最も尊敬した二人の師
僕の人生の中で最も尊敬した師が二人いる。
柔術の師
一人目の師は、僕が10代の頃にこっぴどく腰を痛めた後に、柔術を教えてくださった先生だ。
毎日のように時間通りに行くと、生徒が僕しかいないことが多かった。先生は技を教えてくださる前に、本来なら師範にならないと学ばない整体指圧を教えながら僕の腰を治療してくださった。
それだけでなく、本業のカイロプラクティックの手法も教えてくださった。1年ほど通ったら驚くほど腰が楽になった。
治療をしながら、先生は生まれたばかりの子供の体は、凝りというものがどこにもなく完全に柔軟だと教えてくださり、僕もこれからずっと柔軟性を保つ運動をするようにとおっしゃってくださった。
あそこまで親身に僕のニーズを理解して応えようとしてくださった人は、後にも先にも先生だけだった。
先生は、時々韓国に行って治療を学んできたという話もしてくださった。
僕が師範免状を取るために、東京の宗家に行った時に、宗家の奥様が奇妙な笑みを浮かべながら、「あの人は韓国人なのよね。」と僕に言った。
おそらく、僕に偏見を持たせようと思ったのだろうが、僕はその瞬間韓国人ってあんなに素晴らしい人たちなんだと感動してしまった。そして、日本人ではないという理由だけで人を見下す様子を見せる奥さんに対して強い違和感を持った。
僕がアメリカに初めて旅立つ時も、先生は新幹線の駅まで見送りに来てくださった。
日本に帰国してから、先生に挨拶しに行こうと思ったら、近所の方から先生は肺の病気で亡くなったと言われた。何週間も涙が止まらなかったが、今も先生の教えを常に意識して生活している。
二人目の師
小児麻痺で松葉杖を使わないと歩けない人と大学で友達になった。脚の筋肉がほとんどないのと対照的に、いつも体を支えている上半身はプロレスラーのようだった。
僕が柔術を学んでいたことを知り、自分も武道をやりたいから一緒に先生を探して欲しいと言った。
デトロイトには、当時日本空手の道場はなかったため、テコンドーの道場に行ってみたが、松葉杖をつく彼の姿をみて道場主は、相手にもしてくれなかった。
がっかりした彼と共に、もう一箇所だけ試してみた。武道館唐手道というテコンドーよりも古い流派だ。
先生は、プライベートレッスンになるが、それでもよかったら教えてやるとおっしゃってくださった。蹴りやパンチも当然だが、松葉杖なしでは立つのがやっとの友人に型まで教えてくださった。
しかも、日本人が少ないデトロイトは寂しかろうと、定期的に食事会を行う日本人の主婦のグループを紹介してくださった。
食事会の中心人物の娘が先生の道場に通っていたのだ。この子は世界チャンピオンになれると先生はとても喜んでいた。
主婦たちは、全員米軍兵士と結婚していて、その多くが離婚に終わる様子だった。
大学の友人
韓国人には、とても優しくて親身な人が多い。大学でも韓国人の友人ができて、自宅に招待してもらったこともある。僕に読むようにとサミュエル・ウルマンの本をプレゼントしてくれた。
日本に帰国した頃には、日本人の韓国人への批判を耳にするようにはなった。在日の苦労も目にした。
韓国旅行
1988年の韓国オリンピックの少し前に、家内の国際学校の先生たちと韓国を訪れることになった。
僕はずっと家内と一緒に行動して、英語でしか話さないから、韓国人たちは僕がアメリカ生まれの韓国人だろうと思っていたようだ。
日本人かもしれないと思われ、邪険な扱いをされた体験も一二度あったが、全般にとても親切な人たちだった。
思ったことをはっきり言って、喧嘩をよくする文化ではあったが、アメリカの文化に慣れていると、違和感はなかった。
僕が最も尊敬する二人の師に僕の人生は今までずっと導かれてきた。
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