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カタチが変わり、届くもの。<第9回>月刊浅草ウェブ【公式】メールマガジン

こんにちは。
ついこのあいだお正月を迎えたと思ったら、もう2月ですね。
日ごと夜明けは早くなり、確実に春は近づいているはずなのに、朝の冷え込みは相も変わらず容赦なし。毎朝決死の覚悟で布団を跳ねのけている編集人・まい子です(笑)。

最近、「活弁士・麻生子八咫が語る!月刊浅草オーディオブック【深見千三郎篇】」を繰り返し視聴し、改めて深見さんという人に、思いを馳せています。
私はこれまで、自分の書いたものを読み返すということが、ほとんどありませんでした。何かこう・・・こそばゆくて、直視できないというか(笑)。
ところが不思議なもので、〈文字〉が子八咫さんの〈声〉というカタチに変化したことで客観的な視点が生まれ、抵抗感なく過去記事に向き合えるようになったのです。
【深見千三郎篇】の元記事(「浅草六区芸能伝⑩」)を書いたのは4年近く前のことですが、現在の自分が深見さんという人について、あの頃とは少し違った見方をしている部分もあることに気づかされました。

昭和50年代まで浅草の実演舞台で絶大な人気を博し、多くの芸人から「浅草の師匠」と慕われていた稀代の天才コメディアン・深見千三郎。
アズハチ(東八郎)や欽坊(萩本欽一)ら、弟子たちが次々とテレビ界へ進出し、華やかに活躍する中、深見さんはどうして浅草の舞台に留まり続けたのか。執筆当時は、浅草芸人としての意地と誇りゆえの選択だったに違いないと納得していましたが・・・果たして、それだけだったのでしょうか?
戦前・戦後の混乱期を必死で潜り抜け、芸の道を生きてきた、深見さん。
生きるためには、どんなことでもやって来たでしょう。
彼に限らず、あの時代の芸人さんで、後ろ暗い過去が何一つない人など、恐らくいないはずです。
表に出て脚光を浴びるということは、裏もいじり散らかされるということ。
愛弟子たちが世に羽ばたいたとき、~殊に、たけしさん(北野武)という最愛の息子にも等しい存在ができてからは、なおのこと~深見さんは、万に一つも自分の存在が彼らの出世の妨げになってはならない、と…そんな思いを、抱いたのではないかしら。

もちろん、全てはちっぽけな一記者の邪推であり、本当のところは、たぶん永遠に謎のまま。
けれど、こんな風に時々、過去記事に触れてさまざまに思いを巡らすことはすごく大切だし、次へつながる意義ある行為だと、今回改めて学びました。

カタチが変わることで、届くものってあります。
「月刊浅草ウェブ」から派生した「浅草ユーチューブ!」の音声コンテンツは、「月刊浅草」の読者層を拡大するとともに、予想外の層へも届く結果となりました。
視力の問題で小さな文字を追うことが難儀な方、日々忙しくてじっくり活字と向き合う余裕のない方などから、ラジオを聴き流すように気軽に楽しんでいます、というお声を多数いただいています。
また、音声コンテンツをきっかけに、ウェブ記事→冊子へと逆流してくれた方たちも(笑)!
いずれにせよ、ひとつの変化をきっかけに、より多くの方に興味を持っていただけたことを、編集部一同、大変嬉しく思っています。

さてさて・・・
ここからは、今月の推し記事紹介コーナー!
新旧の話題とりまぜバランス良くお届けしたいということで、こちらには、どこか懐かしくほっとするような雰囲気の記事を集めてみました(^-^*)。

☆まずはお馴染みレギュラー執筆者の人気連載より2本。

●熊澤南水「心と表現」〈第30回〉
〝縁は異なもの味なもの〟。出逢いは、人生の謎解きですね。

●原えつお「浅草文庫講演会の記録」〈第9回〉
雲右衛門ならぬ、牛右衛門とは…? 興味深いスピンオフ・ストーリー!

☆つづいて、昭和40年代の「月刊浅草」に掲載された著名作家陣の寄稿より、ノスタルジックな香り漂う随筆を3本。

●土師清二(はじせいじ)「十円と童貞」
甘酸っぱい(あるいは、苦っぽろい(笑)?)青春の〝通過儀礼〟。浅草らしい情緒たっぷりに、前後編でお届けします。

●近藤富枝「豆売りのおばあさんと荷風と」
少女時代を回想しながら吾妻橋に立つ著者のイメージが、いつしか永井荷風のそれと重なり…。


今後とも初心を軸に、トライアルを繰り返しながら、より良きものをより良き形で、より多くの方にお届けできるよう、みなさんと一緒に楽しみながら進化してゆく「月刊浅草ウェブ」であり続けたいと思います。

冬の終点も、すぐそこ。
コロナ禍の雪解けだってきっと、もうすぐ・・・と信じつつ、気は緩めず健康管理に細心の注意を払いながら、日々それぞれに頑張って、あたたかな春を待ちましょうね^^!

2月1日 編集人・高橋まい子





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