三都物語。

関西人と一括りにされても大丈夫なのは、実は海外にいる時だけだ。国内にいると、すべてのエリアを一緒くたにされると激しく異議を唱えてしまう。特に京都、大阪、神戸の三都市に昔から住む人間はその傾向が強い。イタリアの都市国家に似ていて、この三都市に住む人は激しいほどのローカル愛に溢れている。関東の人が、よしもとで話される極端な大阪弁を距離感を一気に縮めようと神戸や京都の人に言うと、秒殺でこの人アホみたいの態度になるし、神戸の人に洋菓子を手土産にすると、その本店は神戸やねんけどと失笑される。京都で大阪で流行っているカラフルな色の洋服を着てると田舎もん扱いされるし、大阪で量の少ない高い小洒落たレストランを選んでしまうと、適正価格で美味しいもの知らんとは食のこだわりがないイケてない人と思われてしまう。

朝ご飯にパン派かご飯派、どちらなのかという会話で、パン派といってもドイツパンなのか、クロワッサンなのか、フランスパンなのかそれによって違うんやけどと真っ向から回答して、好きなベーカリーが最低でも4店以上スラスラ言えるのは間違いなく神戸の人。

直近の京都での戦は?との質問に、「応仁の乱」と答えられなかった京都の人は今のところいないし、もし「イケズ選手権」なるものがあるとすれば、京都人は2位に大差をつけての優勝杯を受け取る。

大阪には世界のモードに関係なく、基本的に常にヒョウ柄の洋服及び小物品は常備されている。特に靴はほぼ間違いなく置いている。

男性の名前をちゃん付けで呼んだり(例えば、太郎君なら太郎ちゃん)、お寺や神社をさん付けにしたり(清水寺なら清水さん、八坂神社なら八坂さん)、大学生の学年の呼び方(例:今年何回生なるの?はい、三回生です)、家でお好み焼きとタコ焼きが焼ける象印のホットプレートが必ずあるところなんかは、三都市共通ではある。

と書いたところで、なんのオチもない終わりになってしまった。オチのない話は何となくダサいという感覚は関西人特有だという気がする。

温かいお気持ち、ありがとうございます。 そんな優しい貴方の1日はきっと素敵なものになるでしょう。