中田プロフィール写真から

劇団員インタビュー(1)中田光昭×渡邉裕史

☆20周年記念に、これまで劇団衛星に関わってくれたみんなへ、思い出やメッセージを聞くインタビューを行ってきました。公演が終わり、今度は、今所属している劇団員へ、現在、KAIKAやその周辺で関わってくれている若いメンバーからインタビューしてもらいました。

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9月某日 KAIKA近くの飲食店にて

インタビュアー:渡邉裕史(KAIKAスタッフ/KAIKA劇団 会華*開可)

中田光昭くんにインタビューをさせてもらいました。中田くんは、僕がフリンジシアタープロジェクトに所属した後に入って来た数少ない”後輩”の一人なので、フランクな感じでお話させてもらいました[渡邉]

渡邉:それではよろしくお願いしますね。

中田:なんか恥ずかしいですね。二人きりでご飯したことないんじゃないですか。

渡邉:あー、二人ではなかったけ。

中田:あ、あったか。入ってすぐくらいに、近くの定食屋さんに連れて行ってもらって…。

渡邉:そうか。(KAIKAの)近くの人達に紹介しに行ったんやね。それ以来くらいかな。

中田:それ以来かもですね。

渡邉:まず衛星の人たちって、基本、一緒にご飯行かないからね。

中田:ご飯行かないですね。すぐ帰りますね。

渡邉:健康な生活やね。昼間稽古してるからかもしれんけど。

中田:あんまり飲みに行ったりしないですよね。

渡邉:中田くんは、誰とご飯よく行くとかあるの?衛星に入ってから。

中田:衛星メンバーとですか?

渡邉:まぁ、入ってから関わるようになった人を含めてでもいいけど。

中田:中谷(和代)さん(※ソノノチの代表。フリンジシアタープロジェクトにも所属)が多いです。中谷さんとはちょいちょい行ってます。その次は、ファックさんかな。

渡邉:ファックさんとは、二人っきりで?

中田:二人っきりは、二回くらいですね。引っ越しを手伝ってもらった時と、gateの『お母さんとファック』(※2013年3月の「gate#9」にて、ファックジャパンが上演した作品)のオペをした時に、すごいおいしいお店に連れて行ってもらったんです。

渡邉:衛星に入ってから、ワークショップで衛星以外の人とも知り合う機会が多かったと思うけど、そういう人も含めたら、誰とよくご飯行ったりするの?

中田:うーん、村松(敬介)さん(※元イッパイアンテナの俳優・制作)ですね。今週も飲みに行くんです。村松さんが一番多いですね、この3年のなかでは。


劇団衛星との出会い

渡邉:衛星に入ったのは何年やっけ?

中田:2012年11月です。

渡邉:劇団衛星を知ったキッカケは、何やったの?

中田:衛星の舞台を観たことがあったんです。2008年の東山青少年活動センターであった、『ブレヒトだよ!』。ファックさんがインパクト強く載ってるポスターを、大学の校内で見たんですよね。大学2回生の時でした。あと、僕の仲のよい先輩が撮った自主制作映画に、首藤さんが出てはって、映像で観たことあったんです。それで、「首藤さんが出るらしいで」と先輩にも聞いて、観に行ったんです。

渡邉:首藤さんは、まだ当時は客演(※衛星の劇団員ではない)やんね?

中田:そうですね。その後に、首藤さんが劇団衛星に入って、演劇だけで食べていってるって話を聞いたんです。それで、劇団衛星って給料出るのか…って知ったのが、首藤さんが入ってからですね。

渡邉:そうなんやね、首藤さん影響なんやね。

中田:そう言われたら、首藤さん影響ですね。

渡邉:観たことあった作品は、それだけ?

中田:それだけです。

渡邉:あ、じゃあ、そっから4年くらいあいて、衛星の門を叩いたんや。ちなみに、首藤さん(の出演作品)は観てたん?

中田:観てないですね。

渡邉:別に追いかけてるわけではなかったのね(笑)

中田:ベビー・ピーの公演があるって話は聞いたりしてたんですけど、行ってなかったですね。


衛星に入るまで

渡邉:衛星に入りたいなって思って、でも最初は急に入れるわけじゃないやん。見学みたいな感じからやん。

中田:そうですね、入りたいんですってメールして。そしたら、たぶん植村さんからやったと思うんですけど、中之島(※ABCホールで5月のGWに行なわれる「中之島春の文化祭」。この年、劇団衛星も出演していた)に観においでって言われて。それは観に行けなかったんですけど、そのあと、『サードハンド(※2012年6月にKAIKAで上演した公演)』の稽古があって、その見学にちょいちょい行きました。

渡邉:『サードハンド』があって、その後に参加したのが、京北やんね。(※「子ども環境劇場 in 京北」。フリンジシアタープロジェクトが毎夏に行なっている合宿型の環境演劇ワークショップ。講師やスタッフとして、劇団衛星メンバーも参加している)

中田:そうです。そこで、べってぃーさん(※渡邉のあだ名)に出会ったんです。

渡邉:そうやんね。『サードハンド』の稽古場にそういう人(入団希望者)が来てるってのは、うすうす聞いていて。2、3回くらい見かけてはいて、すれ違いざまに挨拶くらいはしてたんやけど、ちゃんと改めて自己紹介みたいなんはしてなくて。

中田:すれ違ってましたっけ?

渡邉:うん、僕は認識してたよ。身長でかい人がいるなって。

中田:あぁ。

渡邉:でも、舞台スタッフではなさそうやなぁって。最初は叩き(舞台作業)の手伝いの人かなと思ってたけど。

中田:そうです、叩きを手伝ってました。それで、舞台監督の渡川(知彦)さんにちょっと怒られてて。その時から「ちょっと使えへんやつ」って思われてると思います。いいように言えば、スピード重視でやってたんですけど、早よせなあかんって思いがあって、サササッてやったら、雑やったんですね。その雑さで怒られまして。

渡邉:京北には一日お手伝いに来てもらったね。その時には川遊びの手伝いに来てもらって。その後もいろいろと手伝ってもらっているうちに、(劇団衛星に)入ってる感じやったね。8月の京北に行った後、11月に入団するまで、何してた?

中田:黒木さんから声かけてもらって、山城こみねっとの公演(※山城こくみん劇『茶ダンス天国』)の演出助手をしました。

渡邉:黒木さんが演出やってたやつやね。

中田:そうです、そこで村松さんと出会い…。

渡邉:あ、そこで村松さんと一緒になったんやね。


衛星に入ってからの3年をふりかえる

渡邉:衛星に入って、最初の仕事って覚えてる?

中田:何でしょ、なんかめっちゃ、名簿の入力作業とかしてた気がしますね。役者としての最初の仕事は、メイシアター市民劇の二年目、『カレーと村民』に出ました。(※吹田メイシアター×大阪大学協同事業市民演劇として上演された、一般市民と大阪大学学生、プロの俳優が共演した舞台作品。蓮行が演出を担当)

渡邉:ごまさん脚本、蓮行さん演出の市民劇やね。

中田:ニットキャップシアターの織田(圭祐)さんとか、劇団空晴の上瀧(昇一郎)さんとかも出てて。バッチバチに怒られ…。

渡邉:(苦笑)それは蓮行さんにってこと?

中田:そうです、蓮行さんに。

渡邉:けっこう中田くんも出番あったよね?

中田:そうでもないですよ。ちょろっとですよ。

渡邉:水をあやしげに売っていて、豪快に飲んでた印象があるからかな。

中田:その後はほとんど寝てるだけの役でしたからね。

渡邉:そこで出会った人とかとは、今でも交流が続いてるんでしょう?

中田:そうですね。

渡邉:それはいいよね、市民劇ならではで。でまぁ、そこで蓮行さん初演出を受けて、実際、演出を受けた印象はどうでした?めっちゃ怒られた印象があるにせよ。

中田:いや、でも的を得ているとか、「あ、プロだ」って。素直にプロだって思った。

渡邉:今まで受けて来た演出と違ったことは何やった?

中田:やっぱりそれは、蓮行さんが役者に演出をつけない、役者が自分で考えたものを持ってこい、というところでした。それで、僕は自分の技量のなさを思い知らされた。僕は今まで何をしていたんだろうって痛感しました。

渡邉:『カレーと村民』が終わって、次に覚えてることってある?時系列にたどっていこう。3年くらいやし。

中田:えっと、もうコックピットがしんどすぎて…。

渡邉:コックピットって、『岩戸山のコックピット』(※2013年10月、KAIKAでの公演。『劇団衛星のコックピット』を新作も含めて4本一挙上演した)のほうやね?

中田:もう、「ワォワォワォ」みたいな…(奇声)

渡邉:それは、しんどかったのはどっから?たとえば、(舞台セットを)めっちゃ組まないとあかんやん?

中田:全部ですね。(舞台作業も役者としても)全部が僕のせいでいろいろ迷惑かけて。

渡邉:今まで自分がやって来た公演のなかで、一番しんどかった?

中田:もう、無理でしたね。胃が痛くなるっていうのを初めて経験しました。人生で初めて、胃って痛くなるんやって。食べ過ぎ飲み過ぎじゃないのに胃って痛くなるんやって経験した24歳でした。

渡邉:なるほど。

中田:特に、その公演のすごく大変な時に、僕は社用車をぶつけるという事故を起こしまして。ぶつけたのが地味にひどくて、「これやっちゃってますね」って修理の人に言われて…。

渡邉:それでまた(現場が)険悪な感じになるってことやんね?

中田:もうすべてが。人生でこの半年は絶対に忘れないだろうってくらいに。今でも笑えないです…。

渡邉:(あの公演は)建て込みも早くからしてたんやっけ?

中田:してましたね。8月後半くらいから、2週間泊まり込んでましたね。まぁ、(作業していたというよりは)別の意味で泊まり込んでたんですけど。自分の稽古のためもありましたし。

渡邉:そうやね、ファックさんと夜な夜な残って稽古したりしてたよね。

中田:いや……。(レコーダーに近づき)「ファックさん、あの時はすみませんでした」

渡邉:これを通して?

中田:これを通してしか言えないこともあるなって。

渡邉:中田くんがやっていた役は、過去に大下(眞次)さんとか小島聡太さんとかがやってたのが映像でも残ってるけど(※中田くんが小島聡太さんにインタビューしている中でもその話が登場しますので、そちらもぜひ読んでみてください)、そういうのも観たりしたの?

中田:だいぶ観ました。夢に、蓮行さんがずっと出て来るんですよ。そして、夢の中でもずっと蓮行さんに怒られるんです。自分の実力がないってことですね。

渡邉:逆にそういうことを言ってくれる場ってのも、すごいよね?

中田:あ、それは蓮行さんも言ってました。プロの現場だと何も言われずに切られるからって。

渡邉:その辺は、”劇団員”ってものに対するものを感じるよね。

中田:ファックさんも、蓮行さん優しいって言ってました。目をかけてくれたのに、全然応えれなかったのが…。(テンションの下がってきた中田くん)

渡邉:まぁまぁもちろん、新しく入って来た子ってのも久しぶりやったやろうし、そういう部分も感じるよね。特にファックさんとか。

中田:(マイクに近づき)「ファックさん、すみませんでした」

渡邉:それが、入って一年目の出来事やね。

中田:一年目でしたね。

渡邉:僕が思うに、中田くんが徐々に自分のポジションで力を発揮し始めたのは、それ以降やと思うわ。

中田:えー、そうですか。

渡邉:いや、わかんないけど。一年目とかは、(みんなも)中田くんが何ができるかもわからんし、事務作業が得意な方でもなさそうやし、お互いに手探りやったと思うし。その後くらいからやと思うわ、やることを広げていったの。中田くんが自分のポジションを確立していったのは。ごめんね、えらそうに。

中田:いえ。

渡邉:それの後は、『珠光の庵』をはさんだりしてるけど、次のヒストリーは、何が出てくるの?

中田:城崎での『珠光』ですね。

渡邉:…飛んだな。守山(滋賀県)と京都の『珠光』もあるけど。

中田:ほんまや。(劇団衛星は)本公演やってない時は、『珠光』やってる感じですね。

渡邉:その、城崎珠光の時は、誰でもできそうやけど、誰もなかなか手を出しにくいところを埋めて行くのを、中田くんがしてたと思う。

中田:そうですか。

渡邉:あったと思うよ。体力を削ればできることが多いけど、体力を削らないとあかんから。そこを中田くんが担ってくれて助かってた部分があったと思う。話飛ぶけど、「gate」の打上とかでも、中田くんの料理が楽しみやって声があったりするからね。楽しみにしてる人も多いってうわさやで。(植村注※中田くんは料理が得意で、KAIKAの3Fで打上をする時は、主に彼が料理をつくってくれています。城崎に滞在した1週間も、彼が料理担当で毎食つくってくれていました。)

中田:(笑)

渡邉:それで、次は、『サロメ/オイディプス』やね。映像を触りだしたんはそのへん?

中田:そうですね。

渡邉:『サロメ/オイディプス』の時に、サイトも作りだしたもんね。(※20周年記念公演のサイトは、中田くんが担当していました。)

中田:そうですね。中谷さんが教えてくださって。サイトをいじれるようになりました。

渡邉:そういう意味で、さっき言ってた、徐々にやることを拡げていったっていうのが、このあたりに出てるよ。

中田:確かに、いろいろね。

渡邉:『プロトタイプ』に至っては、ついに映像の編集もしてたし。どんどんポジションを広げていってるよね。

中田:(少し宣伝)Youtubeに映像を毎日あげてるんで見てください。「KOSHOチャンネル」と検索してください。

渡邉:映像を触りだしたのは、サイトと同じくらいの時?

中田:「gate」の映像の編集なんかもしてましたので、サイトより先ですね。

渡邉:ほんまに、やることを徐々にひろげてるね。そもそも車の免許とったのも衛星に入ってからやっけ?

中田:あー、そうや。そうですね。

渡邉:衛星入って、免許がないとねって話やったもんな。(※劇団衛星のメンバーは、まず、パソコンと運転免許を得るよう言われます。)この3年でできるようになったこと、めっちゃ増えてるんじゃないの?

中田:劇団衛星のおかげですね。車の免許取れたのも。取りに行くための時間もらえましたからね。仕事の時間に教習所に通ってました。

渡邉:そうやね。(WEBで)みんなのカレンダーを共有してるけど、そのカレンダーに「教習」って書いてたもんね。

中田:いちおう学科パスなんで早いですって言いながら、なかなか取れなくて。一回仮免も落ちてるんですよ。最後の停車で縁石にぶつけて。

ーーこのあと、中田くんから見ての、劇団衛星の先輩の印象を聞いてみたのですが、迷走したので割愛。ーー

渡邉:メンバーの中では、誰がしゃべりやすいの?

中田:一番、ファックさんがしゃべりやすいです。ファックさんと黒木さんが一番仕事一緒にした時間も長いですし。

渡邉:ファックさん黒木さんが一番多くて、その次が僕くらいかな。

中田:そうですね。でも、べってぃーさんと一緒に長く同じ現場にいるってのは、少なかった印象ですね。

渡邉:創作の現場で一緒になることは、あんまりなかったからね。

中田:あ、でも、『ビリビリ直子ちゃん』(※KAIKA劇団 会華*開可公演。2012年11月上演)もやってますね。つい自分主体で考えちゃうな。

渡邉:俳優の仕事として、ワークショップも、年間かなりの数を行ってたんじゃない?

中田:行ってました。

渡邉:自分の中で印象深いのとかある?

中田:初めてワークショップに行った小学校が印象に残ってますね。初めてっていうことと、村松さんが一緒やったんですよね。

渡邉:また出たね、村松さん(笑)。

中田:最後に小学生から手紙もらったんです。忘れもしないですよ。今でも色紙と手紙を残してます。


これからのおはなし

渡邉:今後、自分はどうなっていきたいというのはありますか?

中田:ここ何年かは、演劇から少し離れるかなと思っているんです。20代後半は、自分の地盤をしっかり創りたくて。あと、映像作品を創ることにも挑戦したいんです。でもやっぱり帰って来るのは舞台かなと思っているんですが。

渡邉:いったん、小劇場の舞台からは離れて活動しようと思っているというのが、今後のビジョンやね。

中田:そうですね。

渡邉:まぁこのインタビューで発表するのかちょっとわからないですけど、この9月末で劇団衛星を退団するということで。

中田:はい。

渡邉:では、これまで関わった人とか、観に来てくれた人や気にかけてくれていた人に向けてのメッセージと、劇団衛星の人たちへのメッセージを、それぞれいただいてもいいですか?

中田:はい。今まで僕の舞台を観に来てくださった皆様、本当にありがとうございました。露出する機会は当分減るとは思いますが、そのうちすぐに別の形で僕の姿をお見せできたらなと思っていますので、その時まで、末永く待っていただければ幸いです。

渡邉:では、衛星のみんなに。

中田:衛星の皆さんには…。わぁすごい恥ずかしいなぁ……。3年前に何もできない僕を拾っていただき、いろいろ教えていただいて、成長させていただいたと思っています。本当にありがとうございました。また、僕が実力をつけて、ご一緒できる日があればと思っていますので、その時はよろしくお願いします。

渡邉:恩返ししたいと思ってるわけやもんね。

中田:そうですね。

渡邉:締めてもらう言葉をもらっておいて、最後に付け加えるのもなんやけど、京北のワークショップに行ってる時の中田くんは、似合ってたと思うよ。

中田:(笑)京北、もしよかったら来年も呼んでくださいね。

渡邉:これからの中田くんの活躍も祈ってます。がんばってください。これからもまたよろしくお願いします。

中田:はい、よろしくお願いします。

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【劇団衛星よりお知らせ】

中田光昭は、2015年9月末を持ちまして、劇団を離れることとなりました。

これまで応援・ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。今後とも、中田光昭と劇団衛星をご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いします。

劇団衛星の活動継続と公演の実現に向けて、みなさんのサポートを、ありがたく受け取っております。応援ありがとうございます。