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「人生100年時代の博士すごろく」

 根岸英一先生の対談記事が良いです。井庭崇先生のシェアで知りました。

 山中伸弥先生も言っている「ビジョン」と「ハードワーク」の大切さと通じるところを感じました。

 修士課程で習うのは銅鉄主義に毛の生えたようなもの。現場の叩き上げもほぼ同じ。(「昭和の人生すごろく」の場合はそれでよかったのですが。)

 それとは違う次元で0を1にする部分を習うのが博士課程。しかしそれは辛くて苦しい茨の道でもある。博士号を持っていてもその後のキャリアに恵まれず、独自のテーマ設定ができず、冴えない一毛作を続けているように見えるケースは多い。つまり博士の実力が発揮できていないように思うのです。

 ここでの根岸英一先生の指摘は重い。

『ただ、博士号を持っている者に研究の観点から課せられる責任は高くなければいけないと思います。そういう伝統が今まで日本に少なかった。博士号のプロセスが不十分な点として、1つは博士から企業に入った人のパフォーマンスがかなり悪かったんですね。
 もう1つ留意すべきなのは、その人が実力を発揮するためにはある程度時間がかかるということです。博士号を取ったら、だいたい30歳になるわけでしょう。そうすると、実際に成果を上げるのは何歳をもって限度とするか。40歳から45歳までとするか。研究者として、ある一定の年齢の間にしっかりしたことをやってもらわなければいけない。何年の猶予期間を与えるかによって立ち上がりの早さも変わります。』

 そう思うと大学院改革も大切だけど、博士号を取ったの後のキャリアをどうサポートするのかの方も、今問題になっている研究力や論文生産性の低下を食い止め、挽回する上で大切だと私は考えています。つまり0を1にする研究に課せられている高い責任を誰が担うのか。

 博士取り立てですぐに独自の研究テーマを作れる人はほとんど見たことがない。まともな論文だって独りで書くのは本当に難しい。なのに企業に入って放置されたらパフォーマンスなんて上がりっこない。根岸先生のようなスーパーマンなら別ですが。

 私が幸運だったのはいろいろな素晴らしい指導者の真下で経験を積めたこと。指導者が研究に課せられる高い責任を担ってくださっていた。正直、その伝統の中で鍛えてもらってて少しずつできるようになって来たのです。もちろん、まだまだ道半ばですが。

 まあ大人の話はさておき、今、若い世代に伝えられるのは「良い師に出会え」というぐらいです。でも、出会ったら最後、毎日のように「ビジョン」と「ハードワーク」で苦しめられるんですけどね。

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