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『妻はサバイバー』(永田豊隆/朝日新聞出版)を読み終えて……

【妻は20年間、「緩慢な自殺」を試みていたのだろうか。否。必死で生きようとしていたのだ】
本書を読み終え、タイトル名に納得。冒頭、こう記される――。

<妻に何が起きているのか、理解できなかった。大量の食べ物を意に詰め込む。すべてトイレで吐く。昼となく夜となく、それを繰り返す。彼女が心身に変調をきたしたのは結婚4年目>と。

以来、妻の摂食障害やリストカットやアルコール依存症に振り回される日々――。妻の「私みたいに苦しむ人を減らした」という声に応え、貧困ジャーナリズム賞受賞の朝日新聞記者が2人の悪戦苦闘をありのままに綴っています。
 
過食嘔吐を繰り返す妻に、「早く専門的な治療に取り組まなければ、更に深刻な状態になりかねない」と、精神科を受診するように説得を試みます。
<「このままでは命にかかわる。一緒に受診してみようよ」 しかし、返ってきたのは強烈な拒否反応だった。「鉄格子のついた病院に私を閉じ込めるつもりなの?」(略)妻がたびたび口にした言葉がある。「食べ吐きは、たった一つの私の部屋なの」 つらい気持ちでいっぱいになった時、いつでも逃げ込める。いつでも逃げ込める。そこにいるだけ間だけは安心できる。秘密の場所だから、誰にも立ち入らせない。――摂食障害という疾患は、彼女にとってそんな「部屋」のようなものだという>。
 
この「食べ吐きは、たった一つの私の部屋なの」は、適確な表現ですね。
彼女は、ウルフの本など読んだのでしょうか……。
そして、彼女の成育歴。
 
<父親は期限が悪くなると暴力をふるった。彼女は物心ついたころからいつも顔や体に生傷がたえなかった。母親は見て見ぬふりで「あんたさえいなければ離婚できるのに」と娘を邪魔者あつかいしたという>。

その両親とは、結婚後に関係を断っている……。
 
<もう少し過食代を抑えることができないか。彼女に相談してみたが、逆効果だった。「私のせいであなたを苦しめている」。自分を責め、過食に拍車がかかった>。
うーん……
 
夫は精神科医に、「新婚の頃はあんなに穏やかだった妻が、なぜ、こんなに荒れてしまったのか」と質問。
それに対する答え。「幼い頃から暴力にさらされてきた奥さんは、常に緊張と恐怖のなかで生きてきたでしょう。ところが、永田さんと一緒に暮らすようになって、生まれて初めて安心できる環境におかれたわけです。
言ってみれば、安心して症状を出せるようになった。(略)奥さんはいつも『自分が見捨てられるのではないか』という不安を抱えています。本人は意識していませんが、感情を爆発させるような行動には『夫が自分を見捨てないでいてくれるか』を試す意味があると思います。こうした『試し行動』で安心感が高まるのは一時的。本人の安心感はザルに入っているようなもんもで、溜めても溜めてもすぐになくなってしまいます」。
 
この『試し行動』って、ケアする側は、つらいです……なにせ、“本人の安心感はザル”ですから……
 
<保護室で妻と面会した。6畳ほどの広さ。自殺や自傷を防ぐためベッドとトイレしかない殺風景な部屋だ。トイレに仕切りはなく、便器のそばで食事をとらなければならなかった>。
 
これが、ザ・保護室!
 
<人間はあまりに過酷な体験をした場合、その記憶を封じ込めてしまうことがある。単なる忘却とは違う。自分の心を守るため、耐えられない記憶だけを切り離し、思い出せなくするのだ>。
 
解離とトラウマ。フラッシュバック。
 
<肝機能の状態を示すGOTが3040.その他の数値も軒並み最悪だ。当直医は「命の危険があります」と言う。そして次の言葉に、私は耳を疑った。「この病院では入院できません。今から家に帰って飲まないようにしてください」>。
 
ま、受け容れてくれる一般病院はないでしょうね。
 
精神科医は言う。
「カウンセリングの記録を読んで、圧倒された。性被害を含む幼少期の体験は予想していたが、これほどひどいとは思わなかった。驚いたのは、ご本人がこれだけ話せたということだ。傷を覆ってあげて、さらけ出さずに治癒を待ちましょうと、ぼくは以前に行ったと思う。ところが、カウンセリングで傷を切り開いた。切り開き方はうまくいったが、当然痛いから、一時的には状態が悪くなる。そこで不安定になってしまってしんどいというのが、今の状態ではないか。(略)これだけ過酷な過去があったらそう簡単に元気になれないのは当たり前。(略)いちばん大事なのは彼女が安心や自信を取り戻すこと」と。
 
うん。確かに……
 
116頁に、<毎週日曜日には、クリスチャンである妻を支援者が教会に連れて行ってくれる>。
 
「クリスチャン」関連の記述はここだけのように思うが、ここはわたし的には深掘りしたいポイントに……
 
【トラウマを抱えた人のケア】
<宮地尚子・一橋大学教授は「注意しておかなければいけないのは、一般の精神医療では、トラウマという視点がそれほど重視されているわけではないということです」と指摘している(『トラウマ』岩波新書)。過去に原因を帰することは回復を妨げるなどとして「トラウマという見方を嫌う」医師も少なからずいるという。宮地医師の認識は私の実感と一致する。診察室で妻が過去の虐待や性被害について語り始めたとき、真剣に耳を傾けた医師はほとんどいなかった。医師はたいてい何も質問せず、いたわるでもなく、そのまま聞き流した。依存症専門医からは「だからといって飲むのはいけない。まずは酒をやめないと」とたしなめられたこともある。きちんと話を聞いてもらえた場は、唯一、4年間のカウンセリングだけだった>。
 
これは、確かに、その通りだと思う。わたしの父親をアルコール依存症専門病院に連れて行き入院させた際も、主治医は、父のトラウマには一顧だにしなかった。病院では、ひたすら大人しくしていた父親。退院後、即焼酎を吞みだしたっけ……
 
松本先生は、<精神科医の世界における「患者のトラウマ体験について質問してはいけない」という一種の「神話」の存在を指摘する(『誰がために医師はいる』みすず書房)。患者が混乱したり、「偽の記憶」を強化したりといった理由を聞かされたことがあるという>。
 
そして、看護師などからは、「人のせいにしちゃダメ」とか「親には感謝しなくちゃ」とか叱責されたり……
 
<なぜ、心の傷を抱えた人は依存や嗜癖にのめり込むのか。その疑問に一つの答えを示すのが、米国の精神科医、エドワード・J・カンツィアンが唱えた「自己治癒仮説」である。依存症は「快楽におぼれている」とイメージされがちだが、カンツィアンは逆に「苦痛の緩和」に本質があると捉える。心の傷の痛みをやわらげるためにアルコールや薬物を用いる、つまり痛みを「自己治癒」していると考えるのだ。摂食障害などにもあてはまるという>。
 
<妻のこれまでを振り返ってみると、腹に落ちる。飲むときも、食べて吐くときも、皮膚を切るときも、何かから逃れようと必死だった。何かから逃れていたのか。かつての彼女は「頭の中で、ワーッと何かが来る」という曖昧な表現しかできなかった。カウンセリングを経て過去の被害体験を具体的に語るようになり、自分にとっての過食や飲酒の意味を悟ったようだ。その姿は快楽にはほど遠かった>。
 
<子ども時代の虐待、大人になって受けた性被害。そんな苦難を乗り越えるには、過食や酒といった「鎮痛剤」が必要だった。意識を遠のかせ、別のことに振り向けて、一時的であっても苦痛から逃れるためだ。この「鎮痛剤」には自らの健康を害するという強い副作用がある。しかし、だからといって簡単に手放せるわけがない。飢え死にしかかっているときに差し出された握り飯に有害物質が含まれていることがわかっても、とりあえず食べなければ生き延びることができないだろう。それと同じだ>。
 
そう、生き延びるために……
 
<彼女にとって、精神科の治療とは「鎮痛剤」を手放すことに等しかったはずだ。それでも治療に取り組んだこと自体、勇気ある行動だ。私にできることは、ただ彼女のそばにいることでしかなかった>。
 
そう……ただ彼女のそばにいることでしか、ですよねぇ……
 

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