戦後78年間ずっと、日本はアメリカの属国のままなんや。元首相は殺され、国民は薬会社の実験台。
昨日紹介した山岡鉄秀さんの本『シン・鎖国論』を全部読みました。
今の今、日本がいかにヤバい状態なんかがようわかります。移民の話、島原の乱の話、WHOの話、コロナやワクチンの話、消費税の話、核武装の話、、、もう論点が多すぎて、とても全部紹介できません(笑)。ほとんど、私がいつも書いてることにつながる話で、めっちゃ参考になりました。
実は日本は戦後ずっと今に至るまで、間違いなくアメリカの属国なんやという現実を、いやと言うほど思い知らせてくれはります。タメ息が出て来ます。そんな中で、重光葵(しげみつまもる)さんに、もっと注目をという話は、私がよう知らんかっただけですが、しっかり認識せなあきませんね。一方で吉田茂は、戦後日本をダメにした元凶や、というのにも深く同意できますね。
この人の名前が教科書に出て来るのは、戦艦ミズーリ号上で、降伏文書に署名するところ、ぐらいでしょうか。敗戦直後の大混乱の中で、こういう人がいたからこそ、日本は何とか「半」独立を保てたんやという話です。
昭和20(1945)年9月2日の降伏文書調印の翌日、マッカーサーは「日本國民ニ告グ」として、後に「三布告」と呼ばれる、GHQの最初の布告を出そうとしていた、と。その内容は
というもので、いわゆる「軍政」を敷くことが想定されていたようです。そんなもん、ポツダム宣言にも反するやんか、ということで9月3日の当日、重光さんはマッカーサーのおる館山に行って、サシで話して猛然と反対したんやそうです。山岡さんの本に戻りましょう(P241)。
実はこの時点では沖縄はもう占領されていて「軍政」が敷かれていたんですね。この時の重光さんの働きについて、国際政治学者、歴史学者、京都大学名誉教授の中西輝政さんは、「歴史に残る偉業」と評価してはるんやそうです。
堂々と主張する者は、逆に尊敬されるんですね。ところが、
あっ。今回、岸田首相が垂秀夫中国大使を更迭したのを思い出しました。それにしても、日本が戦争に負けた直後の話なんか、そもそも聞きたくもないもんですから、私はあんまり調べたこともなかったんですが、実はめっちゃ際どい話がいっぱいあったんですね。
マッカーサーがこの前の8月30日に、厚木飛行場に着いてタラップを降りてくる写真は有名ですが、あの時、彼はビビりまくっていて、お漏らしをしていたという話もあります。実は日本軍はめっちゃ強かったので、もうビクビクやったようです。
重光=マッカーサー会談があった館山は、もちろん先遣部隊が到着していて、付近一帯は「軍政」が敷かれていたようですが、さっきWikipediaを見たら、こんなことが書いてありました。
おいおい、何のことはない、アメ公の野郎は上陸していきなり乱暴狼藉、物品略奪、拉致暴行、かいな。やっぱりただの土人やな。いずれにしても重光さんが戦後の混乱期に見事に日本の尊厳を守ってくれはったことは確かですね。
まだまだ私ら日本国民が知らなあかん話はいっぱいありますね。戦後78年、何にも変わってへんやないか、というのが正直なところですね。そして山岡さんの本にはもっともっと、たとえば横田空域の話とかも出ています。
実は日本はまだ、アメリカの属国やんか、ということです、、、。
【文中リンク先URL】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B8%83%E5%91%8A
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08300600/?all=1
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