見出し画像

『映像研には手を出すな!』を見て思ったこと。実写映像界は二次元作品の実写化には手を出すな!

そういえば、子供の頃は忍者屋敷が好きだった。

掛け軸の裏の隠し通路! 回転する壁の後ろの隠し部屋! そういった仕掛けの数々がワクワクさせてくれた。

増改築を繰り返し、わけのわからなくなった建物も好きだ。老舗旅館などにたまにある、あの迷宮さながらの複雑怪奇な建物を見るとワクワクする。温泉そっちのけで旅館内を探検してしまうほどだ。

38年もの間絶えず建設されつづけた上、幽霊まででると噂のウィンチェスター・ミステリー・ハウスは死ぬまでに一度は行ってみたい場所だ。

そんなことをアニメ『映像研には手を出すな!』は思い出させてくれた。

アニメ放映時から評判は聞いていたのだけど、『あとで見る』フォルダにつっこんだまま熟成させていたのだ。最近になってようやくNetflixで視聴したのだが、こんなに面白いならもっと勧めてくれよ!

あまりに良かったので原作マンガも買った。やっぱり良い。その勢いで実写ドラマを見た。これが良くなかった

いや、私もあまり人の作品を酷評したくはない。日頃文句ばっか言っているように見えるかもしれないが、本当に。あの批判されまくった実写映画『デビルマン』も、日本映画史上屈指のコメディ映画として友人に勧めまくったほどだ。でも今回ばかりは書かないと気が収まらない。

原作はアニメを作りたい三人が主役のマンガ。だからアニメ化は必然だったし、それに応えるようにアニメ版スタッフも完璧な仕事ぶりを見せてくれた。

しかし、この実写ドラマの酷さはなんだ? そりゃアニメと実写は違うってのはわかるけどさ、同じ映像作品を作ってるわけじゃん? それがこんな仕上がりって残念にもほどがあるぞ。

映画の興収ランキングの上位がアニメ作品ばかりになって久しい。この原因を「才能のある人がアニメ界に行ってしまうから」だとする話もあった。私はいくらなんでもそれは無いと思っていた。同じ映像作品と言ってもそれは別物だろうと、ボクシングとプロレスくらいは違うだろうと思っていた。

だけど、映像研を見ていたらひょっとしてマジなのか? と思い直してしまったほどだ。

こうなると心配なのは、原作者様、怒っていないか? ということだ。余計なお世話なのはわかっているけれど。

すると以下のインタビューが見つかった。

これは実写作品公開前のもののようだが、大童澄瞳先生としても実写化が批判されるのは予想していたようだ。その上で実写作品は別物であること、必ずしも原作やアニメーションを楽しんだ人たちだけのために実写がつくられるわけではないということをご指摘されている。

そう、世の中にはどうしてもアニメに拒絶反応を起こしてしまう人がいるのだ。そういった人むけとしても実写化は意味のあることであると私も思う。

ただ、多くのマンガ原作実写作品が批判されてしまうのも事実だ。その理由の多くはキャスティングと改変にあると思う。

キャスティングに関しては、2次元を3次元にするのだから違和感があるのはしょうがない。ちょうどよくイメージ通りの人が見つかるわけじゃない。先のインタビューでも、大童先生は実物が「可愛いすぎる」ことを懸念されていた。

残念ながらその通り、浅草を演じた齋藤飛鳥さんはちょっと可愛すぎた。水崎が可愛いのは問題ないというか、可愛くないとダメだと思うのだが、浅草がそれより可愛いとなるとちょっとね。いや、どっちが可愛いとかは人それぞれの好みですけど。

改変に関しても、実写版では応援部やら号外部、野球部が外野部と内野部に分裂するというオリジナルのエピソードが加えられているのだが、これがまったく面白く無い上に必然性もないのだ。

ただまぁ、ね。おそらくこのへんは事情があるんじゃないかなぁと思う。大人の事情ってやつだ。

資本主義ではお金を持っているやつが強い。映画作りには大金が必要で、どうしてもスポンサーが必要になる。そいつから「主役に人気アイドルを使え!」と指示されたら断れないことは想像できる。変なキャスティングはこんな事情から生まれることが多い。

あとは芸能事務所との関係。これは声優にもあるんだろうが、アニメは少なくとも見た目を原作通りにできるので、最初に声の違和感を感じても大抵は見ているうちに慣れてしまう。

そして追加エピソードをよく見ると、その人気アイドルが一切登場しないということに気づく。おそらくだが、彼女たちのスケジュールが無かったゆえの苦肉の策だったのではないか? 彼女たちを使わずにシーンを水増しする必要があったのではと推察する。

ただそれならば、主役3人の子供時代を描くのが良かったんじゃないかと思う。それは彼女たちのパーソナリティを形作る重要なシーンではないか。あんな出来の悪いコントを見せられるよりよっぽどマシというものだ。

事実、アニメ版も最初に浅草の子供時代から始まる。これは原作とは違う流れだ。

先のインタビューでは、アニメ版の監督である湯浅政明監督が、原作に忠実にやる、とおっしゃっていたことが書かれている。だが比べると実はかなりの改変がある。

冒頭で私が忍者屋敷のことを思い出したのは、アニメで主役3人が追手から舞台装置のからくりを使って逃げるというシーンを見てのことだ。だが、これは原作にはないシーンなのだ。

こういうなんらかの意図がある改変であれば、ファンだって文句はないと思うのだ。なにも原作に忠実にやるのが絶対なわけじゃない。原作に敬意を感じる改変なら歓迎だし、そこで監督の色を出せばいいじゃないか。

ただ幼少時代を描くとなると、新たなロケーション、セット、役者を起用しなければならず、よりお金がかかってしまうという問題がある。

いやそれならさ、浅草のイメージボードをもっとじっくり見せるとか、やりようはあったんじゃないか? 設定が命、という浅草のイメージボードはこの作品においてとても重要だろ。チラ見せ程度にしか使っていないイメージボードを長く映すだけならさしてお金もかからないし。

原作はイメージボードをじっくり見られるという利点がある。アニメはどうしても時間軸が存在するため”じっくり”にも限界があるが、同時に動かせるという利点があり、それを活かしていた。

対し実写版は、書き途中の、アップされた一部分を、短時間だけ見せる、というやり方だった。これはダメだろう……。アイドルが川に飛び込むシーンなどスローで2回流れたというのに。これがこの作品が大事にしているのがなんなのか、ということを示している。

ま、これらは私の邪推に過ぎないし、どんな事情があったにせよ仕上げを御覧じろだしな。批判されるような出来になってしまったのは監督の責任ではある。

この作品が数ある実写化においても最悪なのは、原作が自分たちの考えた最強の世界をアニメという作品に昇華するという、物作りの楽しさを伝えてくれる作品だったのに対し、現実社会での物作りのシビアさをその作品自体が物語ってしまっているからだ。

実写にもアニメにも興味のある若者が両作見たとして、どっちの業界に進むかと問われたらアニメ界を選んでしまっても不思議はない。

今作にもいいところはあった。映像クオリティは高かったよ。とくに3Dと実写の合成シーンは目をみはるものがあった。

それに、お金が無くても良作が生まれることはあるじゃないか。『カメラを止めるな!』なんて最たるものじゃん。

実写映像界にだって才能がある人はたくさんいるはずなんですよ。

金は出すけど口は出さない、なんて都合の良いスポンサーがいればねぇ。だったら映画監督はクラファンとかやったほうが良いかもね? 我々ファンも、この監督の作品なら見たいってときには、チケットにグッズ代の先払いくらいするよね?

ま、アニメにアレルギーがない我々は素直にアニメを見ますけどね! 実写映像界は無理して二次元作品には手を出すな!


ところでnoteにはサポートっていう機能があるわけなんですよ。

本来は「この記事、面白かったよ」という意味で贈るんだと思うだけれども、仕事依頼的な使い方もあるんじゃないかと思うわけで。

サポートにはメッセージを付けられるんで、私に「アレについて書いてくれ」というご依頼があるかたはその旨を記載した上でサポートしていただけたら確実に書きます!

サポートは100円からでもできますんでね、お気軽に! えっへっへ。(めっちゃたくさんきたら時間がかかる可能性があります。そんなことはないとはおもいますけれど)(あんまり高額なサポートだとビビってしまうので募金する程度のお金でお気軽に)

↓サポートは以下からどうぞ。

こんにちは。日本の皆様にお知らせがあります。私の活動の援助をお願いいたします。私は独立性を守るため、皆様からの援助のみで活動しております。援助をしてくださる方は少数です。もし皆様が百円寄付してくだされば私はこの先何年も活動を発展することができます。宜しくおねがいします。