泉山真奈美さんの論評者の訳詞を論評してみた

先日訳あって泉山真奈美さんのことを思い出していた。90年代初頭から後半にかけて活躍されていたライター/翻訳家の方で、当時ラップやR&Bなどのジャンルを追っていた向きには馴染み深いお名前ではないかと思う。私も彼女の諸作にはお世話になっていて、特に彼女が対訳を担当したPublic Enemyの『Singles N' Remixes 1987-1992』は思い入れの深い作品である。

実は泉山さんとは2013年頃にツイッター上で交流があり(といってもフォロー関係にあった程度だが)、2、3言葉を交わしたことがあったのだが、当時の彼女はどうやらネット上の嫌がらせに参っていた様子。特に過去の執筆内容に関して、色々なブログや掲示板などで酷評されていたことが悩みの種だったようだった。下記のブログはその一例である。

上記ブログでは彼女が対訳の中に用いた「サイコー」という語について、これでもかと罵倒の言葉を浴びせている。無論、Badが反語的に「良い意味」で用いられるのは自明であるので、当該ブログについて論評するつもりはないのだが、このブログのコメント欄がすごいことになっていて、泉山さんとその夫と思われる人物がブログ主に反論の言葉を述べている(あくまで名義を騙った別人の可能性もあるので真偽は不明)。当該コメントの内容はかなり過激なものなので、閲覧をお勧めはしない。

このブログともう一つ、彼女の名前で検索すると上位にヒットするブログ記事がある[リンク(http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-175.html)、キャッシュ(https://archive.is/LQ89F)2021.01.25ログ取得]。東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩(経済学者)という人物が執筆したと思われる(こちらも確認はしていないため本人かどうかはわからない)もので、泉山さんが訳出したMichael Jacksonのシングル曲“Cry”の歌詞について一家言あるようだった。以下に記載内容を引用する。

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しかし、その翻訳たるや、マイケル思想を全く理解していないことが露呈しているばかりか、アメリカ語の理解としても完全に落第である。翻訳は言葉についての「知識」だけでできるものではないことを示す好例だと思うので、詳しく検討しておきたい。文章の内容を理解して意味を把握する気がないなら、言葉の知識は無用の長物なのである。特に受験生はよ~っく覚えておくように。英語や古文や漢文の勉強は、単語を詰め込んでもダメなのである。                                ★が私のコメントである。
全体として「誤訳」を通り越して「冒涜」と言って良いほど、無茶苦茶な訳である。訳者は、「直訳ではなく訳詞なのだから、ゲージュツ的に自由に訳しているのだ」と言うかもしれないが、だとすると、出来上がった日本語訳は意味が全くズレている上に、「詩」と呼ぶことは決して出来ない、最低ランクのおセンチな下らないものになっているのが問題である。はっきり言ってこれではマイケル・ジャクソンの歌ではなく、「ど演歌」か「アンジェラ・アキ」である。まぁ、一行一行見ていこう。あまりにひどいので、広く知らせる必要があると考えるので、一般公開にする。知り合いにマイケル・ファンがおられたら、見るようにお伝えいただきたい。(原文ママ)

ご批判の内容については置いておいて、どうやら当該ブログの筆者は泉山さんの訳詞が逐語訳ではなく「意味が全くズレている」ということで、一行ごとに彼女の対訳をあげつらい、彼女の翻訳家としてのキャリア自体を否定するような発言まで投じているようである。

初めてこのブログを目にした時、私は「よくここまで他人を罵倒できるものだなあ」ぐらいに思っていたのだが、実はどうやらブログ主本人がこの“Cry”を自分で訳していたようで、先日たまたま当該の翻訳記事[リンク(http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-172.html)、キャッシュ(https://archive.is/mIAij)2021.01.25ログ取得]を見つけてしまった。私は他人の訳文の正誤を吟味して回る趣味はないのだが(自分だって過去に誤訳をしたことぐらいあるだろうし、そもそも人間の手による作業にはエラーがつきものだと思っているので、気になったら指摘する程度にとどめている)、これだけ他人の訳を口撃していた御仁の訳なのだから、たいそう素晴らしいものなのだろうなと思い、だいぶ遅くなってしまったが読んでみることにした。以下、せっかくなので、当該筆者と同じ書式で拙評を添えさせていただく。ぜひ上記のブログ筆者による論評をお目通しの上、お読みいただくことをお勧めする。

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→Cryを「泣け!」と書くのは誤りだろう。なぜならCryは動詞かもしれないし、名詞かもしれないのであって、当該ブログの筆者にこのCryが「泣け!」という動詞として判断がつくものではない。そもそも筆者はなぜ勝手に「!」マークを足したのだろう?

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2行目:Somebody's missing a friendは、「誰かがある友人を恋しく思っている(会いたがっている)」という意味である。件のように「誰か、友だちのいない者がいる」と訳したいのなら、原文は“Somebody's friend is missing”と「友人」を主語にしないと成り立たない。
“Hold on”はMichael Jacksonの口癖、「だよね」「そう」程度の合いの手の意。「やめないで!」という誰かに対する訴えの言葉にはならない(以下同)。

3行目:Somebody's lacking a heroの中に「困っている。」に相当する言葉はない(当該ブログ筆者の論法)

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2行目:訳者はhiding the truthというシンプルな口語的表現を「誰かが真実を隠蔽している。」という文語的な訳にしている(当該ブログ筆者の論法)

5行目:blind manは実際に盲目な人ではなく、「迷いし者」の比喩。当該ブログの筆者が理解しているか、この訳からは判断はできない。

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2行目:unheard-ofは「前代未聞の」という意味の形容詞。「奇跡は聴かれない。」という文章にはならない。

3行目:the windsは冠詞+複数名詞なので、「その風」ではなく自然界にあるありとあらゆる「風」。具体的な事象の話ではない。

5行目:「真理に到達する」という距離を表す言葉の場合は、reach forではなく、reach (somewhere)となる。reach forは「(手で)掴む」というような意味。この場合のreach for the truthは「真実を掴む」という意味になる。日本語表現の意訳が強い(当該ブログ筆者の論法)

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2行目:「諍い」はconflict、warは「戦い」となる。日本語表現の意訳が強い(当該ブログ筆者の論法)

以上、当該ブログの筆者と同じように訳詞に短評を添えた。私は彼の訳詞を彼のように[全体として「誤訳」を通り越して「冒涜」と言って良いほど、無茶苦茶な訳である。]とか「アメリカ語の理解としても完全に落第である。」などと論評するつもりは毛頭ない。また「そもそもこの曲はR. Kellyが書いているんだし、いったいどの辺がMichael Jacksonの思想(?)を体現しているのよ?」なんて元も子もないことを問うつもりもないのである。彼の訳詞の精度については、上記の短評を踏まえ、あくまで読者の方々が判断していただければ幸甚である。

さてさて、こういったネット上の罵詈雑言により、泉山さんは7年前の2014年、ツイッターから去ってしまったようだ。今現在彼女が何をされているのかも、私にはわからない。

そもそも彼女が英詞の対訳を担当されていた90年代というのは、対訳を依頼される作品に必ずしもレーベル支給の公式の歌詞が存在するわけではなかった。その時は彼女は一からリリックの聴き取りをし、文字起こしをして対訳をしていたというわけだ。それは簡単な作業では決してない。

レーベルは翻訳・対訳という「隙間業務」にそこまで時間やお金を使わない。彼らが罵倒の言葉を浴びせた訳詞だって、おそらくは数日で原稿を仕上げて提出していただろう。場合によってはそこに歌詞の聴き取りやリヴュー執筆の作業が介在していたかもしれない。かといって原稿料はそこまで変わらないのが常だった。

ネットの心ない声には、上述のような背景を踏まえた配慮など微塵も感じられなかった。また、私は彼女が極度に攻撃に晒されたのには、彼女が女性だからというのもあったのではないかと訝しんでいる。他に当時のラップ/R&B系のライターで彼女ほど攻撃にさらされた人はいただろうか。私は思い返してみても、彼女の執筆内容が当時の他の男性ライターと極端に乖離していたとは思えなかったのだ。とりわけ当時重宝された人気ライターで多作だったために、残った制作物が目に入りやすいだけなのだろうか。

泉山さん、お元気にされていることを祈ります。

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