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表現者として

私は元極道であるが、もし仮に極道をしていなかったら

もしかすると表現する仕事などにたずさわっていたかもしれない。

もし仮にという表現はなんとも陳腐な言葉ということはもちろん

理解した上での話だ。

確かな記憶にはないが私自身がまだ十代の頃。

そう。まだ私の親父が生きてた時代だ。

シャイで酒を飲めば気難しい話が好きで、最初の飲み始めはいいが

お決まりのオリオンビールを5本空ける頃には

もう眼がすわっている。爆発寸前だ。

この爆弾はどういう爆発するかわからない怖さがあった。

不確定だが、およそは怒り狂い暴れるというものだ。

なにに怒っているのかは、まるで検討もつかないから

対処の使用もない。

まったくお手上げの状態だ。

私が幼い頃には親父が暴れ狂うと家族でよく逃げた。

だから私は戦争体験はないけれど、報道で流れるような

イスラエル軍の空襲爆撃に避難する人々の気持ちが痛いほど理解できる。

私の場合は避難キャンプよりはグレードの高い

看板が剥がれかけたカーモーテルだったが。

避難してても「なぜか」親父が避難所まで追いかけてくるようで怖かった

親父の酒乱ぶりは本当に半端なかった。。

沖縄は酒癖の悪い人間の宝庫だと私は考えたりしているが

そういう私も酒癖は良い方ではないと思う。

親父までではないにせよ。

親父は酔うと決まって生まれ故郷の読谷の話しをよくしてた。

哀愁とかそういう類のものではない。

親父自身の両親の罵詈雑言を吐いた。

そして爆発前には包丁を探しながら

両親を殺しに行くと騒ぎだす。

運よく事には至らなかったが何度か警察にパクラレ拘留されてた。

そんな親父が以前言ったことがある。

なにを言うかと思えば‥

「若い頃に人を殺した」というのだ。

しかも包丁でだ。

これは確実に傷害致死とかというレベルではない。

私も十代の頃に人を殺したことがある。

高校2年生の頃の話だ。

ただあくまでも法的には裁かれず、直接殴り殺した比嘉が捕まり

一発で特別少年院行きだった。

この事件は我々の友人同士で起こった哀しい思い出だ。

ぽつぽつと降りしきる雨の中で事件は起こった。

居酒屋で飲んでた友人同士の些細なことからの喧嘩。

私が仲裁に入ったが事は遅し。

でも今考えれば本気で止めようと思えば止めれた。

野次馬がドンドン集まり

「見世物じゃないぞ」と周囲を威圧して

ぐったりした友人を倉庫の裏まで何名かで運んだ。

これは立証されなかったが

悪業三昧をさんざんしてきた今では

「死体遺棄事件」の可能性が残ったりすることがわかる。

もしかすると運んだときは生きてたかもしれない。

運んだ衝撃で死んだ可能性だってある。

いずれにしても無期停学なんていう軽い措置ではすまない事件だった。

だいぶ話しが脱線した。

親父の話しだ。

だから親父が私に「若い頃人を殺した」罪を懺悔したのかはわからない。

そんな親父はタクシー運転手だったが自殺した。

自殺という表現が正しいかは別として。

今ではスーパーになった地元の草むらが生い茂る空き地で

腐っていた。

ミイラというものをリアルに見たのが親父の遺体だった。

そんな親父はタクシー運転手の分際で

カントやニーチェ、フロイト、ユングという哲学、心理学に至るまで

様々なジャンルの本を読んでた。

なかには芸術に関する著書もあった。

私も不良ではあったが

なぜか、そういう本を隠れては読んでいた。

なぜ、隠れて読むかといえば

不良がそういう類の本を読むのは当時はかっこ悪い気がしたからだ。

真面目な奴らがちょうどエロ本を隠れて読むような感じだったりする。

私自身はエロ本などは隠れて読むどころか女の生徒に見せて

嫌がる女子生徒を見て喜んでたくらい馬鹿であった。

話しがずれまくった。

ここに表現する私の一切の表現活動は

そんなものが根底にあったりする。

生と死。ミイラの匂い、友への懺悔、私の血肉となっている

数々の想い出。

正真正銘のあるがままの素っ裸の私。

いや、そうとも言い切れぬが

それでも元極道から僧侶というイメージ像よりは

生ものの私が垣間見えるかもしれない。

それを一番期待したり怖がったりしてるのも私自身だ。

元極道から僧侶というイメージ像はそれはそれでいいけれども

餌をもらうために必死に芸をする

かわいそうなぞうになるのはまっぴらゴメンだ。

私は真摯に私を愛して私を憎んでいたい。




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