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政治における民主主義の闇

大きな選挙から小さな選挙まで、色んな選挙がある。
そこで、人々は何を基準に選ぶのだろうか。

色んな基準が有るだろうが、この人なら大丈夫と思われる人。
中でも一番大きな要素は、「自分たちの利益を代表する者」。
その為に自分たちに近い人であり、個人的にもよく知っている人。

しかし、この「自分たちの利益を代表する者」という正当な基準が、世界の分断の原因であり、戦争の原因にもなる。
人が複数いれば、必ず利害の対立は起きる。
自分たちの利益を守ることは当然ながら、利益を確保し、拡張するレベルで必ず軋轢は起こり、争いが生まれる。
そこでは、弱肉強食の世界が生まれる。
結局、動物のような世界であり、人間とは言い難い姿を見せることがある。

政治の仕事とは何かという問題になり、この構図から行くと醜い争いの絶えない、しかも投票する人たちに何らかの利益を提供しなければ選挙に当選しないことになる。そこには贈収賄という犯罪も同居する。
その原因は、目に見えにくい所は無視し表面的な所だけ見ている所にある。
結果における原因と未来、自分たちを支えてくれている他者を見ないことで、感性と理性の混濁状態が起こり、損得勘定で感情的になり、冷静な判断ができなくなる。
そして、今だけ、ここだけ、自分だけ、金だけでの考えで悪循環を起こし、「お役立ち」の対象は、限定されたものにならざるを得ない。

ゆえに、「自分たちの利益を代表する者」という所の「自分」は、捨てる必要が有る。この自分を捨てることで動物性から離れ、神仏の視点で政治が行える可能性が有る。

よって、重要なのは、政治に関わる人の世界観 (思想・哲学)。
これを明らかにする必要が有る。
唯物論・無神論なのか、それとも唯心論・有神論であるのか。
前者は、どうしても「自分たち」が中心に来る。
後者は、少なくとも「神仏」の視点から見ることで現時点での他者の存在も、未来における人々の視点でも物事を考えざるを得なくなる。

ここでは、真善美という価値観が重要となる。
世界観が間違っていると、動機「思い」としての善悪も間違いやすく、その「行い」の結果、醜い社会を創り出す。

世界観 ・・・ 真偽
思い  ・・・ 善悪
行い  ・・・ 美醜

真なる世界観の獲得が成されない、要するに偽物の思想哲学を持っていると、結果的には最悪のモノを引き寄せることになる。
真善美とは反対のもの、偽悪醜の循環が起きるということだ。

この「世界観」がどれだけ重要なものなのか、考えるべきこと。
そして、真善美という価値観で常に反省する必要が有る。


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