俺のwikipediaの記事を信じないでくれ

 タイトルを言うために長い文章をかくはめになった。
 自分について言及してくれる方は、誰であれありがたいと思う。思うけど今のwikipedia内「逢坂冬馬」記載内容がものすごく「変」だ。23年8月10日午後8時時点のものを信じないでくれ、と言うためにこれを書いた。
 なお俺は、明記されたルール以上に「自分自身の項目に対しては慎重になるべし」と思っていたので(今までは)、これまで同項目を直接編集する行為は一切していない。

 けど、ノートを参照すると、俺が疑問視しているのとほぼ同一の内容で疑問を呈している方がいらっしゃる(そして一連の変な記述はやはり消えたり復活したりを繰り返しているらしい)のでノートで言及されている問題点について、それぞれ述べたい。

 新人賞に応募した作品名の箇所:これについては、非常に不正確、かつ出典が変。ただ単に応募元の選考過程を抜き出しているだけであるからか、俺が応募した記憶のない複数の作品(多分、同一のペンネームの別の方ではないのか……)のものがあれば、確かに「俺が応募した」と記憶しているけど書かれていないものもある(こっちはむしろ当然)。つまりなんの基準で「記述するに値する」と考えられたのかが判然としないし、なんのリストと考えても不完全だ。

「きっと本人が自分の応募作を忘れたとか、反対に応募していない他人の作品を自分のものと記憶しているのだ」と強弁することも可能だろう。
 ただ致命的に変なのは、これら「作品群のようなもの」が、作家としての俺が「これはデビュー前における自分の作品です」と公言したものではなく、メディアによって「これが逢坂冬馬の過去作一覧です」と伝えられたものでもなく、情報源のあり方として「ネットで漁った情報を結合して推測した」ものになっていて、これからもそうならざるを得ないところだ。だって本人は公表していないし報道等もなされていないし、されるわけないんだから。

「本人が公言しておらず、報道されておらず、特に一般的でもない事柄を、ネット上の情報をかき集めて『過去の応募作』と見なして記載する」という行為が百科事典の編集行為として適正とはとても思えない。ゴシップサイトや宣伝サイトではない(はずだ)からだ。


 そもそも東野圭吾さんの「魔球」や、福井晴敏さんの「川の深さは」のように、たとえばデビュー前の作品が改稿を経て出版に至ったといった特段の事情を持つ作品ではなく、単なる「過去の応募作(らしき題名)」を百科事典に掲示する意味が分からない。

 ちなみに前述の人とはまた別の方が「ペンネームは個人を特定するものではない」と指摘されている(そうだよね!)のだが、同時期に同一ペンネームがいるのは「天文学的確率」だから、そして間違いがあったら「関係各位が否定できる」から掲載されているらしい。ごめん、すぐ直ると思ってたから黙ってたけど、一部だけが正しくて一部が誤ってますよこの変なリスト。

 念のために明確に言えば、そもそも正確、不正確にかかわらず過去の「応募作名」だけを記載されることを本人としては望んでいない。作品本体が表に出ないものだからだ。だから「どれが正しくてどれが違う」と言うつもりもない。

カクヨムとpixiv:ネットで小説を書いていたこと、それ自体については別段隠していない。X(旧称ツイッター)における古い相互フォロワーさんは皆知っていることだし、そもそもカクヨムでインタビューも受けている。

 なのでそういうインタビューから引用する分にはわかるのだが、デビュー前に書いたものは、別名義のアマチュア作品で、商業出版よりも前に全部非公開にしていたのだし、その後には告知のツイートも消しているわけで、できる限り消している情報を勝手にウェブアーカイブにしてwikipediaに提示されても「困る」としか言いようがない。こんな事態になると想定していたら書かなかっただろうに。

 第一作品が非公開だから、出典元まで行っても「告知のツイートとカクヨムトップページのスクショ」しか出てこないんだけど、これでいいのか。画像は、なんかあちこち欠けてるし。

 特にpixiv関係がすごくて、出典をクリックすると得られるのが「非公開にした過去作品を告知していたツイートを消した残骸のウェブアーカイブ」。元の作品にたどり着けない。そりゃ消してるからそうだよな。

 実際、特にpixivでやってたのって完全な「おふざけ」だから実際には見てない作品が書かれている(A作品の名を騙ってB作品の二次創作を書くといったことをしていたから)。当時本文読んだ人は分かるけど、俺は「あの作品」の二次創作は書いてない。その作品の名を騙って全然別の小説の二次創作を(冗談で)書いていたのだ。

 これらについても意味を成す出典があるならば、俺がそれらの作品を公開するか、メディアで報道されるかしかないだろう。実際、今は考えがたいが必要であるならば自分で語るとは思う(pixivはともかくとして)。

 現在のアマチュア作家はかなりフリーダムに小説を発表できる環境にあり、その後にプロの小説家になる方も大勢いる。そしてアマチュア時代の活動をプロになってから自己開示していくのであればそういうのもいいとは思うが、「本人が非公開にしてる過去作品を勝手にアーカイブしてWikipediaに掲載してOK!」という実例がここで誕生して後も踏襲されると、かなり、非常にまずい。

 記述の出典が「知らない人の書いたカクヨム」でいいのかはもう知らないよとしか言いようがない。ただ存命人物の伝記の方針として「自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません」と明記されていて、これが出典になるというのは相当驚きだ。

 あとこの項目に書いてある作品って別にカクヨム用に書いてたわけでもないのに、その辺もネットに残った痕跡だけでどうにか記述しようとするから、主として一般公募の賞を目指していた俺が、その過程で書いた作品名を挙げて、なぜか「ネット小説家として活動していた」と述べる変なことになっている。

 すべては元々公募用に書いた作品なのだ(順番として公募に落ちてからカクヨムに載っけたものと、期間限定でカクヨムに載っけたものは両方ある)。不完全な情報をつぎはぎするとこういう現象が起きる。

 存命中の人物の記事が、wikipediaのルールに照らし合わせて変なことになっているのは俺に限ったことではない(たとえばレスリングで活躍した田中章仁さんは、総合格闘技をキャラクター名で戦ったマスクマンと同一であることを"示唆する"記述があり、戦績にもその試合が書かれているのだが、現在の出典と記述の内容を比較する限りにおいては、両者のプロフィールの同一性に言及する記述が出典にみられず、一致を見いだしているのは記述した誰かの解釈なわけで、まったく適切とは思えない)。

 俺の場合、こういう「メディアによる公表などではなく、誰かがネットで拾った情報をくっつけた」記述の割合があまりにも多いし、本人から見れば壊滅的なまでに奇妙なことになっている。ネット検索して一番最初に目に入る情報がこれだと大変困る。

 別に記述の内容を充実させてくれと言いたいわけではない。ただ普通に、情報源を一般のメディアが報じた内容に基づく記述に絞ってくれればこの珍奇としかいいようがない記事はましになるだろうし、百科事典の記述としても洗練されるのではないだろうか。

 変な記述を削った結果として書くことがなければ、別に俺なんぞの項目は存在しなくてもいいのだし……。ハァ。間違ってもこの一連の文章が項目本文に直接引用されませんように。

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