して年賀状を作っていた。裏面はプリントゴッコを使った。

僕はいつもフライトシュミレーターやシムシティなどのゲームで遊んでいた。ある日部屋から音楽が聞こえるので見に行くと、「パソコンでカラオケができるぞ〜!」と大ボリュームで親父が嬉しそうに流していた。ちゃんとパソコンに接続できるマイクを買って握りしめていた父。確か金色のマイク。なぜその色にした。好きな事に対する熱量はすごい。

パソコンカラオケで一番覚えているのは、桑田さんの「祭りのあと」

「悪さしながら男なら 粋で優しい馬鹿でいろ」
最高である。

小・中学生時代

小学校の高学年あたりから、姉がCDレンタルをしてきてCDを焼く、という技を父から教わってバンバン作ってくれた。だんだんと自分が聞きたい、好きな曲も出てきた。

初めて買ったCDはいまいち覚えていないが、「めざせポケモンマスター」か「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント」のどちらかだった気がする。カップリングの「おやすみ ぼくのピカチュウ」は名曲である。

いろんなJ-POPを聞いていたが、中でもハマったのはB’z。金銀のベストアルバム「Pleasure」「Treasure」はめっちゃくちゃ聞いた。恋心(KOI GOKORO)を聞きながらキュンキュンしていた。どちらかというとTreasure派だった。

初めて自ら上がったステージ
中二の時、中学校の文化祭に出演したのをよく覚えている。姉に一緒に出ようと言われて、渋々だったがやってみようと思った。小学生の頃はとっても恥ずかしがり屋だった。これがきっかけで一皮むけた。
当時はまだ楽器は何もできず、偽物のギターを持ってステージに立った。曲は19。もちろん流行りの紙ヒコーキ。

家で姉と2人で歌の練習をみっちり。姉がけんじで僕がケイゴ。ハモろう!と言われたけどもそんな事やった事ない。姉はエレクトーンを習っていたので、メロディを弾きながら教えてくれた。ハモるとは、なんてわかるはずもなくとにかく言われた通り練習していた。

演出も頑張った。紙吹雪を入れた風船を5個くらい並べて浮かばせて、曲の最後で針付きの紙ヒコーキを飛ばして割ろう!!!!という物。危ねぇよ。しかし意外と成功したような覚えがある。客席に普通の紙ヒコーキも飛ばしたんじゃなかったっけ?なんにせよ、すごく楽しかった。歌が上手ね、とたくさん褒められて嬉しかった。来年はギターを弾けるようになって出たいな、とぼんやり思った。

ギターを始める
19を歌った中二の文化祭の少し前だったかな。ばあちゃんちの倉庫の整理中にアコースティックギターが出てきた。
その頃はとにかく「ゆず」にハマっていた。
近所のおじさんに弦の張り方とチューニング、Fの押さえ方だけ教わって、あとは独学でTAB譜を見ながら毎日毎日弾いていた。初めて上手に弾けた曲は、ゆずの「ところで」。この曲のコードはG,D,Em,Cの4つだけ。Fが無いから頑張れた。

ギターを始めた理由はただ弾きたいという憧れもあったけど、やはり楽器を始める理由と言ったらこれだろう。モテたい。実際ちょっとモテた。

中三。中学校最後の文化祭で、友達と数名でステージに立った。毎日放課後、調理実習室で練習していた。
文化祭ではもちろんゆずの曲を。「いつか」「傍観者」「友達の唄」だったかな?すっかりFを抑える事もできていた。がんばった!
昔の悠仁のちょっと荒い歌い方に憧れて真似してたら、音楽の先生に「その歌い方は喉痛めるよ!」って注意されたのめっちゃ覚えてるな。

姉に友達の誕生日に唄を送りたいから、げん!ギターを弾いてくれ!と頼まれた事もあった。これまた2人でゆずを歌った。「贈る詩」というバースデーソング。名曲である。

自分の思い通りに音を出せるのがとにかく楽しかった。倉庫から出てきてくれてありがとう。

高専時代

高専時代にがっつりハマったのは、いわゆる青春パンク。
「GOING STEADY」「銀杏BOYZ」「ガガガSP」「175R」「太陽族」「セックスマシーン」「STANCE PUNKS」「THE STAND UP」などなど。
真っ青な青春ど真ん中。

寮住まいだったので友達とよくCDやMDの貸し借りをしていたから、相変わらずJ-POPは色々と聞いた。アジアンカンフージェネレーション。なんてふざけた名前なんだ!と笑っていた。

この頃からミスチルにどっぷりハマり、同時にGLAYも好きだった。誘惑とか最高なんだけど、アルバムでは「ONE LOVE」は名盤である。

バンドも始めた。確か高二。青春パンクのコピーバンドだった。寮で一緒だったゆず好きの友達に誘ってもらった。もちろんモテたいからだが、今回はあまりモテなかった。甘かったぜ。
ギターをしながらベースも触り、ドラムも楽しそうだったので教えてもらった。
初めての学校外でのライブは全曲コピーで、対バンも友達の身内企画。ぼくの事を知っている人は想像もできないかもしれないが、上裸でギターを弾き倒し叫びまくっていた。若気の至りである。

そのバンドが解散した後、同じテニス部の先輩にバンドをしないかと誘われた。ベース担当の先輩が卒業するから、その後釜でやらない?と。
オリジナルの曲をやっているバンドで、ベース初心者には大変だったけど楽しくて仕方なかった。
岩国から広島にライブをしに行くだけで一大事。遠征だと喜んでいた。レコーディングも初めて経験した。憧れのバンドやかっこいいライバル、たくさんの人と出会うことができた。小さい頃、人見知りで恥ずかしがりだった自分はもういなかった。

学園祭のカラオケ大会にも出た。友達と一緒にHYを歌ったり、1人でミスチルを歌った。友達がペアでアカペラを披露し、優勝した。カラオケじゃねーじゃん!とツッコミは出たけど、2人は校内で可愛いと有名&引くほど上手だったので良し!という事にした。その時の学祭実行委員長は僕です。ノリで決めましたすみませんでした。

旅館に泊まり込みでバイトに行った事があるの。そこでミスチル好きのお姉さんと出会った。歌詞の意味や面白さを教えてくれた。ライブのビデオやDVDもたくさん見せてくれた。お姉さんは、一緒にバイトをしていたあの子に片思いをしていたぼくの相談を聞いてくれて、背中を押しまくってくれた。その恋は実らなかったけど、甘酸っぱいってこういう事かな、という思い出。

大阪時代

大阪に出てしばらく聞いていたのはELLEGARDENかもしれない。人生初ダイブは幕張メッセのエルレだった。「Pizza Man」だったと思う。ハイすぎて記憶が曖昧。
20代青春おセンチど真ん中。me me sheかったぼくは、RADWIMPSにもハマっていた。9月になるたびに、「September 9th」とか「セプテンバーさん」とか言ってた。mixiで。

大阪でもバンドをした。パートはドラム。専門学校で出会った友人たちに、ドラム素人なのに誘ってもらった。元バンドメンバーは、今でも一番の友人達。
バンド時代に出会ったたくさんのインディーズバンドも大好きだ。今でも頑張ってるバンドを見るととっても嬉しい。全力リスペクト。もっと売れてくれ!!

この頃に妻とも出会い、あまり聞いてこなかったジュディマリ、椎名林檎、洋楽などたくさん教えてくれた。中でも、ももクロちゃんは妻の影響。

自分が心斎橋でライブがある日に、「三角公園のところでももクロの無料ライブがあるから見に行って!」と彼女(妻)から連絡が来た。リハーサル終わりに見に行ったらすごい人だかり。お客さんは全員カラフル。
なんじゃこれ?とウロウロしてたらビラ配りしていたのでゲット。モーレツのリリースイベントだった。ももかはインフルエンザでお休みの4人編成だった。
仕事中の妻に写メを送ったら大興奮。今思えばめちゃくちゃレアな機会だった。当時のセットリスト探そっと。ちなみに黄色のしおりん推しの箱推しです。


そういえば妻にとても嬉しい一言を貰ったのを覚えている。
何の話をしてた時だったか「げんちゃんが勧めてくれる音楽は信頼できる。」と言ってくれた。
確かに思ってみれば、Wienners、チャラン・ポ・ランタンも気にいってくれて、すっかり彼女もファンになった。フェスに行けばメインステージではなく、小さいテントでセックスマシーンで一緒にWOW!WOW!と叫ぶ。まんまとハマってくれた。スーパー肯定感を生み出してくれてセンキュー。

仕事をしながらラジオを聴く機会が増えて、FM802をたくさん聞いた。ラジオの良さを再確認した。毎年春のキャンペーンソングが楽しみだった。栞がすごく好き。

フェスにもたくさん出かけた。有名アーティストを生で見る機会が増えた。平井堅には感動した。Superflyは最強。チャットモンチーは素晴らしいの一言。四星球には何度も笑い泣きさせられた。
友達と行くフェスもいいが、行った先で1人でフラフラするのも好き。知らないアーティストが発掘できる。

とにかくWienners聞いてくれ。

ここ最近

沖縄に来たからと言って、残念ながら三線を弾き始めてはいない。
DIAMANTESは最高だから全員聞いて欲しい。オリオンビールとよく合う。要チェック。
最近ハマったのはCreepy Nuts。フェロモンプンプンである。
話題の髭男も素晴らしい。カラオケ行きたい。グッバイ!ってやりたい。
ヤバいTシャツ屋さんも大好き。沖縄のライブに行けてめちゃんこ楽しかった。


音楽を掘り下げることは少ないけど、毛嫌いせず広く聞いてる方だとは思う。
掘り下げてとても詳しい人はすごいな〜と思うけど、残念ながらそんな探究心は持ち合わせてない。広く浅くが悪い事じゃないし。
良いものを良い!と言える素直な気持ちは忘れずに、音楽とこれからも付き合っていけたら良いな。

とりあえず、これから産まれてくる子どもとのセッションを夢にしよう。
おもちゃのドラム買ってあげよう。女の子ドラマーかっこいいよね。


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