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過去の怪我から考えるリスクマネジメント

今回は自分がこれまでに経験したケガについて、記していく。

このテーマを選んだのにはもちろん、理由がある。

ヨーロッパの主要リーグのなかで先陣を切って再開したブンデスリーガでは、選手のケガの増加が話題になっている。無理のないことかもしれない。2か月近くも実戦から離れたあと、どのチームも他のチームと練習試合をすることなくリーグ再開を迎えたのだから。

しかも、現在のブンデスリーガでは6月30日までにほぼ全ての日程を終えることを目標にタイトな試合日程が組まれている。普段よりも試合間隔がつまっている分だけ、ケガのリスクも高まっている。

もちろん、フィジカルコーチをはじめとしたコンディショニングを担当するスタッフの手腕が問われることは言うまでもない。ただ、1つのチームに25人から30人ほどの選手がいるのに対して、それをケアするフィジカルコーチなどのスタッフはせいぜい2,3人だ。そもそも、彼らがすべての選手にくまなく目を向けるのは簡単ではない。

こんな状況だからこそ、選手自らがケガを防ぐためにいつも以上に気を使わないといけない。

僕がプロになってから負ったケガについて振り返ってみることにしたのは、今シーズン終了までケガなく戦い続けるために必要な作業だと考えたからだ。

プロになってから約11年半のなかで、試合の欠場を余儀なくされたケガを5回している。

5度のケガはおおまかに、2つの種類にわけられる(慢性的な疲労などから発生するケガもあるが、幸いに現時点でそれは経験していないから今回は触れない)。

1、 避けるのが困難な、接触などを原因とした打撲などのケガ

2、 身体のケアなどによって一定程度は防ぐことのできる、肉離れをはじめとした筋肉のケガ

「1」にあてはまるケガを負ったことが、過去に3回ある。

ただ、最初にことわっておくが、これは避けるのが簡単ではない。サッカーは相手あってのスポーツだ。レベルが上がれば上がるほど、球際の争いは激しくなり、接触をともなうプレーの強度も上がる。そこでケガをおそれてプレーしているようでは、デュエル(一対一の局面での戦い)で勝つことは難しい。だから、ケガしないように注意をしていても、接触を原因とした打撲などのケガは、一定程度は発生してしまう。

初めてのケガは、2011年のジュビロ磐田との試合だった。僕と対面するサイドでプレーしていたのは、当時の日本を代表するサイドバックの駒野友一選手だった。スピードに乗った駒野さんに必死に食らいつき、駒野さんのあげたクロスをスライディングで防ごうとした。無理な体勢で足を伸ばしたため、至近距離から蹴られたボールを、つま先だけでブロックする形になった。つま先だけではそのボールの勢いに耐えられず、足首を痛めることになった。全治3~4週間と診断されるケガだった。

2度目は、2014年8月のヘルタ・ベルリンでのブンデスリーガデビュー戦だ。試合の最終盤の競り合いのなかで、右肩からピッチに倒れ込んで、右肩を痛めてしまった。このときは全治2~3週間だった。

この2つのケガで共通して反省することがあるとすれば、ケガをした「後」の過ごし方だった。

2011年のときにはチームが残留争いに巻き込まれていたため、監督からは「少しでも早く復帰して欲しい」と声をかけてもらった。2014年のときはドイツでの戦いを始めたばかりで、レギュラー争いの厳しさを感じていたところだった。

そうした事情があったから、どちらのケースでも、ケガが治りきらないうちに復帰した。

その結果、2011年のときにはこのシーズンが終わるまで痛みは引かず、足の甲をつかうインステップキック(強いシュートを打つときに使う)を蹴ることができなかった。

2014年のときには、コンディションが万全ではない状態で復帰して数試合にプレーした。しかし、万全ではないから、良いパフォーマンスは見せられず、監督からの評価を落としてしまった。再び主力の座をつかむためには、そこから半年弱を要した。

この2つのケガから学んだのは、焦って試合に復帰することによるデメリットだ。ベストのパフォーマンスを出せない状態でプレーを続けたところで、監督やチームメイトからの信頼をつかむのは難しい。痛みが落ち着くまで、チームの練習や試合に合流しない勇気を持つことも大切なのだ。

今の僕からすると、当時は若いからこそ焦ってしまった面もあったように感じる。

「1」にあてはまるケガで3つ目のケースが、2018年におよそ半年間プレーしていたフォルトゥナ・デュッセルドルフでの脳しんとうだ。浮いたボールを競り合おうとして、空中で相手選手と頭同士がぶつかったものだ。

このときは1ヶ月近く、めまいが続いた。精密検査をしても異常がないということで、復帰にむけての練習を始めてからも、めまいはなかなか収まらなかった。「1ヶ月近く、めまいを感じた」と文字で書くと、たいしたことがないように感じられるかもしれない。

でも、当時の僕かは「いつになれば、めまいは収まるのだろう……」と不安がかなり大きかった。最初のうちはボールを蹴ろうとしても、なかなか焦点が定まらないこともあったくらいだったから。あのときのストレスは相当なものだった。

ここからは「2」のケガについて、振り返る。

最初に経験したのは、2012年の3月のことだ。

2012年夏に開かれるロンドンオリンピックのアジア最終予選のバーレーン代表との試合が週の半ばの水曜日、3月14日に行なわれた。そこでフル出場したうえで、17日の土曜日には浦和レッズで柏レイソルとの試合を迎えた。オリンピック代表の試合で疲労がたまっていた状態で、僕は柏とのホームゲームに臨むことになった。

すると、柏戦の試合前には交通事故か何かの影響で道路が渋滞。チームを乗せたバスは、予定よりも大幅に遅れて埼玉スタジアムに到着した。慌ただしくウォーミングアップをしただけで、試合に臨むことになった。

試合中のプレーのなかで、相手チームの選手に背中を押されて、転ばないように踏ん張ったときに、太ももの裏の筋肉が肉離れを起こしてしまった。幸いにしてそこまで重症ではなかったが、プロとなって初めての肉離れだった。

2度目は、2018年にハノーファーに移籍してまもない時期のこと。移籍をすれば、住む街もかわる。引っ越しも伴う。新居が決まったあとも、役所にいって様々な手続きをこなさないといけない。しかも、そうした手続きは自分で時間を指定できないケースも少なくない。

あのときは、練習開始までそこまで時間がないなかで、自動車に関係する手続きをしなければならなかった。しかも、予想よりも長い時間がかかり、手続きを終えたあと、慌ただしくクラブハウスへ向かった。練習が始まるかなり前にクラブハウスに着くことを日課にしている僕からすれば、かなり遅い時間の到着となった。

しかも、当時は移籍したばかりで、ハノーファーの当時のフィジカルコーチの練習メニューに適応しようと試行錯誤している段階だった。当時の練習では、チーム練習のなかではそれほど長い時間ウォーミングアップをすることなく、ボールを使ったメニューに入ることが多かった。だからこそ、練習前に個人的に時間をかけてストレッチなどをするようにしていたのだが、その日に限っては、それができなかった。

そんななかで、僕はボールを使った練習が始まってすぐに、肉離れを起こしてしまった。

これら2つのケガは、苦い経験となった。

練習や試合の前にはストレッチだけではなく、筋肉の張りを感じている箇所を温めたり、色々なケアをしている。それは練習のパフォーマンスを上げるだけではなく、ケガの予防のためでもある。自分でクラブハウスに到着する時間を決められる練習の前に、余裕を持ったスケジュールを組んでいるのもそのためだ。

2つのケガに共通しているのは、普段とは異なるスケジュールのなかで練習や試合を迎えたということだ。

浦和時代の試合中のケガについては防ぐのは簡単ではないかもしれないが、ハノーファーでのケガは、自分の練習中の強度を少しだけコントロールするべきだったのかもしれない。

自分の持っているもの全てを練習で出すことは大切だ。

でも、不測の事態で普段通りの準備ができないのであれば、練習開始時から100%の力を出せなかったとしても、焦らず、少しずつ身体を温めていくような工夫も必要になっていく。それが当時の僕にはできなかった。

以前に「守破離」についてnoteで記したけれど、自分の身体に敏感になって、自分の身体からもたらされる情報をしっかりキャッチすることが大切なのは、こうしたケガを避けるためでもあるのだ。

ただ、この2018年のケガのときに唯一、収穫といえるのは、それまでのケガの経験を上手く活かせたこと。

ケガがいえて、チームの練習に復帰したあとも無理をすることなく、焦る気持ちを抑えながら練習や試合のテンションをコントロールできた。それによって、再び同じ箇所を痛めたり、シーズンが終わるまで状態が良くならない……というような状況は回避できた。

そして、そこから1年半近く経った今でも、試合を欠場するようなケガとは無縁でいられている。

最初に書いたとおり、リーグ再開後の状況は、これまでのサッカー界の常識とはかけ離れたものだ。短期間で試合を続けていくことで、何が起きるのかは、予想が出来ない。

だからこそ、過去の苦い経験をいかして、ケガをしないような細心の注意をしながら日々の練習や試合に取り組んでいくことが大切だと僕は考えている。

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