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音の絵本を作っている理由

僕は幼い頃、自宅に沢山あった邦楽のレコード棚のなかに、変わったレコードを見つけました。田舎育ちの僕はその頃、黒人を見たことがありませんでした。そのレコードジャケットには、サングラスをかけた黒人が写っていました。その人の名前はレイ・チャールズ。僕は当然英語は、わかりませんが取り敢えずレコードをかけて聴いてみることにしました。45回転のドーナツ盤で曲名は「アンチェイン マイハート(UNCHAIN MY HEART)」でした。

https://www.youtube.com/watch?v=kp_bI2vU7dE

そのレコードに針を落として、変わったリズムにハスキーで心に沁みるその声に自分でも驚く程に体が震えました。それから僕は勉強そっちのけで、音楽にのめり込んでしまったんです。そしてミュージシャンを目指す、もう中学生の頃にはバンドを組んでました。そして某コンテストで入賞して東京に出ました。しかし音楽ではサッパリ食えませんでした。少しでも音楽に触れていたいと思い、音楽業界の音響エンジニアの道を歩み始めました。
幼い頃から音楽と同じように、音響機械が好きだったったのでラジオを作ったり、自作のオーディオ機材を作っていましたので、仕事に慣れるのは恐ろしく早かったようです。

そしていつしかプロのサウンドエンジニアとなっていました。そして有名アーティストでコンサートツアーのサウンドエンジニアの仕事をするようになりました。国内のタレントが多かったのですが、ある日「外タレの仕事頼む」と言われ担当したのが幼い頃、神さまと思った「レイ・チャールズ」だったのです。

初日は1988年のNHKホールでした、その年は彼が歌った「いとしのエリー」が大ヒット。超満員のコンサートでした。

https://www.youtube.com/watch?v=yQPclhg0_Bc

僕はそれから毎年彼が来日するたびに、コンサートツアーのチーフエンジニアを努めました。確か中野サンプラザだったと記憶していますが、マネージャーが「レイ・チャールズ」が呼んでいるというので、付き添われて楽屋にゆきました。ノックをしてドアを開けると満面の笑顔の神さまがそこにいました。

僕が突っ立っているとまるで目が見えるように「何をしてるんだ早く入ってきなさい!」と言われたんです。そして足音で近づくのが分かるのでしょう、直ぐにハグされたんです。

そして彼は僕の顔を見ながら(見えてはないけど)「どんな場所に行っても同じ響きでサポートしてくれてありがとう」と音響エンジニアとしては最高の褒め言葉で讃えてくれました。
耳が頼りの世界的なアーティストに認められて僕は本当に幸せだと思いました。

「目の不自由な天才ミュージシャンに頂いた貴重な経験と音楽の素晴らしさを教えてもらった恩返しをしたい」とずっと考えていました。
そして僕はいつしか「音の絵本」を創り出して「目の見えない人も、見える人も一緒に楽しめる作品を創るんだ」と心に誓いました。これは何も子ども向けだけとか全く考えていません。いつかは大人向けの小説なども協力してくださる、声優さんとか居れば製作したいと思っています。
全ての方が心のスクリーンにさまざまな物語が広がる。そんな日が来ることを僕は夢見ています。スタジオで時間のある限り作っています。ラジオなどでも発信したいと心から願っています。是非応援をお願いします。最後まで読んでくださって感謝します。ありがとうございました。

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