賽の河原も石積んで、来た鬼倒せば安泰ぢゃ。

無知故何か作品の引用かもしれない。無学故実は慢悔してきた言葉かもしれない。だが関係ない。陳腐な言い回しだがHEARTにVIVIDきた。素敵やん。ええ言葉やでぇこれ、しらんけど(あまりにも感動して関西人になった)。この言葉はTwitter(私の世界はTwitterしかない。これが狭いか広いかは人それぞれだ)でフォローしている方から貰ったお言葉だ。どういう意味か聞かなかった。「JAZZ」じゃねぇじゃん。そんな無粋な事。

何故私がこの言葉に魅了されたか。それは私的読解力故に間違いだらけかもしれないが解読しつつ説明していこう。まず「賽の河原」だが基本的に「意味の無い」「無駄な努力」という意味の言い回し、そして「親より先に亡くなった子供があの世で行き着く場所」を連想させる人が多いのではないか。仏教では親より先に亡くなるのが一番の親不孝とされている。そして子供たちは賽の河原で石を積んで罪を償い石の塔が完成すると晴れて極楽浄土にいける。しかし途中で鬼に崩されてしまい、永遠に石を積まなければいけない。これが上記の「意味の無い」「無駄な努力」の由来だと思う。(注意:一応私なりの解釈です。本当は広辞苑辺りを調べてしっかりしたソースで裏どりする必要がありますが、それで全然違う意味だとこの言葉に出会った時の感動が無くなってしまうのが嫌なんで、今この段階では何も調べていませんし、調べて全然違う意味だったとしてもこの文章を編集、破棄はしません。悪しからず。私は常に今を生きる。MY LIFE  IS LIVE )

つまりこの「賽の河原も石積んで、来た鬼倒せば安泰ぢゃ。」を私なりに解釈すると「どんな境遇でも圧倒的POWERでブッチぎれ‼️掴めHAPPINESS...」のバリ渋バージョンなのだ。まぢいけてるわ。エモみマシマシブチ上げ☆昇天☆チョモランマ〜雲の彼方に〜。

一応この言葉を送ってくださった本人に許可を得て今日から私の座右の銘にすることにした。普通ある?自分の言葉を座右の銘にしていいですか?って言われること。多分金八先生ぐらいよ、そんな経験。怖がらせたかもしれない。申し訳ありません、そしてこんな言葉をありがとうございます。この言葉の様に人生を送りたい。では最後にリピートアフターミー

賽の河原も石積んで、来た鬼倒せば安泰ぢゃ。

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