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『いじめ加害者にどう対応するか』( 斎藤 環 、内田 良 著/岩波ブックレット 1065)を読む

【被害者に「学校にいかなくてもいいんだよ」という“一見優しい言葉”に問題提起!】
いじめ加害者が学校に居続け、被害者が立ち去るという歪んだ現状をどう変えるべきか。精神科医と社会学者が、人々の意識データなどを取り上げつつ、被害者優先のケアのあり方を論じる。
副題が、「処罰と被害者優先のケア」。
<本書は、わたしたち大人がつくりあげてきたいじめ被害者に対する今日的なケアを批判的に検討しています。被害者に対するやさしい(はずの)声かけの課題を明らかにし、一方でこれまで私たちがほとんど目を向けてこなかった加害者の処遇に切り込む、タブーの書>だと。

以下、お二人の声を――
 
内田:
<これまで私たち教育関係者は、被害者が学校から離れられるよう世論を形成し、環境を整備することに力を注いできました。それはたしかに、いじめ被害者にいくらかの安全・安心な日常を提供してきたことでしょう。ただ、その安全・安心な場は、学校の外部につくられてきました。結果的にそれは、いじめ被害者を学校外に追いやる「やさしい排除」だったと言わざるをえません。やさしい声かけのもとで、被害者は教室そして学校から離脱していく。一方で、加害者は学校に通い続ける>。

そうなのです。
被害者の“自殺”という最悪事態を避けるという名目で――
 
内田:
【教師の暴力は免職にならない】
先生の体罰への対応。
<飲酒運転やわいせつの事案では2件に1件が免職になるのに対して、体罰に対してはそうした厳しい対応はなく、軽い処分で済まされる。処分の回数が2回目であろうが3回目であろうが同じで、体罰がクビになることはほぼない>。

「体罰」=「暴力」という認識はないのでしょうか……

内田:
【学校に来続ける加害者、去って行く被害者】
いじめ加害者への対応。
<いじめ加害による出席停止は毎年1件程度で、ほとんどないに等しいのです。いじめの発生件数を考えると、加害者への出席停止が行なわれることは、まずない、と言ってよいでしょう>。

疑わしき者は罰せず、ということでしょうかねぇ……
 
斉藤:
【いじりはいじめ】
<ほとんどのいじりに相互性がありません。もし相互性があるならふざけあいで済ませても良いのですが、一方通行のいじり=いじめです。加害者生徒が「これはいじりだから放っておいてください」と言ったとしても、先生たちはきちんと追及していただきたいです。ですが、先生の側も「これはいじりなんですよ」と言われると、野暮なことは言うまいという思いがあうせいか、そこで諦めてしまう傾向が強いようです。それは非常に好ましくない態度であることを、ここでは指摘しておきます>。

この“相互性”がポイントなんですよね。
 
斉藤:
【「いじめは恥ずかしいこと」とスティグマ化する】
<加害者の謝罪・処罰がなぜ必要かというと、いじめ加害を「スティグマ化」するためです。つまり、「加害は恥ずかしい行為である」という認識を教室で徹底していただきたいのです/少し前までは、いじめ加害者が成人してから加害体験を武勇伝のように語り、それを周囲に称賛されるというおかしな風潮が当然視されていました。こうしたことがないように、「加害は恥ずかしい行為である」と、いじめ行為をスティグマ化する必要がある>。

そのために、 “処罰”は必須で、教師の“指導”は不要だと。
 
斉藤:
<わたしは、「いじめ加害者に厳罰を課すべきだ」と主張しているわけではありません。わたしが言いたいのは、「ルールに基づいた規則をしっかり作りましょう」ということです。暴力的でくだらない校則は日本中に山程あるのに、いじめと教師のハラスメントに関しては罰則規定がほぼありません。これは異常なことです。学校が校則という法律に準じるような制度を勝手に作っている以上、罰則を設けられない理由はないでしょう。ですから、いじめ加害者への処罰も必ずやっていただきたい>。

そうです! それが、被害者の後遺症やPTSDを最小限にする道。
 
斉藤:
【加害者支援の前に被害者】
<【加害者の側も様々な虐待や別のいじめの被害者である可能性が高いことは事実で、加害者支援も必要でしょう。処罰は必須ですが、その際は加害者の背景に配慮した処罰をしていただきたい。(中略)ただ、率直に申し上げると、今の学校現場では、いじめ被害者への支援は泣き寝入り推奨が8割です(わたしの体感です。そうでないとおっしゃる方はぜひデータで反論してください)。そういうレベルにあるわけですから、わたしには今の学校に加害者支援のような「高級」なことができるとはとても思えません>。

賛成!
 
斉藤:
<いじめ容認の背景には、学校空間がさまざまな暴力を容認して“いる現実があると思います。暴力は体罰だけではありません。ハラスメント特別が付かないような指導、教師すらも根拠を合理的に説明できない無意味な校則、部活の強制や年功序列の容認、実質的にいじめであるにもかかわらず看過されている「いじり」行為、などです。いじめ根絶は困難でも、今よりはいじめが起こりにくく、被害者の立ち直りを支援しやすい環境を準備する上でも、こうした背景的な暴力を低減することが急務であると考えます>。

同感。まずこした現実にメスを!

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