鬼の棲む国 鬼女紅葉伝説

鬼の棲む国甦る鬼女
長野県戸隠村に「紅葉伝説」と言う昔話があります。
紅葉という美しい響きのタイトルですが実は恐ろしい「鬼女伝説」なのです。
時は安和二年、今からおよそ一千年ほど前のことでした。

 万葉集にも名前を連ねる公家「大伴家持」の子孫「伴笹丸」が妻「菊世」との間に子がどうしても授からない。神仏に祈るが叶わず、遂には六天魔王に祈願したところ、それは美しい女の子を授かりました。名を「呉葉」と名づけられた娘はやがて京に上り「紅葉」と改名します。


 美しく賢い紅葉は帝に寵愛を受け局まで上り詰めますが、ついに魔性の鬼女の本性が現れます。帝を我が物にしようと正妻である御台を呪い殺そうと画策するのです。しかし比叡山の高僧に悪鬼羅刹であることを、看破され戸隠に封印されたのでした。妖術を使える紅葉は祈祷や占いで病気のものを助け戸隠村で村人に敬われ大事にされますが、都の華やかな暮らしが忘れられず、次第に欲が出てきて最後には盗賊となり、恐ろしい妖術を使い配下の四天王を従え、近隣の村落を荒らしまわりました。

 時の国守は頭を痛め朝廷に相談します。帝は平朝臣維茂(たいらのあそんこれもち)を紅葉討伐に差し向けました。妖術を使い空を飛ぶ紅葉に手を焼く維茂は北向き観音に十七日間の祈願をします。そんな維茂を北向き観音の開祖である慈覚大師から、寺を守る命を請けた「結城家」。維茂の一行を快く受け入れ世話をしたのでした。

 結城家には美しい一人娘「翔子」と言う娘がおりました。翔子は維茂と惹かれあう仲となりますが、紅葉討伐の命を授かった維茂は己の恋心を押し殺すように戦いに赴くのでした。そして、祈願が明ける十七日目の未明、霊夢を見たのです。白髪の老人が維茂に「降魔の剣」を授け、空を飛び維茂に上空から紅葉の牙城を見せたのです。維茂は作戦を練って鬼女紅葉を見事に討伐したのでした。

 鬼女紅葉物語は終わったかのように思えましたが・・・

現代に甦る鬼の伝説
 ここは一千年後の東京。結城沙耶は一流企業「五井商船」に勤めるОLだった社内でもひと際目立つ存在の彼女。芸能人が多数在籍する青山学院大学の在学中でも一般人の沙耶がミスキャンパスに選ばれるほどの美人だった。
 愛くるしく幼い笑顔とは、よほど似つかわしくない素晴らしいスタイルをしていた。すらりと伸びた長い脚に黒のタイトスカートが男性社員の視線を釘付けにしていた。

しかし沙耶が男性社員に人気があるのは容姿だけではなかった。それは誰に対しても相手を思いやる優しい心、そして勇敢な性格にあった。
実は全社員が或る日から沙耶の素晴らしさを知る事件があったのだ。あれは3ヶ月前のある日、会社のロビーに浮浪者と思われる男が、ふらふら入ってきて誰とはなしにすがりつきそうになっていた。

 男の顔は汚れで真っ黒、髪は不潔で塊ができ、汚れ放題の服は異臭を放っていた。意識が朦朧としているようで、出勤してきた社員も関わりを持たないようにと遠巻きに避けて通っていた。受付の女社員が警備員を呼び、社外に押し出そうと、警棒でつつき最後には足蹴にしたのを丁度、出勤してきた沙耶が発見し、浮浪者を庇って身体を投げ出した。
警備員が動かぬ浮浪者を警棒で殴ろうとした時と重なったため、沙耶の前頭部を警備員が思いっきり殴ってしまったのだ。沙耶は額から血を流しながら「乱暴はしないでください。少しお水を飲ませてあげて、休ませたら元気になるかもしれません。どうかお願いします」と白いブラウスが血で赤く染まり自分の額から流れる血も厭わず、頼む姿を出勤してきた社員全員が見ることになった。

 警備員もバツの悪さと申し訳なさが相まって平身低頭で、ふらふらする沙耶を起こし浮浪者とともに警備室に案内したのだった。

エリートの正体

沙耶は額の治療を済ませたのちに、浮浪者に水を与え、汚れた顔を拭いてあげた。およそ浮浪者らしくない上品な顔を見た時、どこかで見た顔だと思い記憶を辿ってみた。
以前誘拐事件で新聞に載っていた、角菱商事の専務「川島恵三」その人だったのだ。すぐさま警察と病院に連絡を取り事態は急変したのであった。弱冠四十歳で超エリート専務の誘拐は大スクープで暫く世間を賑わせていたが、結局犯人も人質の専務も見つからず、身代金だけが犯人に渡ってしまった事件だった。

 警察は面目をかけて捜査をしているがいっこうに手がかりもなかった。大方の見方としては専務の安否は絶望視されて迷宮いりになると思われていた。しかし朦朧とした意識の中でも何度か訪れた沙耶の会社に来てしまった川島だったのだ。そんな重要な人物を発見、助けたのが沙耶だった。

 すぐさま病院に運ばれ、集中治療をうける川島恵三、極度の栄養失調と長期にわたり束縛されたストレスからくる、記憶の酩酊と言語障害回復には、長い期間がかかるものと思われていた。しかし先進医療を施す手厚い看護が効いたのか、奇跡的に若い川島は見る見る回復していった。集中治療室から一般病棟に移動するのは主治医が想像していた日数の半分以下だった。

 そして一ヶ月後、警察に伴われて沙耶は川島の病室を訪れる事となった。ノックして病室に入った沙耶が見たのは、ベッドから半身を起こして窓の外を見ている川島。警察官からあなたを助けてくれた「結城沙耶さんです」と紹介され軽く会釈をする沙耶。逆光で少し見えにくいが、川島は端正な人懐っこい笑顔が印象的で、「助けていただきありがとうございました」という、すこし擦れた低い声が魅力的な男性だった。沙耶は一瞬ときめいた事がバレそうで恥ずかしくなって「いえ・・・あたりまえの事をしただけです」と言うのが精一杯だった。「僕を庇って額を怪我されたとか、本当に申し訳ありません」「いえ・・・あれは事故ですから、誰も悪くはありませんので」「貴方は優しくて勇気のある、現代では珍しいほどの素晴らしい女性ですね」と会話をしている時に、少し乱暴にドアを開け入ってきたのが川島の妻「川島有希」であった。

エリートの正体 /めぐり合い再び

 有希は頭が良く、育ちも良く、上品な印象で、美しいが、どこか冷めたい雰囲気のある女性だった。有希は沙耶を上から下までジッと見て川島に「どなた?」と聞いた。「僕を助けてくれた五井商船の結城沙耶さんですよ」と告げた有希は「それは、主人が大変お世話になりました。そろそろ主人を着替えさせますのでお引取りください」川島は「おいおい、命の恩人にそんな言い方は無いだろう?まだ時間はあるだろ?」沙耶は「いえ、今日はご挨拶だけでしたので、これで失礼します。どうぞお大事にしてください」有希の「それではごめんあそばせ」と、あまりにも冷たい対応に警備の警察官すら表情を硬くしたほどだった。
 沙耶が別れの挨拶をしてドアを閉めた病室で川島夫婦の言い争う声を背中に聴きながら病院を後にした。病院の玄関を出た時ふと川島有希の顔を見た時の不思議な違和感が気になり、深い因縁を薄々肌で感じる沙耶であった。

ときめきの予感

あれから3ヶ月が過ぎ川島誘拐事件も、ほとぼりがさめた、ある日のこと、五井商船の沙耶に電話がかかってきた。聞こえてきたのは、川島恵三のすこし擦れた低い声だった。先日のお詫びとお世話になったお礼に、夕食へご招待したいと誘いの電話だった。川島の声を聞いたとき、胸の奥でトクンと心が弾んだのは沙耶も自分自身少し驚いた。戸惑いながらも会う約束をした沙耶だったのだ・・・・・待ち合わせた銀座4丁目交差点、行き交う人々。沙耶は遠目からも一際目立つオーラを放っていた。別に特別な服を着ているわけでもなく、少しボリュームのある白いブラウスに黒の膝上のスカート、襟にファーをあしらったモスグリーンのコートを羽織っていた。


 不思議と沙耶のいる場所がふわりと浅黄色の光に染まっている感じなのだ。川島恵三は交差点の向こうから、早々と見つけて笑顔で手を振っていた、まるで久しぶりに逢う恋人同士のようである。川島は妻が急な旅行で来られないことを謝り、お互いに軽く挨拶を交わした。妻のことを話すときに少し苦々しい表情を浮かべた川島だったが、すぐにいつもの爽やかな笑顔に戻った。

 銀座ソニービル近くの地下にある有名レストランに二人は入っていった。ここは川島が大事にしている取引先とごく親しい人間しか招待しない場所だったのだ。席に着くなりシェフが挨拶に来て、今日の為に特別な素材を用意したことを説明してくれた。ワインを頼み、まずは川島の全快を祝い乾杯をした。フルボディーのしっかりした味わいの、ボルドーのワイングラス越しに沙耶と川島の笑顔が揺らいだ。次々と運ばれてくるフランス料理を二人は堪能しながら話が弾んだ。

 川島は話上手で人を楽しませる術を心得ていた、相手の話も良く聞きリードもしてくれる。いつの間にか川島は自分の過去を話して聞かせてくれた。川島と言う苗字は実は母親の苗字で、川島が小学生の頃、父親が失踪、「事件に巻き込まれた可能性が有る」との警察の見解だったが、結局は迷宮入りになってしまった。母は自分を守るために実家にも戻らず、ひっそりと暮らし、母方の苗字を名乗ったのだという。

ときめきの予感 /不思議な巡りあい

 何故母親は自分を隠すように暮らしたのか?今も判らないという。父の家系は平家の末裔だった、祖先を遡ると、はるか昔、平朝臣維茂(たいらのあそんこれもち)であった。平朝臣維茂は安和二年に鬼無里村(現在の長野県)に於いて国守から勅命を受け鬼女紅葉退治をした武将であった。沙耶はここまで聞いて、やっと自分が川島に強く魅かれるのが腑に落ちた。沙耶の実家は裏善光寺、つまり北向き観音を代々影で守り続けた結城家だったのだ。

 何故、北向き観音が裏善光寺といわれるのか、それは善光寺は来世の幸せを願う極楽浄土に行くために、祈願する寺であり、北向き観音は現世でのご利益を祈願する寺なのである。つまり表の善光寺と裏の善光寺にお参りして初めて現世も来世も幸せになれるという言い伝えから表と裏の善光寺と言われるようになったのである。

 平朝臣維茂が鬼女紅葉を討伐する際、紅葉の持つ外法(妖術・魔法・呪文・呪い)に対抗すべく現世でのご利益を祈願するために、北向き観音に参籠して、十七日間の満願の日に霊夢を見て、白髪の老人から降魔の剣を授かり、鬼女紅葉を討伐したのだと言う。沙耶も自分の出生を川島に話した時、一瞬にして二人の心の距離が無くなった。

暗躍する鬼

 暫く沈黙が続き見つめあう二人、川島が何か話そうとした時、沙耶の携帯が激しく鳴った、かけてきたのは実家の近くに住む叔母だった。実家の結城家が激しく燃えている、両親も行方が判らないとの知らせだった。驚きのあまりワイングラスを床に落とした、黒御影の床に落ちたグラスの割れる音が店内に響いた。

 青ざめる表情の沙耶に驚いた川島は電話の後、事情を聞いた。沙耶は急ぎ実家のある長野に向かうことを告げたが、川島は異常なほどの胸騒ぎがして、沙耶一人で向かわせるのは危険だと判断した。沙耶の承諾を得て携帯で長野行きの二人分の切符を手配して向かうことにした。運命とも宿命ともいえる出会いに翻弄される沙耶と川島。影で暗躍する「潜む夜叉」は薄笑いを浮かべ闇に消えていった。

 沙耶と川島は東京駅に来ていた東京発22時3分 長野新幹線 あさま555号に乗車した。別所温泉のある上田駅に到着するのが23時39分の予定である。川島は手早くグリーン車を予約していて、すんなり指定の座席に着いた。沙耶の表情から憔悴の色は隠せず異様な胸騒ぎに、心配ばかりが募っていた。川島は沙耶に「大丈夫、きっとご両親は無事でいるから」と話す。冷たくなった沙耶の手を優しく暖かい川島の手が包む・・・すると浅黄色の光が触れた指を中心に二人を包む。

 意識が遠のいてゆく、光が弱くなってきて映像が飛び込んできた、それは遠い昔の景色だった。沙耶には見覚えがある神社の境内。若い娘と精悍な武将が手を取り合っている。武将は思いのたけを伝えて走る。映像は一気に飛んで先ほどの娘が死んでしまうシーンが見える。空を仰いで激しく泣き叫ぶ若い武将が見えた。

 新幹線の到着のアナウンスで一気に現実に引き戻される二人。見つめあう川島と沙耶、時空を超えた運命の扉が開いた瞬間でもあった。上田市までの1時間36分、二人には数分のような感覚だった。

暗躍する鬼 /戦いの始まり

 新幹線を降り、駅を走り急いでタクシーを呼んだ、別所温泉にある沙耶の実家を目指す。タクシーの運転手が「今日は別所公園の古い家が大火事になったんです」と独り言のように話すのを聞いて沙耶はつないだ川島の手をぎゅっと握りしめた。

 タクシーは上田駅から千曲川を渡り143号を西へと走る。いくつもの池を横目に見ながら左折すると別所温泉の街が見えてくる沙耶には見慣れた景色である。   結城家の歴史は古く安和年間まで遡る、慈覚大師がこの地を訪れた際に随行してきた弟子に寺を守らせるため、結城家の祖先を残したのだと伝えられている。その由緒ある結城家も今は無残にも燃え落ち母屋は殆ど全焼だった消防や警察の説明では両親の死体も無く忽然と姿を消したとしか、考えられないという説明だった。ただ応接室のあった場所は炭素化が進んでいるために、ガソリン等を撒いた放火の疑いが強いと言うことだった。

暗躍する鬼 /降魔の剣

現場検証も終わり、沙耶は手がかりになる物は無いかと探し回っていた時だった。耳にキンと金属を叩いたような短い音を聴いた、音のする方向を見ると仏間にあった観音像とおぼしき木材が横たわっている。表面は焼け焦げてはいるが姿かたちは確かにそうである、この観音像は北向き観音の庭にある愛染桂と同じ老木で作られた像なのだ。沙耶は川島を呼んで観音像を二人で持ち上げようとした、その時眩い光とともに、ゴトンという音を発して縦に真っ二つに割れたのだ、なんと中から出てきたのは古い剣、伝説の武器「降魔の剣」だった。長さは5寸ほどの短刀である、飾りも無いが柄に北斗七星が描かれている。

 沙耶が子供の頃から祖母が話してくれたお伽話。「恐ろしき悪鬼が現れ人々を滅亡せんとするとき観音様の御力を必要とするお方が現れる。その時は、この観音像にお前の手とその方の手を重ねると世を救う宝剣が授けられる」と。子供の時に聞いていた「紅葉のおとぎ話」が実は本当のことだったと知らされた。沙耶は両親を襲ったのも「降魔の剣」を狙っての犯行だったと確信した。

それほどまでに、この剣を恐れているのは伝説の鬼女紅葉が蘇ったとしか考えられなかった。川島は短刀の「降魔の剣」を抜いた。鈍い光をたたえた刀身は錆びてはいない。月光が刀身に力を与えたのか一気に刀身は伸び黄色の光を放つ刀へと変わった。

刀身のまぶしい光の中で意識が時を遡る川島の意識は空を飛んでいた。山の上にある砦らしきものを上空から見ている。甲冑を着た兵隊が壕を越えて攻め込んでいる。鬼女紅葉が石の壇の上で呪文を唱えるが、天空からの光に弾かれて壇から落ちる。そこに一際大きな武将が走りこんできて黄色い光を放つ刀で鬼女紅葉の首をはねた。首は簡単にゴロンと落ちた・・・・

しかし、落ちた首から青い球が空中に飛び出したのが見えた、城の裏を走る赤子を抱いた女を追って飛んでゆき赤子の額に吸い込まれるようにして球は消えた。赤子を抱いた女が何気なく振り返った顔を見て川島は「あっ」という声をあげて驚いた。なんと自分の妻「有希」の母親にそっくりだったのだ、いや、その人だと確信した。

一気に映像は消え焦げ臭い結城家の火災現場に戻っていた。時空を越えた、戦いの火蓋が幕を開けるのを沙耶と川島は感じていた。

ひとときの安らぎ

 寒い現場を後にして上田市内の川島が予約していたホテルへゆく。熱いシャワーをあびて着替えた二人は最上階のバーで話をしている。新幹線での不思議な体験から心の奥底から互いを愛しく守る気持ちが時間とともに強くなってゆくのを感じている。ワインを飲みながらも指を絡め見つめあう、言葉を必要としない時間が過ぎてゆく。自然と唇を重ねた、唇の触れたところから沙耶は自分の唇が白い光に変わるのを感じた。沙耶も一人前の大人の女性である、数人の男性とキスは経験しているが、こんな感じは初めてだった。驚きと魂まで融合する感覚に涙が溢れた、重ねた唇の火傷しない灼熱の熱さに、二人がめぐり合った理由がわかったような気がした。

 ホテルの部屋の中、溶けるような抱擁が続く、透き通るほど白い沙耶の背中に普段は見えない北斗七星のあざが現れている。昨夜から沙耶の背中のアザ、北斗七星が、ひどく疼いている。普段なら危険を感じた時に一瞬痛みを発する事があるのだが、こんなに長くアザが出たままで痛みが続くのは初めてである。明日から始まる激しい戦いを暗示していているように思えた。

戦いの始まり

 翌朝、買い物に行くと言って川島は朝早くから出て行っていた。沙耶はゆっくりとシャワーを浴びた後、白いバスローブを着てテレビのスイッチを入れた時、ドアをノックする音が聞こえた。ドアスコープから覗くと川島だった、なにやら大きな紙袋を抱えている。沙耶は右手で左の襟を掴み胸を押さえ、目が合うと恥ずかしそうに下を向きながら、小さく「お帰り」と言った。
 川島は長野市内にある、登山用品店とミリタリーショップで戦闘用の服を買ってきたと言う。リッジのタクティカルブーツとザ・ノース・フェイスのマウンテンジャケットそして、スイスアーミーのナイフからマグライトや迷彩服まで全て揃えてきていた。
 昨夜は銀座で食事していたのだから、翌日に戦闘服を着るとは夢にも思いもしない二人だった。靴もハイヒールでは戦いどころか普通に山にすら登れない。川島がスーツから戦闘服に着替えている、学生時代、剣道で鍛えた身体は鋼のような弾力のある筋肉を持っていた。沙耶はその引き締まった背中から尻へのラインが美しい後姿を頼もしそうに、眩しそうに見ていた。

鬼女「紅葉」と四天王

 一方その頃。鬼無村の北 ここは鬼女紅葉の居城 戸隠の荒倉山、岩屋の奥に鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬の紅葉四天王が鎮座している。平将門の従属であった武将の末裔で川島の先祖 平朝臣維茂(たいらのあそんこれもち)に滅ぼされたはずである。なぜ彼らが復活したのであろうか?奥の間から出てきたのは川島の妻 有希、そして有希の母親役を演じていた楓。楓は紅葉に仕える妖魔で毒蛇ヤマカガシが老成、紅葉の妖術で化け物に変わったのである。

 有希いや紅葉の正体は幼い頃の名を呉葉といった。万葉集にも名を連ねる名家 伴家の末裔、伴笹丸が第六天魔王に祈祷し授かった女児が呉葉だったのだ。呉葉は都に上がり紅葉と改名、時の源経基(つねもと)公に召され一子を授かり、局まで上り詰めたが御台(源経基の正妻)を亡き者にしようと、呪いをかけたが比叡山の高僧に看破され戸隠に追放されたのだった。

 その後、紅葉は戸隠で源経基の子を産み、もう一度京へ登る資金稼ぎの為に盗賊や殺人など非道の限りを尽くしたのだった。そのために朝廷は平朝臣維茂を信濃の守として召して、紅葉を退治させたのであった。しかし、紅葉の魂は赤子に乗り移り千年の時を経て一層力を増し現代に蘇ったのだ。

 紅葉は妖術で石室にあった鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬の骨に北向き観音の守護役である沙耶の両親の血を吸わせ蘇らせたのだった。最強の鬼女紅葉だが、この世に唯一つ恐れるものが平朝臣維茂の子孫と「降魔の剣」そのため三十年前に少女の姿に変身した紅葉は川島の父に言葉巧みに近寄り、亡き者にした後、幼い川島を殺そうとしたが、危険を察した川島の母が長い間隠れて暮らしたのだった。

 成人した川島を発見したのは、それから二十年後だった、一流企業に勤める川島を妖術でたぶらかし夫婦になったのだ。平朝臣維茂の子孫とは言っても「降魔の剣」を手に持たない限り恐るるに足りない、ただの人間である。
 殺すのはいつでも出来るが、目的は「降魔の剣」を探し出し破壊する事だった。

 結婚して十年が過ぎた頃、東京に住んでいる結城家の一人娘、沙耶の存在を知った紅葉は、川島の偽装誘拐を計画した。そして、川島が誘拐犯から、命からがら脱出したように見せかけて、沙耶に助けさせ「降魔の剣」を手に入れようと画策したのだった。紅葉は、この世界を征服するためは、配下の四天王を復活させねばならず、慈覚大師の弟子の末裔、結城家の血が必要だったのだ。

沙耶と川島が銀座で逢った日、一足先に別所温泉に来た紅葉は沙耶の両親を誘拐、殺害して家に火を放ったのである。しかし、それが仇となり「降魔の剣」を川島に渡すことになろうとは、大きな誤算をした紅葉であった。

 昨夜、川島が「降魔の剣」を手にした瞬間、雷鳴が轟き、首に強烈な痛みが走り、大きな悲鳴を上げた紅葉であった。気づくと首に真っ赤なアザが現れてミミズ腫れになっていた。おのれ!維茂めと毒づき青白い復讐の炎を強烈に燃え上がらせたのだった。紅葉と四天王が見上げた北斗七星は輝きを増しているように見えた。

鬼女「紅葉」と四天王 /もうひとつの武器「破邪の弓」

 川島と沙耶は結城家の書物蔵にきていた。大きな南京錠を開けて中に入った、蔵の中はかび臭い空気が淀んでいた。沙耶がここに来た理由は、祖父が結城家の宝物と言っていた武器がここに眠っているはずなのだ、それは祖母の「おとぎ話」の中に出てくる「破邪の弓」、この弓は天高く舞い上がった鬼女紅葉を天空から撃ち落とした弓なのだという。
 勿論この弓では紅葉を殺すことは出来ないが妖魔相手なら十分の殺傷能力を持っている。広い蔵の中を探すこと1時間、どこを探しても見つからない。沙耶がふと見上げた天井の梁の上に細長い筒状の行李が縛り付けられていた。表面には御札が貼られていて厳重に籐で巻きとめられている。川島に頼んで梯子で登り取ってもらった。
沙耶はお札を破れないように慎重に剥がしポケットに入れた、細長い蓋をあけると美術品のような美しく赤い弓が出てきた。


 平安時代は丸木弓が主流だったが、この「破邪の弓」は表面を竹で打った合成の弓だ。丸木の弓に比べ遥かに貫通能力に優れている。安曇野の梓川で採られた真弓の木を内側に観音堂の裏に植えている真竹を表面に打っている。一見唐草模様に見える弓の表面には経文を刻んでいる。長さは5尺4寸(162cm)と通常の和弓が7尺3寸(219cm)に比べると、かなり短めの弓だ。一緒にあった矢入れの矢は十本しかなく、矢竹でできた漆細工の美しい矢だ、矢羽には鷹の羽をあしらっていた、鏃(やじり)は古く錆びた鉄に見える。

 沙耶は弓を引いてみた青山学院大学時代は洋弓部に所属していた。インターカレッジでも数々の大会でも個人優勝を果たしてきた腕前である。アーチェリーのリカーブボウと和弓とでは勝手が違うが、引き具合も何故か沙耶にピッタリとあっていた。矢をつがい、いっぱいに引き成りにし時だった。

 鏃の先から沙耶の目に突如として映像が見えた!それは大昔の北向き観音。結城家が見えた。緊張した面持ちの武将の一行が見える。それが平朝臣維茂(たいらのあそんこれもち)だと言うのが沙耶には何故か判った。

 翔子は正義感の強い、真っ直ぐな目をした武将「平朝臣維茂」に強く惹かれていた。平朝臣維茂も優しくそして賢い、翔子を心から愛しくおもった、しかし朝廷からの勅命の戦いを待つ身、己の恋心を投げ捨てるように、最後の戦いに出向いた平朝臣維茂であった。鬼女紅葉と戦う平朝臣維茂を慕い少しでも手助けにと追う翔子。手に持つ武器はいざと言う時にと慈覚大師から授かった「破邪の弓」

 襲い掛かる妖魔を撃ち抜く力を持っていた。荒倉山の鬼の祭壇で呪文を唱える鬼女紅葉、 空には稲妻が走り暗雲が凄まじい速さで渦巻いていた。紅葉を討とうと走る平朝臣維茂、しかし、肌があわ立つような笑い声とともに天空へと舞い上がった。翔子は透き通る声で叫んだ「妖魔退散」弓に番った矢がオレンジ色にぼうっと燃え上がり短い発射音のあと、舞い上がった紅葉の肩を撃ち抜いた。落ちた紅葉は渾身の爆風呪文を唱え翔子を吹き飛ばした。

そして火焔の呪いで平朝臣維茂をも焼き殺そうとした時、天空から黄金に輝く光が紅葉を射抜き魔力を消された。石の祭壇から転落した平朝臣維茂が駆け寄り、その首を一気にはねた。
しかし紅葉に跳ね飛ばされた翔子は岩に頭を強く打ちあっけなく死んでしまったのだ。翔子を抱きしめ、悲しみのあまり空を見上げて大声で泣き叫ぶ平朝臣維茂であった。

 その瞬間、蒼白い球が紅葉の首から凄いスピードで飛び出して天空に消えた。同時に眩しい光が走り映像は一気に消えた。
黴臭い書物倉の奥で沙耶が小さくしかし透き通る声で「妖魔退散」と呟いた。すると先ほどまで錆びていた鏃(やじり)がオレンジ色にぼうと燃えた。弓を引いた立ち姿の美しい沙耶が淡いオレンジ色のオーラに燃え上がった。

やっと、やっと、巡り逢えた愛する女(ひと)その姿を真っ直ぐな目で見つめている川島だった。

鬼女「紅葉」と四天王 /妖魔降臨

 愛する者たちが時空を越えて再び出会い宿敵「紅葉」を倒そうと立ち上がったのだ。その時だった。ハイヒールのけたたましい音を立てて蔵に入ってきた女、それは有希の母、いや今や宿敵紅葉の配下「妖魔楓」だった。「これは、これは恵三さん、こんなところで何を探しているのかしら」と聞く。
 川島は何も言わず「降魔の剣」を抜いた、ぼうと黄色い炎が刀身を包む。「ぎゃっ」と後ずさりして楓は胴から下が伸び黒光りする半蛇の姿に変わった。てらてらと濡れ色に光る身体に赤い斑点が薄っすらと見えている。体温を感じない身体、金色の目、口の構造も変わり話すことも出来ないようだ。荒倉山に棲む毒蛇ヤマカガシが老成して紅葉の怨念に呼応するように妖魔になったのだ。

 シュルシュルと長い舌を垂らして毒の牙を剥き出して凄んでいた。ヤマカガシの毒は強烈である、ましては妖魔となった楓の毒は凄まじい、身体をコイルのように縮めて飛びかかる。川島は右に飛んだが楓は動きが早い、尻尾で川島を強烈に撥ねた、もんどりうって倒れる川島に飛び掛る楓。走りながら食い殺す快感を夢見ながら、毒牙から滴り落ちる毒液 床板がシューっと音を立てて溶けてゆく。川島の身体を巻きつけて上から覗く楓、笑っているような音が聞こえる。

 その時だった、蔵の奥から金属の鳴く音がキーンと聞こえた。その音に混じって、透き通った声「妖魔退散」と聞こえた瞬間、金色に光る楓の両目を左から右にオレンジ色の矢が一気に貫いた。断末魔の叫びを上げる楓。川島は手に持った「降魔の剣」を逆手に持って、巻きついた楓の胴体を下から上に一気に切り裂く。悲鳴を上げる楓の頭を飛び上がった川島が上から床板まで切り裂いた。楓は一瞬に蒼白く燃え上がり灰となって霧散した。

 蔵の外では暗雲が立ち込め、別所温泉一帯が魔界と化し外界と一気に遮断された。怨念をエネルギーとする妖魔は激しい活動をはじめた。

鬼女「紅葉」と四天王 /戦場へ

 毒蛇妖魔「楓」を倒した沙耶と川島は一路、荒倉山へと向かう。荒倉山は連山である幾つかの山の集合体の名前だ紅葉がいる岩戸は標高1430mの砂鉢山にある。北の空にはどす黒い血で描いたような雲が渦を巻き、時折稲妻が空を切り裂いている。昼間だと言うのに、まるで夜のような暗さである。生暖かい空気がねっとりとして首にまとわり付く、完全武装で機材を積み込む二人、。

川島が用意していたランドクルーザーで駆ける。沙耶と川島がいる別所温泉から荒倉山の北西の砂鉢山中腹、紅葉の岩戸までおよそ64kmナビによると、およそ1時間30分ぐらいで着く予定だ。麓まで車で行き後は徒歩で登ることになる。別所温泉から143号を新幹線上田駅に向かって走り、鼠橋を渡り、国道18号を北に向かう。

 助手席の沙耶は左手に千曲川を眺めながら呟いた「あなたに逢えて心から嬉しい、でもあの禍々しい鬼が復活したから逢わせてくれたようなもの、平和な世界では会うことすら叶わなかったのですね」無言で聞いている川島。「父や母は、もうこの世に居ない事は感じています」と助手席のガラス越しの千曲川に沙耶の悲しみの表情が映っていた。川島はシフトレバーから左手を外し、無言で沙耶の手を痛いほどに握り締めた。2度と沙耶を離さないと失わないと言わんばかりに川島の手は震えていた。

 歩道を歩く学校帰りの子供たちを見て、川島の脳裏には小学生時代の事件が蘇っていた。父から「見かけない女の子が怪我をしている、病院に連れて行って帰るから」と電話で母に伝言を頼まれたのを思い出していた。そして、その夜、父が2度と帰って来ないのを、知っていたかのように、母は押入れから大きなトランクを持ち出し、その日の内に京都を離れたのだった。

 母は賢く強い女性だった、一人息子の川島を決して甘やかさず厳しく育てた。いつか、お前は命をかけて、世の人を守る生き方をする。決して油断することの無いようにと呪文のように言われて育った。しかし、そんな母も有希と結婚してから、すぐに原因不明の病気で、あっけなく死んでしまった。思えば有希と出会ってから、頭の中にずっと靄がかかっていたようだった。何を見ても心を動かすことも無く、そういえばあれほど大事にしていた母親の死にも涙すら流さなかった事を思い出して悲しくなった。遠い世界の出来事のように感じて全く現実感が無かったのだ。頭の中の靄が消え去ったのは入院先の病室で沙耶に出会ってからだった。思い起こせば、それまで有希と言い争う事等、皆無だったのだ。 

 前方の大型ダンプが左にウィンカーを出していた。記憶の部屋から出た川島は信州大学の三叉路を左折して406号線を西に向かい裾花川に沿って進む、県道404号との三叉路を右折すると荒倉キャンプ場までは車で入ってゆける。ここまで来ると空気が電気を帯びたようにビリビリと痺れるように感じる。山道には大量の低級霊が蠢いていた、今にも我先に飛びかかり憑依しようという気配だった。

川島が剣をぬいた鈍い光を帯びた刀身が、ぼうっと浅黄色の光を放って伸びた。ザザッと下がる低級霊に向かって横一文字に振りぬくと低級霊どもは声も無く黒いすすに変わり霧散した。

鬼女「紅葉」と四天王 /四天王降臨 

 キャンプ場から孟宗竹の山道を歩き始めた。正面から鳥の羽音にも似た強い突風が吹き、笹の葉に視界を遮られた。その時だった、沙耶の上空、背中越しに強い妖魔の気配がした。いきなり羽交い絞めにされ、驚きのあまり「破邪の弓」を落としてしまった沙耶。空から出現したのは四天王の一人、鷲王だった。鷲王は沙耶の白い首筋を舐めながら感情の無い目で川島を睨み付けた。鷲王は「降魔の剣」を捨てるように言った、沙耶を人質に取られては、なす術もない。鷲王の足元に剣を投げた、手から離れた「降魔の剣」は浅黄色の光は無くなり短刀になってしまう。

 悪態をつきながら「降魔の剣」を手に取る鷲王、ニヤリと笑い左手に持ったはずの「降魔の剣」を見るがポトリと足元に落ちた。何事かと呆気に取られる鷲王、見ると左手の手首から先が腐って落ちてしまったのだ。妖魔は触れることすら叶わぬ「降魔の剣」鷲王は其れすらも知らなかったのだ。「うぎゃ!」と悲鳴を上げる鷲王。沙耶を押さえた右手が緩んだ、その瞬間、緩んだ腕の真下に抜けながら、矢を右手で持ち、鷲王の右足の甲に深々と突き刺した。鳥の叫び声のような悲鳴が山にこだました。足を貫いた矢は、オレンジ色に燃え上がり、竹やぶの張りめぐらされた根に食い込み、鷲王の動きを止めた。

 川島は飛び込みながら「降魔の剣」を拾い、横一閃になぎ払った。悲鳴を上げる暇も無く、蒼白い炎に包まれ、人間の形をした、大量の灰が竹やぶにドスンと落ちて風に消えた。

 まずは、四天王の一人 鷲王を倒した沙耶と川島。残るは鬼武、熊武、伊賀瀬の3人、そして恐ろしい鬼女紅葉。鷲王との戦いに勝った沙耶と川島は竹林を抜け、ブナやナラが生い茂る山道を歩いていた。

 前方から凄まじい殺気を感じ立ち止まった、人の声とも熊のうなり声にも似た音が聞こえる。藪から出てきたのは身の丈2メートルはある、四天王の一人「熊武」だった。熊武は柄の長い斧を身体の前で横にして両手で持っている。真っ赤に燃える目で川島を射殺すほどの殺気を帯びていた。沙耶を右手で庇いながら右回りに動く川島、左から今にも飛びかかろうとする熊武。降魔の剣を抜く川島、浅黄色の刀身がぼうと光って伸びる。一瞬怯む気配を見せる熊武だが身体を身震いさせて咆哮した。

 地を揺るがすように両足で大地を蹴って突進してきた。斧を振り回し骨まで粉砕する勢いで切りつけてきた。沙耶を大きな椎の木の後ろに隠れさせて川島は木を背中にたった。首を狙って熊武は斧を振り回す、川島はギリギリで見切り、ひらりとかわす。勢い余った斧は椎の木を3分の1ほどサックリとえぐる。椎の木の上のほうからキーンっと短い金属を打つ音が聞こえた、熊武が見上げる、透明感のある声が聞こえた。「妖魔退散」と同時にオレンジの光が一閃した、いつの間にか椎の木の枝に沙耶が立っていた。破邪の弓から発射された破魔矢は熊武の目を打ち抜いた。と思った瞬間、野生の動きで熊武の右の手を貫通したのみだった。熊武は恐ろしい咆哮をあげて身体を震わせた。

 咆哮を吐き出している口がずるずると迫り出してくる。象牙色の犬歯がメキメキと音を立てて伸びてくる、耳が後ろに引っ張られるかのように尖っていった。顔面は真っ黒い硬い毛に覆われはじめた、むくむくと全身の筋肉は異常に盛り上がり3メートル以上の半人半獣の熊に変身したのだ。ひと際大きな咆哮をあげて、貫通した破魔矢を折り沙耶が登った椎の木の大木を、意図も簡単にへし折ってしまった。

 枝から落ちた沙耶は倒木に肩を激しくぶつけて苦痛の悲鳴を上げた。椎の木が倒れた方角はススキがびっしりと生えている野原だった、沙耶の姿は隠れて見えない。川島は沙耶の声のするほうに走る。それを追って熊武が追う、見た目の鈍重さに比べて非常に素早い熊武だった。身の丈以上もあるススキが視界を遮る、目の前で沙耶の透き通った声が聞こえた「妖魔退散」川島の背中から覆いかぶさるように襲ってくる半獣の熊武。川島は何故か腕を横に広げて前に倒れた、ススキがなぎ倒されて見えたのは、弓をいっぱいに引いている沙耶。短い発射音が聞こえた、弓を横に寝かして二本の破魔矢が熊武の両の目に飛んできた。

 さすがに至近距離の矢は避けられない、熊武がこの世で最後に見たのはオレンジに輝く鏃の先端だった。両目を貫通した破魔矢は脳まで達していた、運動神経をつかさどる脳髄まで損傷しているようだ、麻痺する手足が妙な動きをする。川島は勢い余って通り過ぎた熊武を背中から、袈裟がけに浅黄色の光でバッサリと切り裂いた。蒼白い炎が激しくあがり熊の形をした大量の灰がドスンと音を立てて倒木の上に崩れた。急に強い風が吹いて沙耶の長い髪が揺らぐ、半獣熊武の灰を天空へと一気に持ち去って凪いだ。紅葉四天王 二人目 熊武の最後だった。

 凛とした沙耶の美しい横顔には安堵の色も無く、父と母の無念さを晴らす覚悟が見えた。残るは伊賀瀬とリーダー格の鬼武そして恐ろしき鬼女紅葉。熊武との戦いを征した二人は急な坂道を岩屋へと向かう。大きな岩がせり出している道に、差し掛かった時、妙な悪寒に襲われた。

倒木と岩の間から視線を感じる、スッと抜けた黒い影が地面を走り音も無く凄いスピードで迫ってくる。音を消したテレビの映像を見ている感覚が蘇る。川島の前まで来た時、地面からキラッっと光る短い刀が見えた。黒い影は急に立体化して枯葉を撒き散らしながら、地面から飛び出してきた。川島に上段から切りかかってきた影は伊賀瀬だ、川島は左に避けながら降魔の剣で相手の右脇を一閃した。切ったと思った瞬間 手ごたえも無くスッとまた影になって地面に消えた。紅葉四天王の一人、伊賀瀬の不思議な能力であった。伊賀瀬は妖魔となってから紅葉ほどではないが、妖術を使えるようになっていた。川島を襲った後、すぐに方向を変えて今度は沙耶を目指して地面を走ってゆく。沙耶は岩山に向かってはしる、伊賀瀬は、どんな素材にも関係なく影のままで走る事が出来るようだ。

追いかける伊賀瀬、沙耶は岩の頂上から川島の居る方向に向かって、ジャンプした。同じようにジャンプした黒い影は立体化して沙耶を襲ってきた。沙耶は身体を翻して地面に向かって背をむけながら弓を引いた、キーンという金属音、透き通った声、短い発射音が聞こえる破魔矢は伊賀瀬を貫いたと思った瞬間、伊賀瀬は、また影となり破魔矢は影を突き抜けた。影は矢をかわした後、すぐに立体化して沙耶に襲い掛かる。沙耶は背中から地面に落ちてゆく、その上から伊賀瀬が襲い掛かる背中を地面に叩きつけられ「うっ」と声を上げる沙耶。川島が降魔の剣を持って走る、伊賀瀬が沙耶に覆いかぶさり剣を沙耶に突き立てようとした時だった。

 沙耶が胸の前で指を組み、小さな声で呟いてる「妖魔退散・・・我ここにあり」その時、伊賀瀬は見た、沙耶の瞳にオレンジ色の炎が徐々に大きく光るのを・・賀瀬は首から背中に激痛を感じた、首から入った破魔矢は腹まで貫通して胃に到達していた。悲鳴を上げながら立ち上がる伊賀瀬。天空に向かって飛んだ破魔矢は、まるで意思を持っているかのように、伊賀瀬に向かって戻ってきたのだ。飛んできた川島が伊賀瀬の首を一気に刎ねた、伊賀瀬の首が落ちながら蒼い炎を上げて音を立て灰となり崩れた。突風が吹き、伊賀瀬だった灰を一気に消し去る。

 川島は右の指で、地面に倒れている、沙耶の左の指を絡めて引き起こし、勇敢な恋人を左腕で引き寄せキスをした。その瞬間だけ、時空を越えた恋人同士の暖かいオーラに砂鉢山が包まれた。二人はひと時見詰め合った後、同時に紅葉のいる岩屋にむかって凛とした鋭い視線を送った。もう少しで紅葉のいる岩屋である、ビリビリとした空気感は激しさを増していた。残るは四天王リーダー格の鬼武、そして宿敵 鬼女紅葉の二人だけだった。

 朝廷から逆賊の烙印を押された平将門は後世まで恐れられるほどの魔力を持っていたと伝えられている。その将門の従属であった武将たちの末裔が鬼女紅葉に仕えて魔力を持ったとしても、おかしくは無い。鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬の蘇りし四天王。鷲王は鳥のように空を飛び、伊賀瀬は影となり凄まじい速度で地を走り、熊武は熊と人の半獣として破壊の権化であった。そして残るリーダー格の鬼武の能力とは?

 少し視界が開けた所に古びた寺があった、沙耶の背中や肩の打撲を手当てするために中に入った。造られた年代すら判らない千手観音像が置かれている。ここは何故か外に比べて暖かい、沙耶はコンバットスーツを脱ぎ、ノースリーブの白のTシャツになった。川島がTシャツをめくり背中を見た、北斗七星のアザの右上の肩そして左下のわき腹が青黒いアザになっていた。かなり腫れている、触ると、酷く痛むようだ。リュックから湿布をだして患部に当てた。薬剤の冷たさに沙耶がピクンと反応する。アバラ骨には損傷は無いようだが念のために固定用のバンデージを巻く川島、背中から抱きしめるように下腹部から形の良い大きめの乳房の上まで巻いてゆく。

 最後のバンテージを巻き終わるとき沙耶の指が川島の指に絡んできた、後ろ向きに顎をあげて沙耶が川島の唇を求めた。唇が接触した所から白い光に溶けるような感覚、はじめてキスをした時と同じ熱さだ火傷しない灼熱の熱さに魂が溶け合う。そうして沙耶は背中の打撲が少しずつ消えてゆく感覚を覚えた。長い時を隔てて巡りあった魂は身体をも癒す力を持っていたのだ。魂の熱い抱擁が続く時間が止まったように感じる。

鬼女「紅葉」と四天王 /強敵「鬼武」

 その時だった急に古寺の破れ障子が激しい音とともに吹き飛んだ、二人は急いで観音像の後ろに隠れる。覗き見ると前方の暗闇から鼓の音が聞こえる。ちょうど能舞台に般若が出てくる時と同じだ黒い靄から白般若の面が浮き出てくる。そこを中心に激しい風が吹いて、庭の小石を巻き上げながら二人に襲い掛かる。凄い速度で飛んでくる小石はまるでショットガンのように古寺の木の壁を穴だらけにした。

 古い観音像の後ろに隠れる二人に容赦なく小石が飛んでくる。激しい音を立てて観音像が削られてゆく、空中に浮いた白般若は見えるが鬼武がどこに居るのかわからない。川島が観音像から左に飛び出して注意を引く、小石が川島を狙って床に幾つもの穴を穿った。沙耶は右に飛んで白般若に向かって破邪の弓で破魔矢を放った!金属音・透き通る声・短い発射音がした破魔矢は一直線に般若面に飛んでゆく!しかし矢は無数の小石に削られ、面に届く前にバラバラに粉砕されてしまった。

 沙耶を狙って凄いスピードで小石が飛んでくる。沙耶は危うく頭蓋骨に穴を空けられそうになり、観音像の後ろに飛び込んだ。小石は沙耶を追いかけて床に穴を穿ちながら、観音像を激しく削っていった。左に飛び出した川島は古びて弱った床板を剥がし、床下から前庭を迂回して般若面を右側方から攻撃しようと走った。それを追って小石が飛ぶ、庭の木々や石燈籠まで粉砕して攻撃は続く川島の身に危険が迫る。

 沙耶は千手観音像に必死に祈った。「鬼武を倒す方法を教えてくださいませ愛する人をお守りくださいませ」すると観音像が左手に持っている宝戟(ほうげき)がオレンジ色に光っているのが見えた。金属製のそれは沙耶が見ると同時に音を立てて沙耶の前に落ちてきた沙耶は思いついたように、宝戟(ほうげき)を弓につがえて、弓鳴りがするほど、ぎりぎりと力一杯引いて観音像の前に立った。石のつぶては沙耶を見つけて容赦なく飛んでくる。

 しかし観音像から浅黄色の光がドーム状に沙耶を包み込む、いっぱいに引いた宝戟(ほうげき)の前で石は急にコースを変える。鈍い音を立てて石が床・壁・天井と板といくつもの穴を穿ってゆく、そこの穴から幾筋もの光が入り込んでいる。まるで雲間から覗く天使の階段をみるようだ。

 川島への攻撃は緩んでいた白般若に向かって全速力で走る。いつもより長い金属音が鳴る、そして妖魔退散の透き通る声、短く鈍い発射音がブンと古寺に響いた。凄いスピードで飛ぶ宝戟(ほうげき)を小石が激しく叩くが金属製のそれはビクともせず般若面の眉間に刺さった。恐ろしい咆哮を上げて白般若面が割れた、黒い霞の後ろから鼓を持った鬼武が落ちてくる。鼓には沙耶が撃ちこんだ千手観音の宝戟(ほうげき)が鬼武の右手を貫通して突き刺さっていた。

鼓の魔力が消えて落ちてくる鬼武を川島は降魔の剣で下から上に切り裂いた。蒼い炎は鬼武を包み大きな灰の塊は地面に落下する前に天空からの突風に持ち去られて消えた。宝戟(ほうげき)のみがジャランと音を立てて地面に落下した。

 鬼女紅葉の怨念は鼓に乗り移り、配下のリーダー格、鬼武に妖術の力を与えていたようだ。強敵 鬼武を倒した二人は肩を寄せ合いお互いの無事を喜んだ千手観音に感謝を捧げようと後ろを振り返ったが、そこに在ったはずの古寺は消え、落ちているはずの宝戟(ほうげき)も消滅していた。

 鬼武ですら二人だけでは勝てないことを痛感しながら、神仏の守りが有ることを感謝した。二人は宿敵紅葉の待つ岩屋へと歩み始めたのであった。

鬼女紅葉の最後

 鬼女紅葉が隠れ住む岩屋まで程近い林の中で、何か動く気配を感じた。木々の合間に転がる大岩の向こう側に何者かが隠れている、川島は降魔の剣を抜き近づいてゆく。隠れたものが降魔の剣を恐れたのか、慌てて飛び出して来た、川島は高く飛び上がり相手の頭上から切りかかった。

 その時、沙耶が叫ぶように母親の名前を呼んだ!なんと岩から逃げ出した女は沙耶の母親「結城 幸枝」だったのだ。川島は剣を収め「危うくあなたを殺すところでした」と苦笑しながら謝った。幸枝はひどく怯えていたが、怪我も無く逃げる時に出来た擦り傷があるぐらいだった。沙耶が父親の安否を尋ねると涙ながらに父親は紅葉に「全身の血を抜かれ死んだ」という。自分は今日になって急に四天王が慌てて牢に鍵もかけず、出て行ったため警備が手薄になり、岩屋から抜けられたのだと話す。

 紅葉が今どうしているかは判らないという。幸枝一人では下山させられないと川島は思った。沙耶は紅葉退治に同行することを望んだが川島は拒んだ。相手は、あの鬼女紅葉である、幸枝を人質に取り沙耶の動きを封じれば、戦いが優位になるのは目に見えている。川島は沙耶に母親を連れて下山するように懇願した。ここまで来たら、自分ひとりでも紅葉と対決する。沙耶に、これ以上肉親が死ぬのを見せる訳にはいかないと話した。

 沙耶は始めこそ反対したが川島の強い意志の前には言うことを聞くしかなかった。沙耶は「急いで下山し母親を安全なところに置いて、すぐここに戻るから決して一人では戦いには行かないように」と哀願した。川島はビバーグ用のシートを広げながら、ここで待つことを約束するから送ってきなさいと伝えた。沙耶は名残を惜しんで川島の頬に手を添え別れの軽いキスをした。

 沙耶と母親の背中を見送りながら、川島は2度と逢えないような予感がしていた。二人の姿が見えなくなって、川島は決心したように鬼の岩屋に向かって歩き始めた。鬼女紅葉との宿命を自分の代で断ち切らねば、戦いは飽きることも無く将来も何世紀も続くことになる。そして沙耶と幸せに生きる望みと引き換えにしても、鬼女紅葉を討ちたいと神仏に願った川島だった。

 岩屋の前に立ち降魔の剣を抜いた、般若心経を唱えた「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空・・・・」そして、渾身の力で剣を振った。何かが壊れる音がして、岩屋の中から大量の黒い雲が噴出してきた。その中に赤い鬼の顔がぽっかり浮いている、気持ち悪い笑い声で脳が共振して吐きそうになる。岩屋からは突風に乗って腐敗臭がする、もし地獄の匂いがあるとしたら、これがそうだと思える程の臭さだった。

 大きく開いた鬼の口が光ったと思った瞬間、何本もの槍が川島に向かって飛んで来た。鬼武の石つぶてより遥かに早いスピードで飛んでくる。川島は右手に降魔の剣 左手に降魔の剣の鞘を持っていたが、その鞘がいきなり眩しく光った。なんと銀色に輝く盾に変わったのだ、槍は盾に弾かれあっけなく落ちた。紅葉に向かって飛ぶ川島 激しくぶつかり合う槍と盾が火花を散らしながら川島と紅葉の距離が縮んでゆく、降魔の剣を大上段から紅葉の顔面に渾身の力で振り下ろした。ざっくりと頭に落ちる降魔の剣。鬼の顔は切り口から眩い光をあげて真っ二つに割れた、恐ろしい悲鳴を上げながら落ちる紅葉、あっけさなさ過ぎる紅葉の最後だった。

 紅葉の死体らしきものに近づき、川島は背中に悪寒が走るのを感じた。それは蒼い炎で燃えていない、灰にもなっていない。紅葉の妖術で変身した岩屋の大ムカデだったのだ。川島は岩屋の中に入り捜索した入り口は狭いが奥は長い洞窟になっている。途中右に折れたところに格子があった、おそらくこれが母親の言っていた牢であろう。中を見て川島は愕然としたのだ。血を抜かれ枯れ果てた男と女の死体が2体。と言うことは先ほど沙耶が送っていった、あの母親が紅葉だったのだ。

 川島の鼓動で胸が破裂しそうになった。山道を走る川島、沙耶の後を追う、果たして沙耶の命は?・・・・・・川島が岩屋の大ムカデと戦っている頃、沙耶は幸枝を連れて山道を降りていた、足元がおぼつかない幸枝は木の根っこに躓いてしまった。急いで右手を差し出す沙耶、幸枝の手を握った右手から肌にあわ立つほどの殺気を感じた。慌てて幸枝を突き放す沙耶。幸枝は「痛い、痛い、沙耶どうしたのですか?そんな事をするような子に育てた覚えはありませんよ。早く助けておくれ」「違う!違う!違う!お母様じゃない!お前は・・・・・紅葉!?」と呟いた。

 その時、ドーンと言う大音響が岩屋で起こり、眩い光が岩屋から森を駆け抜けていった。幸枝は顔を歪めながら「ち!ムカデの野郎・・もう維茂に負けちまったか、しかたねぇな」と言うと幸枝の声が甲高い声から低い声に音程が下がってゆく。まるで山全体の空間を歪めるほどの声だ「おやおや、ばれてしまったかね、私の大事な男を盗んだ泥棒猫のあんたにね!」言うか言わないかで紅葉は真っ赤な色の夜叉面となり空間に浮いた。

 紅葉は胸で組んだ手で九字を切りながら呪文を唱える。雷鳴が轟き激しく風が吹いてくる。地面は波うち紅葉から沙耶に寄せて来る。一瞬目眩がするような地面の波に弾かれ、木に激しくぶつかり悲鳴をあげる沙耶。大木に磔にされた沙耶の足首から太腿へヒルのような大量の低級妖魔が肌を舐めながらあがってくる。激しい風に乗って小石が飛んでくる、マシンガンの弾のような小石が木の肌を削り低級妖魔にも当たり悲鳴をあげ黒いススになる。

 沙耶の白い肌が赤く滲んでゆく、紅葉は手加減をしながら、じわじわと殺しを楽しんでいるようだ。渾身の力を振り絞って破邪の弓を持ち上げる、矢をつがえた。金属音が響く、透明感のある、涼やかな声、短い発射音。紅葉の額に向かって飛んでゆくタンっと言う音を立てて紅葉の眉間に命中した。「ぎゃぁぁぁぁぁ」と言う紅葉の悲鳴が次第に高笑いに変わってゆく。「あはははははぁぁぁぁぁぁ!ひぃぃぃぃぃ!馬鹿めわらわには、そんなおもちゃの弓では効かぬわ!これでも喰らえ」と石のマシンガンは威力を増す。

 沙耶の悲鳴が楽しくてしょうがなく、沙耶の頭が割れて中身がドロリと出てくるのを想像して涎を垂らしていた。大昔、沙耶の弓で天空から落とされ、維茂に殺された積年の恨みが怨念が鬼女紅葉を蘇ってますます凶悪にしていた。紅葉は両手をひろげ手のひらを上に向け、身体の下から何かを上げるような仕草をした。見ると苔むした大きな岩がブルブル震えながら浮いてきた手を頭の上に上げて沙耶に向かって投げた。岩が凄まじい速度で沙耶に向かって飛んでくる、岩と木の激しい衝突音がこだまする。そこらに蠢く低級な妖魔たちが一気に消滅するほどの恐ろしい衝撃波だった。

 一瞬、沙耶は目の前が真っ暗になった・・・・・しかし・・・生きている。沙耶の足元にあった大昔の祠が地面を震わせる衝撃で扉が開き、そこに落ちたようである。真っ暗な祠の中、ポケットからマグライトを取り出し点ける。なにやらかなり古い祠のようである、黴臭い内部は漆の武具や弓や槍まであったが使えないほど朽ちていた。壁の周りをマグライトで照らすと古い漆で描かれた壁画があった。そこに描かれていた絵を見て沙耶は目を輝かせた。

 沙耶を追いかけて来た川島が見たのは沙耶の最後だった。大岩が沙耶に向かって激しい勢いでぶつかったのだ。沙耶の名前を叫びながら紅葉の前に走りこんだ。川島は「降魔の剣」を抜いて下段に構えた。黄色の刀身がブンっと伸びた紅葉は「降魔の剣」を見るとブルンと身震いをさせ、激痛を堪えるような唸り声を上げながら叫んだ。「ぐふぅ。。ひぃぃぃぃぃ、人の亭主を寝取った、あばずれ女はそこで挽肉にしてくれたわ。今度はお前の番だ恨みを百倍に返してくれるわ」「おのれ紅葉、よくも父や母を、沙耶の両親の仇、そして沙耶の仇だ!思い知れ!」川島は下段の構えから刀の刃を上向きに替えて一気に降りぬいた、降りぬかれた「降魔の剣」から浅黄色の光の帯が紅葉に走る。空間を凄いスピードで横に飛ぶ紅葉。

 低級妖魔を粉砕しながら光の帯は紅葉を襲う。しかし紅葉の動きは素早く光の帯は空を切った。紅葉の動きを封じなければ勝機は見えてこない。呪文を唱える紅葉、激しい風が吹き、小石がマシンガンのように飛んできて、落雷が川島を襲う。なす術も無く身をかわす川島を猫が遊びながら鼠をじわじわ殺すように高笑いで追う紅葉。岩肌がそそり立つ岩壁に追い詰められた川島。これを最後と目を瞑り覚悟を決め得意技の上段の構えを取った。紅葉は川島を頭から食い殺す快感に酔いしれエクスタシーすら感じているようだった。

 ドーンという音とともに紅葉がひと際大きく変身した。と、その時だった、大きな杉の木の枝からキーンという音が聞こえた。そして「紅葉覚悟 妖魔退散」と言う声とともに、短い発射音が聞こえたオレンジ色の矢が一直線に飛んでくる。紅葉は「馬鹿め!そのような、おもちゃなど恐るるに足りんわ!」と言うと右袖で突風を起こし矢を避けようとした。しかし矢は徐々に速度をあげ、猛スピードで紅葉の額に深々と突き刺さった。地獄の蓋が開いたような、恐ろしい悲鳴を上げて額から稲妻と黒い煙を吐きながら悶絶する紅葉。激痛の中、驚く紅葉が見たのは深々と刺さった矢に巻かれた一枚の紙切れだった。それは「破邪の弓」を隠していた行李に貼られていたお札だったのだ。慈覚大師直筆の「悪鬼平伏」の経文が書かれていたのだ。それ故に長年に渡り簡単に見つかるであろう「破邪の弓」や「降魔の剣」が妖魔たちには見えなかったのである。

 沙耶が祠に落ちた際に見つけた壁画、大昔、紅葉を打ち落とした矢に御札が巻かれていたのを発見したのだ。力尽きて落ちてゆく紅葉は最後の力を振り絞って沙耶を爆風の呪文で吹き飛ばした。叫び声を上げて落ちてゆく沙耶、それを見て最後の薄笑いを浮かべる紅葉。その紅葉の顔が一気にゴロンと地に落ちた、「降魔の剣」が紅葉の首を一気に斬りおとしたのだ。蒼く燃え上がる炎、頭と別れた身体は不自然な反射運動を繰り返しながら蒼い炎に包まれ重い音をたてて崩れた。急ぎ沙耶の元に走る川島、また愛する人を失ってしまうのかと後悔の念に縛られる。高い木の枝から飛ばされた沙耶は岩壁に向かって飛んでいた、激突死した前世が蘇る。

その時だった、天空から白黄色の光が壁を作り沙耶の身体を受け止めて地面に下ろし光は一瞬で消えた。沙耶の無事を確認した川島は安堵とともに過ちを繰り返さぬように沙耶に叫んだ。「青い球を撃ってくれ!」蒼く燃える紅葉の首から青い球が猛スピードで天空に飛んだ!キーンという金属音、沙耶は美しい立ち姿で弓をいっぱいに引いてこう言った。「妖魔退散」逃げ惑う青い球は矢で打ち抜かれバラバラとなって空中に霧散した。青い球の破片がまるで青空の種にでもなったように黒い雲が広がる空が真っ青な青空に変わってゆく。何事も無かったように鳥がさえずり、木々の木漏れ日が差す荒倉山、秋の昼下がりだった。まるで、ピクニックにでも来た恋人同士のように、真っ赤に色づいた紅葉の中で熱いキスを交わす川島と沙耶だった。   完

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