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アウトサイダーアートというものをご存じ?

こういうものがあったとは我が意を得たり笑

アウトサイダー・アート(英: outsider art)とは、特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいう。アウトサイダー・アートを作る芸術家をアウトサイダー・アーティストというのだそうだ。

私からすれば本来の芸術というものは名声を得たいとか

そういうものとは真逆のものではないかと思う。

しかもアウトサイダーという響きがたまならい。

アウトレイジでは本物っぽいし。


概要編集

フランス人画家・ジャン・デュビュッフェがつくったフランス語「アール・ブリュット(Art Brut、「生(なま、き)の芸術」)」を、イギリス人著述家・ロジャー・カーディナルが「アウトサイダー・アート(英: outsider art)」と英語表現に訳し替えた。

特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。なお、デュビュッフェの作品をアール・ブリュットに含める場合もある。

アウトサイダー・アートは絵画や彫刻だけでなく、服飾、映像、文学、音楽などとしても現れる。また、ある種のインスタレーションや建築、庭園など作品というより空間の形態を取ることもある(visionary environment、ヴィジョナリー・エンヴァイアランメント、幻視的空間)。

デュビュッフェが1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットには、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」と書かれている。


ここでも芸術的訓練を受けていない

知識に汚されていない創造性の源泉からほとばしる‥と説明されている。

創造性の源泉からといっても

芸術や表現があくまでも人を核にするときには

なんらかの影響をうけざるえないことは論を待たないが

それでも創造性の源泉から

「ほとばしる」ものには魂が躍動するものだ。


評価編集

シュヴァルの理想宮、ヴィジョナリー・エンヴァイアランメントの例

デュビュッフェ自身は知的障害者が描いたものとは一切言っていないが、狭義にはそういった障害者の作品を指していうことがままあり、一般的にもアウトサイダーアートというと知的障害者、精神障害者あるいは精神病患者が精神病院内におけるアートセラピー(芸術療法、クリエイティヴ・セラピーの一種)などで描いた絵画と思われがちである。しかし必ずしもそうではなく、芸術作品で生計を立てたり、既存の団体に発表することなく、独学で孤独に作品を作り続けた人達、刑務所などで初めて絵画に取り組んだ人達などの作品も含むのが本来の意味であるという。

私も刑務所にはずいぶんお世話になったものだ。

考えてみれば私も刑務所で独学しながら書や詩作をしたものだ。

刑務所で芸術的に開花される人間は思ったより多い。

それは絶対的な孤独と暇が生み出す産物だが

考えてみれば娑婆にいる芸術家なども

孤独や暇がなければ作品は創作できないだろう。

だから孤独な者たちは喜ばなければいけない。

この孤独の静寂は孤独感をただの寂しさと言い換えるような

安直で世俗的ものではない。

しかし、障がい者の芸術作品を取り上げる場合に「アウトサイダー」と表現してしまうと、障がい者に対しての差別的な言葉であるという非難されることも往々にある。また、アウトサイダー・アートを安直に精神障がい者のアートとしてしまうことは本来の意図からしても外れてしまっているわけである。その代わり今日では、そういったさまざまな障害を持った人たちの作品を「エイブル・アート」[「ワンダー・アート」「ボーダーレス・アート」という呼称で、社会につながりを持つための手がかりとして支援しようとする動きがある。日本では、トヨタ自動車などがその最大のスポンサーとして活動している。

なお、いわばこちら側の視点であちら側の「芸術」を評価しているという構造自体がおかしい、と現在の「評価方法」の根本に疑問を呈する論者もいる。

まあこのことは確かにその通りなんだが。

人間なんてものは所詮こちら側の視点であちら側を覗くことしかできない。

それを資本家と真の芸術なんて分けて考える思考自体が

私からすれば空虚で意味をなさない。

金を出したけりゃ大いに結構。

ただその餌の匂いに期待を込めてしまうパブロフの犬のような芸術家の

精神構造に批判をあてるべきだろうと思ったりするが如何なものか。

但しこれはアウトサイダー・アートの価値自体を認めないという立場ではなく、プリミティブ・アートに対する西欧(文明)からの評価に対する批判と同じ視点である。

この記事の画像は私の4年前の作品

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