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原神で学ぶ古人のことば

はじめに

 原神ではキャラクターの台詞やテキスト内に、古人の残したことば、つまり故事成語や詩歌などを典拠とする言い回しが多く見られます。これは中国が歴史的に見て文学や思想に重きを置いてきた国であることが、理由の一つとして挙げられるでしょう。それらを上手い具合に台詞やテキストに溶け込ませることで、話の説得力をあげたり、話す者の権威や格調高さを示したり、世界観の構築の一助となりえます。

 この記事は、原神にちりばめられた古人のことばを、いくつか巡ってみようという試みです。中には有名なものや、私が過去に呟いた事柄もあり、既に知っているということもありましょうが、興味があればお付き合いください。

(サムネイルは公式動画「歳華に流れる彩り」より)

鍾離 〜花と酒を手に〜

 皆さん大好き鍾離先生の待機ボイスに以下のものがあります。 

花と酒を手に景色を堪能しようとしたが、あの頃とはもう違う。旧友とまた…。

 この台詞は、劉過(りゅう か)という800年ほど前に生きた詞人が作った詞が元になっています。いま詞人と書きましたが、これは別に詩人の誤記ではありません。詩と詞は別物なのです。詞とは歌曲の一種で、既定の曲調に合わせて歌詞を作るものです。中国の宋(そう)の時代に流行りました。

 既定の曲調を詞牌(しはい)と言うのですが、いくつか種類があり、その中の「唐多令(とうたれい)」というものをベースに作った劉過の詞が以下のものです。

蘆葉滿汀洲 寒沙帶淺流
二十年 重過南樓
柳下繋舟猶未穩 能幾日 又中秋

黄鶴斷磯頭 故人今在不
舊江山 渾是新愁
欲買桂花同載酒 終不是 少年遊
劉過「唐多令」

 一番下の行に注目してください。「欲買桂花同載酒 終不是 少年遊」というのは、「桂花(けいか=キンモクセイの花)を買い、酒の宴を開こうとしたが、若き日のそれとはもう違う。」という意味です。

 少し前に「故人今在不(古き友は今もいるのか)」と憂いているように、かつての旧友がいなくなり、あの頃と同じように宴を催して語り合うことができないことへの悲哀が描かれています。

 鍾離のボイステキストを原文でみてみると、詞と同じ言い回しが使われているのが分かりますね。

鍾離プロフィール、ボイス「世間話・過去を懐かしむ」(繁体中文)

 単語レベルで見ると、故人という言葉も使われています。日本ではもっぱら亡くなった人という意味で使いますが、ここでは古くからの友人という意味です。鍾離もまた、かつての戦争で共闘した仲間がほとんどいなくなっており、その哀愁の念は原詞と重なるところがあります。

鍾離 〜我が心石に匪ず〜

 これは公式が2022年1月25日、Twitterにて鍾離のミニイラストとともに呟いたものです。皆さんは覚えていますか?

原神公式Twitterより

 鍾離の台詞と思しき文の中に、「我が心石に匪ず、転ず可からず。(わがこころ いしにあらず、てんずべからず。)」とあります。これは中国最古の詩集『詩経(しきょう)』を典拠としています。

 その詩経に「邶風(はいふう)・柏舟(はくしゅう)」という詩があります。これは、衛国(えいこく)の邶という地域の、柏舟という詩という意味です。長いので全文は載せませんが、その中に以下の句があります。

我心匪石 不可轉也
我心匪席 不可卷也
『詩経』邶風・柏舟より抜粋

 一部を新字体に改めて書き下すと「我が心 石に匪(あら)ず、転ずべからざるなり。我が心 席(むしろ)に匪ず、巻くべからざるなり。」となります。

 「私の心は石ではないから、(石のように)転がすことはできない。私の心は席(むしろ=敷き物)ではないから、(敷き物のように)巻くことはできない。」という意味です。意志の固さをいう表現で、要するに「揺らぐことなし」ということです。

 ちなみに、これに由来する熟語として、ゆるがない意志を意味する「匪石(ひせき)」があり、鍾離の伝説任務第二幕のタイトルにもなっています。公式のツイートはこれを踏まえたものでしょう。

旅行日誌より

 ツイートでは直前で「世の中は予測がつかない」と言っていますから、「世の中は無常で、その変化は予測することができないが、我が心だけは決して変わることがない。」という意味合いでしょう。かっこよすぎか。

行秋 〜大勢で薪を拾えば〜

 今年は二回目の海灯祭が催されましたが、前回から一新されて、璃月のプレイアブルキャラが勢揃いでしたね。

 さて、任務の中で、花火泥棒の犯人である宝盗団を捕らえて、行秋の元へ連行した場面がありました。その際に行秋がこんな台詞を言っていました。

 これは単に行秋がその場の思い付きでそれらしい例えを出したのではなく、以下の中国のことわざを元にした言い回しです。

衆人拾柴火焰高
(zhòngrén shí chái huǒyàn gāo)

 日本風に読むなら「衆人(しゅうじん)柴(しば)を拾えば、火焰(かえん)高し」とでもなりましょうか。「衆人」は多くの人という意味です。「柴」は薪(まき)と同じと考えてください。多くの人が薪を拾えば火は高くなると言っています。要するに、みんなで力を合わせて適切に仕事をすれば、より優れた結果が得られるよということです。

 行秋は読書家ですから、ことわざを交えて話すのが様になっていますね。

刻晴 〜白駒の隙を〜

 刻晴の去年の誕生日メールのタイトルでこんなものがありました。

刻晴誕生日メール

 「白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如し」と書かれています。原文では「白駒過隙」となっているのですが、これは中国の思想家荘周(そう しゅう)が著した『荘子(そうし)』の記述に因んだことばです。『荘子』の知北遊(ちほくゆう)の篇に以下のことばがあります。

人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已。
『荘子』知北遊より

 書き下すと、「人の天地の間に生くるは、白駒の郤(げき)を過ぐるが若(ごと)く、忽然(こつぜん)たるのみ。」となります。「郤」は「隙」と同義です。人がこの天地の間(=世の中)に生きているのは、白馬が物の隙間をさっと過ぎ去るように、ほんの一瞬のことでしかないという意味です。まあ長い歴史の中で見れば、人の一生なんて米粒同然ですからね。

 刻晴もメールの中で「日々が充実するのはいいこと」「時間は誰かのために止まってはくれない」と連ねていて、短いからこそ精一杯やることをやろうという気概が見て取れます。キャラクター実践紹介で言っていた「時間は有限よ」というやつですね。

 またこの言葉は多少形を変えて、『史記』においても「如白駒過隙」という形で登場します。メールの文言の一致具合で言うと『史記』なんですが、『荘子』の方が時代が早いので、こちらを元ネタとしておきます。

珊瑚宮心海 〜月舟霧渚〜

 珊瑚宮心海の命ノ星座3凸目に「月舟霧渚(げっしゅうむしょ)」というものがあります。

珊瑚宮心海 命ノ星座 第3重

 この四字は、日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』を典拠としています。稲妻のキャラなので、しっかり日本の古典から取ってきています。さすミホ。

 述べたように漢詩集なのですが、この中に収められている文武(もんむ)天皇の「詠月(えいげつ)」という詩があります。

月舟移霧渚 楓檝泛霞浜
台上澄流耀 酒中沈去輪
水下斜陰砕 樹除秋光新
獨以星間鏡 還浮雲漢津
『懐風藻』文武天皇・詠月

 一句目が命ノ星座の由来になっている箇所です。二句目と対句になっているので合わせて書き下すと、「月舟(げっしゅう)霧渚(むしょ)に移り、楓檝(ふうしゅう)霞浜(かひん)に泛(うか)ぶ。」となります。

 「月舟」は月を、夜空に浮かぶ舟に見立てた表現です。それが霧の渚へ移ってゆき、楓の檝(かじ=舟をこぐアレ)は霞の浜に浮かんでいる。何とも神秘的な表現です。全文の簡単な意味合いが知りたい方は、この記事で後述する参考Webページの、大谷歩氏の論文をご覧ください。

風の行方 〜九仞の功〜

 少し前にかくれんぼイベント「風の行方」が開催されましたが、かくれんぼが終わった後、それぞれの功績に応じて称号がもらえました。「最後まで抗う」とか「油断大敵」とかです。その中で異彩を放っていたものがありました。

風の行方、結果画面より

 この「九仞(きゅうじん)の功(こう)」です。「仞」は高さの単位ということだけ知っておいて下さい。これは中国の『書経(しょきょう)』という経典が元になっています。『書経』の旅獒(りょごう)という篇の最後の方に以下のようにあります。

不矜細行、終累大德。
爲山九仞、功虧一簣。
『書経』旅獒より

 一部を新字体に改めて書き下すと、「細行を矜(つつし)まざれば、終に大徳を累(わずら)わす。山を為(つく)ること九仞、功を一簣(いっき)に虧(か)く。」となります。

 「小さなことだと思って油断していると、結果大きなものを失うことになってしまう。九仞もの高い山を作る時、最後に一回だけ簣(=土とかを入れて運ぶ用具)の土を盛れば完成というところで、やめてしまっては意味がない。」ということです。

 かくれんぼで言うと、レンジャー側(逃げる側)で最後に捕まってしまった際の称号ですので、運営が言いたいのは、「よし逃げ切ったと思って油断しなさんな」ということでしょう。そんな些細な失敗を、運営は古典をもって戒めてきます。

おわりに

 以上、六つの例を紹介しました。万葉や雷電将軍の和歌など他にもたくさんあると思いますが、今回はここまで。原神を遊んでいて、この言い回しひょっとして…というものがあれば、もしかしたらそれは古人の意志が宿ったことばかもしれません。

[参考文献・Webページ]
安藤信廣『中国文学の歴史 古代から唐宋まで』, 東方書店, 2021年
石川忠久『詩経』, 興学社, 1984年
大谷歩「月の船 —漢語と和語の交流の場をめぐって—」(http://www.lib.meiji.ac.jp/howto/application/MS2014_kou_06_04.pdf  閲覧日:2022年2月22日)
「中國哲學書電子化計劃」(https://ctext.org/zh  閲覧日:2022年2月22日)

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