ひそやかにしめやかに

4月27日、実家の兄から連絡が入る

『入院してる父の容態がおもわしくない、覚悟しておいて』と。

まだ意識はあるとの事。

病院からは昨今のコロナ事情から常駐NG、及び見舞いは控えるよう指示があった。当然そうだろうなとは思った。

別件の用事があったので実家に状況だけは聞きにいく。この数年、父はパーキンソン病を発症しておりかなり臥せっていた。そこからいろんな症状を併発していた。要介護4まで達していた。

5月2日 23:07頃、『容態が悪化、今すぐ病院へ』と連絡を受け向かう。

23:50頃、病院着。既に息を引き取った後であった。

兄と弟も病院から車で3分の場所だが到着した時には意識はなく5分後に息を引き取ったそうだ。

死因は誤嚥性肺炎。(コロナとは関係無し)

昨今の情勢を考えると病院へ様子見で通えないので最後を看取るというのは難しい。

その後、葬儀屋により我らと一緒に自宅へ帰還。


『おかえり』。


5月3日あらためて葬儀屋と日程をつめて話し合い終了。その後、弟と少し最近の父の話をした際に

「たまに『◯◯さん(母の名前)はどこへいった?』とか言ってる時あったから認知症の発言にも見えるしオカルトにも見えるときがあった」というエピソード…

『◯◯さん』そもそもその呼び方を我らの前でしたことが無かったので驚いた

『母さんorお母さんどこへいった?』なら分かる

※母は2005年に他界。


認知症とかっていう言葉で片付けちゃうとそれまでだが人間というのは死に直面したり体が弱ると生きるためにいろんな脳の引き出しを開けてなんとかしようとするらしい。パーキンソン病の発症は無趣味の人は気を付けた方がいいらしく例外なく父も無趣味であった。そんな無趣味の父が行き着いたのが『◯◯さん』、我らの母というより父の生涯の伴侶との記憶とだったのだろうか?という推測をした。

とたんに罪悪感を感じる。そしてこの15年間辛かっただろうなと…。

前日、5月2日の文化放送の親父パッションで小沢昭一氏の『おもいでのアルバム』がリクエストで流れた事もあり頭でその曲が鳴り響き始めた。とてもめずらしく懐かしいリクエストで夕方前に聞いて頭から離れなかった(♪いつのことだか思い出してごらん… 小学校でよく歌うあの曲)この優しいメロディは自分の両親への思い出というより父が先立った母の思い出を回想してるかのようで胸に刺さった。

5月7日通夜

5月8日告別式

霊界があるとは言えないが父は母に会えたのだろうか。

互いを『◯◯さん』と呼び合い我らの事は一切忘れてよろしくやってくれればいいのだが。その傍らに既に先立っているインコのパールと愛猫チロもいるとよいのだが。

趣味は大事にすべきだ、生きる糧になる。出来ない時は止めてもいい、ただそんな趣味を持っていた事を時々思い出して欲しい、またやりたくなるから。好きな事は健康につながる。


私は元気ですのでご心配なさらずに。そのうち復帰します。


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