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『天使の食べものを求めて―拒食症へのラカン的アプローチ』(GINETTE RAIMBAULT CAROLINE ELIACHEFF著/三輪書店)を読んで

【拒食女性たちを、病的なほどに痩せなければならないという衝動に駆りたてる力とは何なのだろうか?】
伝説的な4人の人物(オーストリア皇妃シシィ、ソフォクレスが描いたアンティゴネー、哲学者シモーヌ・ヴェイユ、シエナの聖カテリーナ)を語りながら、拒食症とは何かの糸口を探った書。
実に、長きにわたって摂食障害関連の本を読み続けてきた者であるが、
このような視点でこのテーマを取り上げていただけるのは、嬉しかった。

<あらゆる思考や行動が欲求を満たすためになされるという人間の必然性が支配する世界において、拒食女性は肉体の生理的な欲求に応えることをきっぱりと拒んでいる>。
1987年に刊行され、2012年に邦訳。原題の直訳は、『飼い慣らすことができない女性たち』
 
<私たちが見聞きしたものを報告したい。しかし、存命中の患者、さらには分析中の患者の観察記録を発表することには倫理上問題がある。そこで精神分析家によっては、患者の経歴の細部を変えて発表の許可を求めることがある。あるいは、理論上のあるテーマや問題点を証明したりするために、手がかりとなるところだけを記述する分析家もいる。また、ある分析家は社会や家庭環境の中で拒食症の人物の特徴を描き出すようなフィクションを作り出したりもする。しかし、そのためには高度な文学的な才能が必要となるだろう>。
ということで、伝説の4人に光を――。
 
【拒食女性たちは自らを犠牲にしながら、根本的問いを発す】
<拒食女性は、社会秩序から逃れられない症状を提示しながら、私たちに根本的な問いを投げかけている。「自分は誰? 私の場所はどこ?」と。彼女は、自分が症状を自由にするどころか、症状の中で身動きできない状態であると否応なく意識するとき、初めてこれらの問いを発することができる。彼女は戦闘的であり、ある大義、人民、神のために戦う。しかし、このような行動が、なぜ、そしてどのように自分に課せられたかは知らない。また、先祖のどのようなディスクールによってみずからが抑圧されたものの回帰の標的となっているのかも知らないし、あるいは何の代理になっているのかも知らない。どちらにしてもこれ以上こうした繰り返しの犠牲にならないこと、これ以上致命的な同一のシナリオを際限なく演じないことが、彼女の治癒において真に賭されているものなのだろう>。

うんうん、そうそうと、頷きながらの読書になりました。
 
【シエナの聖カテリーナ教会博士:彼女は、神の教会のすべての手足を精神的に食べ尽し、全世界を祈りによって自分の歯を使うかの如く嚙み尽くすことを希求した】
「この哀れな罪女を厳しく罰しよう」が口癖のカテリーナは、
<何も食べず、食べたものを吐いてしまうため、異端の疑いをかけられた。それにもかかわらず、人生を通して聖女とみなされ、没後80年、1461年に聖列に加えられ、1970年には聖パウロ6世によって教会博士(神学者)として認定された。神経性食欲不振症が“病気”として分類されるようになってから1世紀しか経っていない。しかし、宗教の領域では摂食を制限する行動(苦行、儀礼的断食)は常にあったし、今なお続いている。こうした行動が社会化されたものに留まり、一定の限度を超えない限り、これをそのまま若い女性の拒食と比較することはできない。シエナのカテリーナを通して、ある種の神秘主義者たちの生活、そして神秘主義一般は、違った角度で神経性食欲不振症に対して光をあて、新しいパースペクティブを開いてくれる>。
 
「神秘主義」を、拒食症サイドで見る試み、実に興味深い。
 
【聖なる拒食:聖体拝受の際のパンとワインだけで生き延びている女性は拒食聖女と呼ばれ、当時は教会から讃えられた】
<典型的な心身症的症状を呈する若い女性は、自分が生活している時代と文化的背景に応じて、病者とみなされたり、神秘主義者とみなされたり、または魔女とみなされたりする。アメリカの歴史家、ルドルフ・M・ベルは、14世紀のトスカーナにおける聖なる拒食の出現と衰退の社会的条件を研究した。個人的水準で問題になるのは、自らの個人史の中に生き、自分にとって真の人間の生き方だとみなすものを主張して戦う、必ず若い女性である。彼女たちは各々の時代に支配的な女性の社会的価値を利用して戦う。その価値とは、20世紀においては、痩せていること、健康な身体の理想化、身体スタイルのコントロールであり、中世のキリスト教社会では、霊的生活、純潔、断食である>。
 
確かに。
 
【家族から結婚を迫られて】
彼女は宣言する。
「私は譲歩する気は全くありませんから。私は神に従わなければなりません。人間に従うのではありません。私を召使として置いておきたいなら、喜んで皆のために尽くします……、そしてもし反対に家から追い出すとしても、私は自分の意図を変えません。私はあまりにも豊かで強い夫を持っています。だから夫は、私が必要とするものを欠くようなことはしないし、必要なものはすべて与えてくれるでしょう」と。
そこで父親は、「これからは誰も私の愛する娘を苦しめてはならない。娘は、私たちの仲介役として、平和に、そして自由に夫キリストに仕えればよい。娘のためにこれ以上の高貴な家系の夫を見出すことができようか」と譲歩。
そこで、以降彼女のとった行動――。
<好きなだけ己を鞭打つことができる。肉は嫌な臭いがするので決して好きになれず、以後全く手をつけなくなった。ワインも、火を通したものもやめた。16歳から亡くなるまでパンと生野菜しか摂らず、水だけを飲み、体重はすぐに半分に減った。彼女は、告解のため以外、3年間の沈黙の誓いを自らに課した(このことは、しばしば聖人につながるさまざまな感覚的剥奪という意味を持つ)。睡眠を2日30分にまで減らし、木の床の上で寝るようにした。鉄の鎖で1日に3度わが身を鞭打つことを一生の間続けた。己の罪業のために一振り、生のために一振り、死のために一振りである>。
ここで、「宗教における苦行」について、改めて想いを馳せる――
 
【一生の間、彼女の聖人性は疑問視されることに――】
<食事制限をしているにもかかわらず彼女は決して疲れを知らなかったため、悪魔にそそのかされている、偽装している、魔女だ、などの疑問が生じる>。
このことについて、伝記者はこのように記す。
<こうして主の処女は何も食べないでいた。そして、同時に満ち足りていた。空腹でも心は充満していた。外面は干からびていたが、内面は水の流れにひたされ、活発に機敏に動き、あらゆる出来事に嬉々としていた>と。
ここの記述、まるで現代の摂食障害者のことを語っているかのよう……
 
【拒食症は、“倫理的”な生き方である】
<現代社会の女性が持つ痩せの理想が変化すれば、拒食女性の数は減るはずだ、ということも決して自明ではない。反対に、数キロだけ痩せようとする(拒食症にまではならない)女性は確かに減るだろう。拒食女性は自分の手の内にある価値を利用するのである。そして、歴史の中では、その価値が彼女たちの生きている社会の支配的価値となる時代もある。しかし、これまで見てきた事例はそうではない。シシィの時代には彼女の理想は「女性的価値ではなかった。シモーヌ・ヴェイユは、多くの拒食女性のようにお洒落にほとんど関心をもたなかった。19世紀のさなかに聖なるものを切望したリジューのテレーズについても、彼女が流行を追っていたとは言えない>。
 
確かに……。このテーマ、これからも追っていきたい。とくに、改めてシモーヌ・ヴェイユ!
 

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