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百華繚乱

※これはGaNさんが執筆されている『幻想浪漫譚〜マーセナリーズ・コンチェルト〜』および周辺作品のIf外伝の物語です。


「貴様が"ヒガン"だな?悪いがその命、貰い受ける!」
 雲一つない晴天にもかかわらず、黒い白縁の傘を携えた袴の人物を中心に、黒いローブの男達が輪を描き取り囲んでいる。宣言どおり、取り囲まれているそのヒガンという人間を殺すつもりなのだろう。しかしそれだけの数に囲まれておきながら、ヒガンは狼狽するでもなく、傘の手に両手を添えて微動だにしないまま、ただ溜息をひとつ吐いた。
(これは手酷く裏切られたものですねぇ。契約破棄ですか)
 依頼人がヒガンへの依頼を反故にし、機密を漏らされないよう殺すために刺客を差し向けた――そんなところだろう。刺客の中心には、依頼の契約の際、依頼人の側を常に離れなかった右腕的存在の男もいる。
(相当私を始末したいと見える――ですが)
 ヒガンはこの状況において――静かに興奮していた。
(少しは楽しませていただかなくては)

      ✿

「この度はご依頼ありがとうございます」
 男とも女ともとれない不思議な佇まいのそいつは、行儀良くソファーに腰掛けてにっこりと笑った。
「わたくしこういう者です」
 そいつは袖から出した万年筆で――よりにもよって赤いインクで――自分の名前を書いた。
『月詠 華』。つくよみ……
「つくよみ、ひがんです。この漢字、彼岸花に似ているでしょう?だから"ひがん"にしたんです。お気軽にヒガンとお呼びください!」
 そう言ってまたにっこりと屈託なく笑う――これで暗殺の仕事を引き受けようとしているのだから、こいつは読めない。ご主人様はこいつを信用したようだが、俺は信用するものか。長年右腕を務める俺の頭が警鐘を鳴らしている。

 暫くして、「もっと安く暗殺を請け負ってくれる奴を雇った」という理由で、ご主人様はヒガンとの契約を切り、その始末を俺に命じた。そして、今に至る。
 俺の指揮する戦闘部隊はそこらの国の軍隊にも負けやしない自信がある。相応の覇気を放っているはずだ。
 なのに、どうしてこいつは――笑っている?

「あーあ、こんなことになるなら、あんなフレンドリーな自己紹介しなきゃよかったなぁ!」
 突然大声で素っ頓狂な声をあげたかと思うと、今度はにたりといやらしい笑みを浮かべた。
「"ヒガン"の名前を知る者には、みんな死んでもらわなきゃいけません」
 その一言に、俺はじめ戦闘員達に悪寒が走ったのが分かった。何故だ。こんな人間たった一人に!
「かかれ!」
 早く潰してしまわなければ!俺は号令をかけた。戦闘員が一斉に飛びかかる。
 その瞬間、ガウンッ!という発砲音がしてヒガンの姿が消えた。見渡せば、その姿は遥か上空――。どうやら傘の先端に仕込まれた銃の反動を使って高く跳躍したらしい。
「やれやれ、手荒い歓迎ですね」
 奴はあの時のようににっこりと笑いながら――傘を広げ空中をゆっくりと降下してくる。自在に形が変化する傘なのだろう、奴の体重を空中に留めることができるぐらいに広がっている。
 だが上空に逃げたからといって移動ができるわけではない。地上では我々が待ち構えている。これで終わりだ!
 そう思っているとヒガンはゆっくり降下しながら、懐から何か取り出した。それは何か紙のような――そしてそれをふわりと地上に投げる。ひらり、ひらりと花びらのように降りてくるそれに自然と目を奪われた。
「文字は踊る。桜の花弁のように。言葉は刺す。薔薇の棘のように。ならば私も散らそう、美しい華達のように!」
 俺がその紙を取り、開いたのと、ヒガンが何か唱え終わったのはほぼ同時だった。そこに記されたのは、赤いインクで記された『月詠 華』の文字――。
「爆ぜよ、虚華(そらはな)!!」
 刹那、ヒガンの名前が書かれた紙から閃光が走り、強烈な爆発が起こった。俺を中心に集まっていた戦闘部隊たちはその爆風をもろにくらってしまい散り散りになってしまった。――だがまだ立っていられる、腕や脚を吹っ飛ばされたわけではない……!隊員達がうめき立ち上がる中、ヒガンは腹が立つほど優雅に地上に降り立った。
「そうですよね!このぐらいでは死にませんよね!?そうでなくては!」
 あの穏やかな笑顔から一転、口角を歪ませてヒガンは笑う。そして腰の懐中時計を手元に取り出し、文字盤とは反対の面の蓋を開くとそこから紫色の煙が立ち込めてきた。
「な、なんなんだこれは……!?」
 やがてヒガンがバサリと傘を広げると、紫の雲が立ち込める中、霧雨が降り始めた。視界が悪くなる――だけではない!身体の力が抜けていく!
「うふふ……流石は伍伎衆≪ペンタグラム≫、素敵な仕事をしてくれる」
 ヒガンは傘の下、うっとりと懐中時計に口づけをした。
 自分だけではない。他の隊員達も身体の力が抜けていくように動けなくなってゆく。まるで雨に命を吸い取られているような……。
「大体お察しの通りですよ。この雨は"刻・霧憑音(きつね)の余命納(よめい)り"。あなた方のマナを吸収する力を持つ、命を削る雨。――どうです?もうそろそろ立てなくなるんじゃないですか?」
 地面に這いつくばる俺たちをわかりやすく見下すヒガンに腑が煮え繰り返る。すでに息絶えた隊員達もいる中、せめて俺だけでも一撃喰らわせてやる……!歯を食いしばると、突然、ヒガンが身体を反らして笑った。
「最高ですねぇ!私の見込んだ通りだ、あなたの苦悶の顔、最ッ高に、美しいですよ……!!」
 腹が立つ、腹が立つ腹が立つ!雨を押し除け、渾身の力で立ち上がると、パチン、という懐中時計の蓋を閉める音と同時に雨が止んだ。紫の雲が晴れ、晴天が広がる。
 バサリと傘を畳んだヒガンが、傘の柄に両手を添え、俺の前でニッコリとほほ笑む。
「くっそが……!!」
 残りの力を振り絞って、拳を握りしめて振りかぶる。
 ――だがその弱々しい拳は傘で軽くいなされ、俺の首がヤツの傘の柄に引っ掛けられてしまった。
「ああ……美しい。あなたは今、絶望していますね?私に一撃も喰らわせることができなくて。とても美しい……咲いた花は散り逝く様まで見届けるのが、私の主義なのでね。――ただ、もうひとつだけ、あなたにはお仕事をしていただきましょう」
 傘を持つヤツのもう片方の手首が俺のうなじに回されたかと思うと、瞬間鋭い痛みが走った。そしてぞくぞくと身体中を何かに這い回られる感覚に陥る。なんだこれは――なんだこれは!?
「人の心は豊かな苗床です。種を植えれば美しい華を咲かせるのです。さぁ見せてください。あなたの美しい華を。そして私が愛でましょう――『さぁ、おいで』。"種拉印(しゅらいん)"」
 こいつは何を言っているんだ――!?という感覚が、次第に薄れていく。ああ、なんということだ、こいつの言葉が、心地よく感じるなんて――。
「種拉印(しゅらいん)はこのブレスレットから私の血でできた針を刺し、貴方の心を支配する技。さぁ、そのまま身を預けてください。私がたっぷり愛でてあげよう」
 ああ、嗚呼、記憶が薄れていく。俺は今、何のためにここにいるんだっけ――?
「さぁ、素敵な"お華さん"。私を裏切ったツマラナイご主人様を殺しに行きましょうね」
 ころす?俺は、殺す――。
「ふふふ、普段守ってもらっている右腕に殺されそうになる人間は一体どんな顔をするんだろうね?くくっ、あははははは!!」

      ✿

 屍に囲まれたヒガンの歪んだ笑い声が、晴天に吸い込まれていった。

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