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僕の父の中国メイク開拓記。父と僕の中国の化粧品史。そして未来へ

今回は、中国メイク開拓期と題し、僕の父が1980年の後半頃から中国でメイクを開拓してきた話をしたいと思います。

#中華系メイク #CIDE #naturactor #ロゼット #meiko #明艶

まず、僕の父を紹介します


僕の父はビニール傘もそのひとつですが、日本の化粧品、日用品の輸出入がほとんどされていなかった頃から、パルタックというほとんどの大手の化粧品、日用品メーカーと取引があるであろう会社の海外事業部にいたため、人脈も広く、様々なことに取り組んでいたようでした。

そのひとつが、中国メイク市場の開拓です。最近、少しづつ中華系メイクが日本で流行る兆しが見られますが、この話はもっともっと前の話になります。だいだい1980年の後半からの話になります

花王の営業部長マイケルとの出会い

父が香港向けに日本の化粧品などを卸していた関係もあり、香港のとある業者さんと懇意に仕事をしていました。そこの社長(トーマスさん)の兄がマイケルさんになります。当時、マイケルさんは香港の花王の営業部長でした。当時、まだ日本企業は中国への直接取引はほとんどできなかった時代なので、ほとんどの日本製品は台湾か香港経由でした。つまり、マイケルさんは花王の香港と中国市場の開拓の責任者というすごい仕事をしていた方になります

トーマスさんもすごい方なので、また今度紹介したいと思います(香港でカセットコンロを広めた人物、香港の雑貨協会の元会長さん)、そのトーマスさんが実はすごい兄がいると紹介されたのがマイケルさんになります。僕の父は当初マイケルさんを紹介された時にこれはすごい人物だなと感じたそうです

すごい人物だなというのは、曖昧な表現で申し訳ないですけど、これは僕も何度もお会いしていますが、本当にそう感じます。パワフルでオーラがあります。

父がマイケルさんを独立させる

仕事や熱意、人間性も含めて、あまりに優秀だったために、父はマイケルさんあなたは本当に優秀だから、起業しなさいと独立を勧めました。マイケルさんはすでに父と信頼関係ができていたため、奥さんと共に化粧品の会社を作ることになりました(花王さんすみません!!)

ただ、最初は当たり前ですが、本当に仕事がなく苦しかったそうです。何とか生き延びようと父も働きかけ、父は大阪のある化粧品メーカーをマイケルさんに引き合わせます。その会社が今も大阪に本社のあるメイコー化粧品さんです。メイコー化粧品は老舗の会社で昔、100円化粧品として有名だったようで、私の母の世代は結構知られたメーカーだったそうです。

そこからメイコー化粧品さんは元々香港へ輸出していたらしいのですが、父の働きかけでマイケルさん経由で香港と中国へ輸出を開始します。最近では中国へ直接取引するパターンも増えてきましたが、この時代は台湾や香港経由で中国に輸出するのが普通の時代です

以下父がまた、マイケルさんとの出会いなどをメールで書いてくれました。

父からの伝言

元へ
私がマイケルに初めて会ったのは40歳過ぎだったと思う。
名香の化粧品は当初パルタックの貿易部が独自で、本体のパルタックは名香とは取引がなかった。貿易部で細々と100円化粧品を台湾、沖縄、韓国に販売していた。売れていたのは主にファンデーション、色も一色アジアの女性に向いていたのだと思う。

価格も安いので他のメーカー、外国品も対応できなかったのだと思う。
5−60年前は化粧品は贅沢品で香港シンガポールのみ関税がなく輸入が自由にできていた。台湾は沖縄経由韓国は対馬や厳原でバーター貿易で、窓口が貿易部の主力商品だった。当時化粧品の輸出メーカーは資生堂、カネボウ,花王、マンダム、キスミー等がアジアに代理店を持っていた。アジアもまだ貧しく、輸入関税、規制が厳しく戦後の化粧品輸出は難しい時代が続いていた。

私がパルに入社してから2−3年後にトーマスが20歳くらい、大東市に有ったシボレー男性化粧品の代理をしており、彼の親父が息子を預け、パルタックでも2−3年働き、それからの付き合いが始まった。日本語を覚え香港に帰り、日本商品を香港に輸入し始めた。その頃アルバートの親父が中古ダンプやタクシーの中古の輸入を始め、化粧品の問屋が中古ダンプの香港輸出を始めた。

名香の商品は当時から香港に神戸の中国人の会社から香港の兄弟会社に輸出されていた。貿易部は台湾や韓国に名香の商品をファンデーションを販売していた。売れる色は一色で運び屋が運びのルート開拓および拡販をしてくれていた。20年ほど経過し、トーマスは日本との貿易で長男マイケルより金持ちになっていた。マイケルは当時、花王の香港の営業部長でもっとお金を稼ぎたいと思っていたようだ。

鄧小平が中国広東省に経済特区を創るを発表してから、中国ビジネスで時流に合ったビジネスで成功者が続々で出始め、経済特区の免税店で香港ドルで物が買える時代がきて、マイケルは広東省の変化を肌で感じていた。流通業が認められ、パルも台湾に合弁会社を設立し海外初めての無謀な投資をした。

その時、トーマスから、一度香港に来て欲しいと電話があり、一緒に中国市場を開拓するために香港に行き、マイケルに会った。彼から生々しい中国の変化を聞いて中国の深圳、広東,珠海、海南島を3人で回った。トーマスに兄貴マイケルというのがいることを初めて知り、彼のパワーが理解できた。今まで長いこと私に紹介しなかった理由がわかった。日本に帰ってから名香の社長に電話し、必ず成功させるから、香港、中国に輸出させて欲しいと頼み、許可をもらった。この後からマイケルとの仕事が始まる。 

マイケルの成功は個人として主に中国の写真館、結婚衣装店を通じて、雑誌広告、モデルショウ等でブランドをまず確立し時間をかけて成功に導いた。
名香には自社のブランドであるが、中国にブランドを定着させる費用を払えなかった、払わなかったで製品輸出から半製品製造、原料仕入れ等、製造技術取得、コストを下げ、工場建設、香港、東莞に最後に自社ブランドに変更し、資産を自分のものにした。香港の商売人は強い賢い、パワーを今でも感じる。


マイケルさんが取った賢い戦略

おそらく日本に住んでいると分かりませんが、中国では、Meikoのnaturactorは有名です。皆知っている有名なブランドになっています。現在はMeikoではなく、マイケルさんのオリジナルブランド明艶として売られています

元々は、Meikoの化粧品を輸入販売販売するところから始まっています。

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※メイコー化粧品さんのHPから抜粋

また、普通の販売先のところに行っても、大手の日本や海外メーカーに勝てないことは明白だったため、写真館などプロのメイクがいるところに販売を絞ります。競合がいなかったため、これが大きく当たり、その後プロ向けメイクとして明艶を販売していくことになります。

その後、輸入ではいつハシゴを外されるか分からないため、マイケルさんは自社ブランド化と自社製造を試みます。これは輸入化粧品の宿命というか、輸入化粧品の場合、会社が大きくなり、その国で認知度が上がれば上がるほど本家メーカーは自社でやりたがるようになります。これは化粧品に限らずどの国でもどの分野でも同じです。

そこで、まずはMeikoブランドを徐々に自分の明艶というブランドに変え、さらに自社で製造を試みようとします。自分の子供を日本の化粧品メーカーで修行をさせ、化粧品の製造をみっちり仕込ませました。そして、なんと香港で化粧品の製造を試みます

香港初の化粧品製造メーカーの誕生

そう、実はマイケルさんの会社は香港で初めての化粧品製造メーカーなのです。香港で化粧品を作っている会社は今もほとんどありませんが、その第一号がマイケルさんの会社になります

香港で製造して、中国に輸出するというビジネスモデルがここで完成します。これは本当に画期的な事です。今は中国に日本メーカーが直接行くというのがちょっとづつ普通になってきていますが、これはもっと前の話でほとんどできなかったころの話です。その時代に香港で製造して、中国で売るという誰もやった事がなかったことを成し遂げたのは、本当にすごいなと思います。

今では東莞にも工場を新設し、明艶ブランドは中国の方なら多くの方が知られるブランドに成長しました。

また2年に1回中国で有名人やモデルをたくさん集めて、どでかいメイクショーをやってます。父も何度か招待されて行ったらしいのですが、それはもう豪華みたいです。

実はマイケルさんの会社はこういうこともやっている

ちなみにロゼット化粧品の香港の総代理店がマイケルさんの会社です。香港や中国で売られているロゼット化粧品はマイケルさんの会社から製造販売されていると思います。ロゼットと言えばロゼット洗顔パスタですよね。父はロゼットの前社長さんと仲が良く、よく一緒に仕事をしていた話をしていました。後から聞いてビックリしましたが。

日本では、廃盤になっているロゼット化粧品のはいみるくは実は香港や中国ではまだ売られています。これ、マイケルさんの香港の化粧品工場で製造され、販売されています。中国で見かけられた方は是非。

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※ロゼット化粧品HPから抜粋

香港の大富豪に

今ではマイケルさんの会社は本当に大きくなり、儲かるようになりました。全てマイケルさんの努力の賜物だと思います。もちろん父との出会いやメイコー化粧品さんの協力がなければ、このような成功もなかったかもしれませんが、しかしマイケルさんがいなければここまで大きなブランドにならなかったと思います。

今ではすっかり香港の大金持ちになり、自由に過ごされています。僕も何度もお会いしていますが、今だにエネルギッシュでパワーがあります。またいつも感謝を忘れず、毎度行く度に父を慕い、成功したのは父のおかげと言ってくれます。

本当の幸せなお金持ちというのは、働くバイタリティもすごいですが、人間性も優れているのだなというのを毎度実感します。ものすごく愛妻家で、気配りもすごいです。

経営は息子のIVANへ。そしてCIDEの誕生

マイケルさんは現在、仕事は引退し、経営自体は息子さんのIVANさんが行っています。そう、日本の化粧品メーカーに修行に行っていた息子さんです。彼は僕と年齢が近く、日本語も達者です。最近だいぶ日本語が喋れなくなってきてますが。

今彼は、さらに会社を大きくしようと頑張っています。そんな中、彼自身が考え、作り出したブランドがCIDEです。CIDEはまだ新しいメイクブランドで現在KOLなどを活用し、プロモーションを行っています

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真ん中でメガネをかけているのが、マイケルさんの息子のIVAN。僕の友達。いやもう兄弟。

CIDEのPR動画

参照: https://video.tudou.com/v/XNDEzNDY2MDAwNA==.html?spm=a2h0k.8191414.0.0&from=s1.8-1-1.2

めちゃくちゃカッコよくないですか??

もうひとつのPR動画

参照: https://video.tudou.com/v/XNDEzNDY1Njc2MA==.html?spm=a2h0k.8191414.0.0&from=s1.8-1-1.2

こっちもかなりカッコよく仕上がってます

CIDEのHPはこちら


そしてIVANと僕の時代へ

IVANと僕は結構昔から何度か会ってます。最初に会ったのは10年以上前かもしれません。最初は普通に話す中でした。今ではお互い化粧品の経歴や事業をやっているので、お互いの悩みやこうやったら面白いんじゃないかと話すような中になりました。

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2018年に会った時に写真

いつかこのCIDEを日本で販売できたら、自分がブランドを作ってIVANの会社と組んで香港や中国で販売できたら。親子の世代に渡って、いや私の父はトーマスさんの父から付き合いがあるので、3代に渡って関係性が生まれます。いつかそのような面白い話が出来たら良いなと思っています

香港や台湾、中国へ化粧品販売を考えられている方はこちらへ
















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