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楽園無き物語,「ファンスーチーの初恋の楽園」について

0.あらまし
−台湾高雄の高級マンションに住む13歳の文学好きな美少女・ファンスーチーは、下の階に住む憧れの50代の国語教師に作文を見せに行き強姦され、その関係から抜け出せなくなる...。世界の裏側を見てしまった少女のもうひとつの愛の物語...(帯文より引用)

この作品の帯を担当した方は相当苦慮したに違いない。ただある少女が犯され続け廃人と化していく物語を何とか手に取ってもらう努力は察するに余りある。

私から改めてあらすじを語る前に、作者のプレスリリースでの発言を紹介しよう。
「もし読み終わって、かすかな希望を感じられたら、それはあなたの読み違いだと思うのでもう一度読み返した方ががいいでしょう」

物語は房思琪(ファンスーチー)と劉怡婷(リュウイーティン)の何気ない日常から始まる。
文学をこよなく愛し、お互いを「魂の双子」と想い合う2人は大量の蔵書を持つ美しい女性、伊紋(イーウェン)の元を足繁く通うようになる。

非常に美しく頭脳明晰な伊紋だが、実は夫の銭一維(チェンイーウェイ)からのDVに頭を悩ませていた。真夏でも長袖でいる伊紋の姿は2人に違和感を覚えさせ、仲睦まじい3人の間に隙間風を生じさせた。
知ってか知らずか、その風を巧妙に利用したのは同じマンションの住人である李国華(イーグーファ)先生。彼は非常に優秀な国語講師だが、女子生徒を個別指導と称して誘惑し、レイプと卓越した甘言を用いて支配するのが趣味の鬼畜だった。
李氏には妻子がおり、物語終盤で別の女子学生が退学になったことがきっかけで今までの悪事がバレる寸前までいったが、いとも簡単に妻を丸め込めるほど口車が上手い。
「許してほしい、彼女の方から誘惑してきた」,ペットボトルで自分の頭を殴り続ける...責任転嫁と軽い自罰だけで言いくるめ成功するのは驚嘆に値する。決して真似したくは無いが。

李氏の言語能力は教卓の上ではなくベッドの上で特に本領を発揮する。「知性のある女子生徒と話をしたいだけなんだ」「文章を書きたいと思う子はみんな、歪んだ恋を、すべきかもしれない」(ちなみに、李氏は自分の娘,唏唏にはほとんど本を買い与えていない。房家と劉家の豊富な蔵書をとても褒めていたのに!)
(これから李氏が思琪をはじめて襲ったときの台詞をかなり長文だがそのまま紹介する。閲覧注意)
「これは先生の君への愛し方なんだ。わかるかい?怒らないでほしい。君は学ぶことを知っている人間だから、美しさはそれ自身に属するものではないということを知っているはずだ。君はこんなにも美しい。しかし、どうしたってすべての人のものにはできないのだから、私のものになるしかない。わかるかい?君は私のものだ。君は先生が好きで先生は君が好きなのだから、私たちは間違っことはしていない。(中略)君はなぜ私の頭の中から離れてくれないのか?行き過ぎだと私を責めてもいい。やりすぎだと責めてもいい。しかし、私の愛を君は責められるのか?自分の美しさを君は責められるのか?ましてや、あと数日で『教師節』だ。君は世界最高の教師節の贈り物だよ」
※教師節は教師に感謝する日とされている記念日。台湾では孔子の誕生日の9月28日。

本書を読破できるかどうかは上記の台詞を読み切ることが出来るかにかかっている。

1.思琪と伊紋を救うには?
いきなりテーマを立ちあげておいて難だが、そんなものは無い。思琪と伊紋の周りにも李氏と銭氏以外の男性がいたはずだが本書ではほとんど登場しない。唯一登場するのジュエリーデザイナーの毛毛という伊紋に淡い恋心を抱き続ける"善良な"男性だ。しかし、毛毛目線の物語はあくまで受動的だ。伊紋が銭一維からDVされているのを知った毛毛は伊紋を救うために立ち上がる...そんなストーリーは無い。それどころか、一維が伊紋へ贈る誕生日プレゼントも実は毛毛が製作しているおり、有様を詳細に描写している。(genjinが1番読み進めるのが辛かった箇所がここ)

思琪の傍らにはもちろん怡婷が居たが救い出すことは出来なかった。思琪が李氏の定宿のホテルから下宿に帰ってくる際に放つ雰囲気,匂いは二人の距離を遠ざける。あまりにも遠く。
身の回りに起きたと仮定するとより、性暴力で支配されてしまった人を救うことの困難性がよく分かるだろう。加害者は助けを呼ばなそうな慎み深い娘を狙い撃ちにしているうえに、恋愛の特別感まで演出し、少女の口を封じる。一体どうやったら救えるというのか!
ちょっと感情が高ぶってしまった。話を作品に戻そう。
伊紋は一維の子を妊娠したことで一旦DVが収まったが、パーティーの夜に酔った一維から暴行を受け、病院に緊急搬送される。夢の中で伊紋は自身が流産したことを知った。これがきっかけで伊紋は一維と離婚することを決断する。
一方、思琪は李氏からの"愛情"に囚われたままだ。そもそも李氏が異常な"愛し方"をする相手が思琪だけでなく、何十人もいたことは思琪本人を薄々感じている。思琪の美しさは本当に際立っており、同世代から何通も"稚拙な"ラブレターが届くほどだ。しかし、思琪は男子生徒の気持ちに応えることはなかった。

理由は簡単だ。
「私の愛する男のいびきはとても美しい。これは秘密。彼には教えない」

2.山も谷も無い終幕
物語は序章で示された道筋を静かに進む。精神病院で思琪はバナナに対して感謝の言葉を伝える。「ありがとう、あなたはわたしにとても優しいのね。」
怡婷は李氏のマンションに乗り込む。思琪が狂ってしまった理由を先生の口から言わせるために。だが、2人が敬愛していた先生ははぐらかすばかりだ。結局怡婷は無残に放り出され、すごすごとマンションを去る。李氏は思琪との日々を思い返し、忘れる。そして、また女子生徒に"世界の裏側"を見せる日々が始まる。
ラストシーンは思琪,怡婷,伊紋,李国華が出会った高級マンションを通行人が見上げて一言。「もしこんなところに住むことができたら、申し分のない人生ってもんだよなあ」

徹頭徹尾淡々と希望を排し、地獄が描かれていると感じる。

3.作品を通して現実を観察する
本作品は「事実に基づいた小説」であると作者本人が銘打っている。作中で起こる悲惨な出来事は本を閉じたら綺麗サッパリ無くなるわけではない。それどころか圧倒的な消化不良感を読者に与える。
李国華の人としての醜悪さだけでなく思琪が「愛」に絡めとられる様や悪行が全く罰せられることない諦念などなど、様々な要素が読者に吐き気を催させる。

否応無く気付かされる事実。それは身の周りに「思琪」がいたとしても救い出す以前に認識すらまず出来ないという事。出来るのは事後的な犯人探しだけだろう。

物語終盤、伊紋が怡婷に語りかける。
「怡婷、あなたは怒りの本を一冊書くことも出来る。考えてみて。あなたの本を読める人はすごく幸せよ。実際には触れることなく、世界の裏側を見ることができるのだから」

文学をこよなく愛するがゆえに襲われた筆者の言葉は重い。(おそらく)この作品には中国文学の技法がふんだんに盛り込まれており、ギミックや構造を理解するには並の読書量では到底足りないだろう。もちろんgenjinには無理。そんなに本読んでないし。
こういっては難だが、本書を何度読み返しても「思琪は救済されるべき」「李国華は厳しく断罪されるべき」と思えなかったのは、二人の関係性があまりにも膨大なコンテキストに裏打ちされ過ぎているからだろう。
加害者の術中に嵌っているのは重々承知している。

4.楽園の終わり
ザラッとした不定形の感覚を残し、本書は終わる。繰り返しになるが救済も断罪も無い、カタルシスはカケラも無い。ただただ淡々と思琪は廃人へと向かっていく。
もし本書を手に取り熟読し、体調を崩すことになったとしても安心してほしい。ちゃんと読むとそうなるように作られている。

これだけは断言出来る。genjinがこの筆者の次以降の作品を読むことはない。筆者が存命かどうかは関係ない。

(最後は私の晩御飯。美味しい)

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