ナンの回


例えば、終電を乗り過ごしてしまった駅前。

マンガ喫茶‥‥お、ポパイがある。
よし、とメディアカフェ・ポパイへ。始発が5時から動くとして、こっから5時間パックでいいか。3時間パックと5時間パックと9時間パックと13時間パックがあって、ぜんぶ奇数なのがいつも怖いんだよな。オープンブースだと980円で最安なんだけど、一回も横になれないのはさすがに腰に来ちゃうかなー。フラットブースにするか? 土曜・日曜休みの今は土曜深夜だけど、眠りはしないにしても5時間…横になっておかないと明日遊びに行くのに支障出そう。…でもまぁ… 一日寝る日にしようかな。さいきん外でのご飯続きで口内炎出来ちゃってるし。冷蔵庫のほうれん草、端のほう溶けてきてた感じするし。あぶなそうな野菜、ごっそり使って肉野菜炒めにしようかな。いや、野菜炒めかな…


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(こういうのを鳴らす音)

はい終わり。上京して直後、よりむしろ最近、日増しに


これ系の「祖母に説明するのはむずかしいだろうな」トリガーが引かれることが増えてきてるのはなんでなんだろう、と思っている。「ぼな~ら」みたいな「点」のことでもだし、そういうののたくさん繋がって「線」になったものを、もしもばあさんに伝えようとするとき、すごくお互いに孤独を感じるだろうと思う。波照間島で、夫が管理を放棄していたさとうきび畑での農作業と、生まれた娘の教育、自分が生まれてからは孫である僕の子守り、(やがて見張り)、を続けて今も地元にいる祖母は、たぶん「メディアカフェ・ポパイ」を知らない。終電を逃して帰れない、の「帰れない」の感じどころか、「終電」にももしかしたら説明がいるかもしれない。口内炎、は方言の「ぐちやみー」で言い換えるとして、「外食が続いた」のニュアンスの共有もきついかもしれない。(結果「3つのぼな~ら」の説明もかなわない)
野菜炒め? 肉あるんだから、肉野菜炒めにしたらいいさ。「一日寝る日にしようかな」と思ったことは。それを実行できた日曜日はあったのだろうか。夫の世話に、娘や息子や孫たちの世話…まで思い至ったところで、この「ナンのイラスト2」と

ナンのイラスト、ナンのイラスト2があって今まで2しか見かけていない
/橙田千尋

祖母、とのとほうもない距離を思うとき、それがほとんど快楽のようなものへ紐づけられてグッときていることに気づく。すごく遠いところまで来てしまったような気がする。

小学校4年生の3月にお別れ駅伝大会というのがあって、一日かけて島を一周したあと校門の前で撮ったクラス写真にも祖母は映っている。大会からすぐに帰ってこない僕を心配して、(でも集合写真を撮ってるくらいの時間だったのに)、学校まで様子を見に来たら、生徒と先生しか映らないような「そこ」に祖母は映ってしまっている。


それどこで見つけたの、って聞くとうれしそうに美大生みたいに答えてくれる/だや


それどこで/見つけたの、って/聞くとうれしそうに/美大生みたいに/答えてくれる

というふうに切って読みました。三句目・9音だ。派手な9音に目を取られるけど「美大生みたいに」という字余りや喩えの消費カロリーだって、けっこう派手だ。はみ出した音のぶん伝わってくる「うれしそう」な感じは「美大生みたいに」を言ってるほうにも「うれしそう」な影響を与えている。自分はこの「美大生みたいに」、喩えとしてはあんまり決まってないと思う。めんどくさいことを言っている者、に「思春期かよ」とつっこむくらいの強度しか持ってない感じがする。でも、それくらい「あんまり決まってない」ことで、テーブルの上がこの「うれしそう」な二人だけになり、以後、こっちはそれらだけを見つめる時間に集中できる。

がつがつと、全やりとりでウケようとしている人間は、最初の段階の「顔見知りになる」は突破できても、なかなかこういう「うれしそうに」なにかを言ってくれる、の親しさまでいくことができない。だからこれは僕には〈ごちそう〉に見える。

いい機会だったので、今回いただいた短歌で目についた言葉や手つきを分類して図にしてみた。おそらく全首ぶん、言葉や作歌の手つきのどこかは振り分けられているはずなので、各自でご確認ください。

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その雪は熊笹をしならせるように川にとめどなく手を伸ばす朝/藤本玲未

「しならせるように」以降の読みがむずかしいんだけど(つまり、雪の重みで垂れていく「熊笹」の先端を「手」に見立てての、葉の「とめどない」川への接近なのか、「手を伸ば」しているのは、一度3句めで切れてからの主体の動作なのか)、どちらの場合で読んだとしてもある程度近い手ざわりを、静けさの表出や緊張感と共に読み手に手渡せている、と感じた。(嫌な言い方をすると「水準に達している」…)もちろん、静けさや緊張感の部分だけで「いいな」と思うわけではなくて、そこでさっき貼った図の出番なんだけど、「熊笹」、検索したら葉っぱのとがりと白いふちのところがかっこよくて

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これが雪の重みで垂れてる川辺にいたらそりゃグッとくるわ、という説得力と、それが「雪」や「川」という【縁がない】ゾーンの語彙でもって描かれた景色に置かれている、その配置を美しく感じた、という合わせ技での「いいな」の感想、ってしだい。これがもし「雪」や「川」が【親近感】ゾーンの「直射日光」や「海」だとかえって点が辛くなったのかも。「直射日光」と「海」の風景には私もうるさいですよみたいな。「熊笹」、そんなところに生えないと思うのでこれは使い道のない「もしも」だけど。


一つだけ持って帰って飾りたいタイムマシンのぐにゃぐにゃ時計/勝手口門出


マンガを描いたりしてるダ・ヴィンチ恐山さんというかたが以前ツイートで、「創作で、でかい嘘ほどなるべく最初のほうでついておくと後で楽」という持論のあと「ドラえもんが四次元ポケットから、ドラえもん自身よりも大きい未来アイテムを『にゅん』と出してくる」ことで「ああ、この世界ではそういうことなんだ」とスッと「四次元ポケットという設定」に入っていける、みたいに書いてて、そういうものなのかな、と思いつつ何年も頭にある言い回しなんですけど、上の歌の「タイムマシンのぐにゃぐにゃ時計」、これドラえもん達がタイムマシンに乗ってるとき通る通路みたいなところの背景に描かれてあるやつですよね、これも「最初の方でついてた『でかい嘘』」かもだな、と読んでて思いました。

ダリの絵画からの引用なんだろうけど、あそこ(タイムマシンの通路)にあの時計(ダリのぐにゃぐにゃ時計)をレイアウトする、なんかその作者のチョイスってよく考えると愉快ですよね。あれが欲しくないひとっているのかな。僕も持って帰りたいです。

で、やっと一首の話なんですけど、欲しいんですよ、欲しいんですけど、持って帰りたいとも思うんですけど、この歌はその先に来る、僕はそこまでは思わなかった&短歌のスピードが作者に言わせてしまった ような「飾りたい」の部分がこの歌おもしろかったんですね。じゃっかん、最初に言ってたことへこじつけるなら、「短歌」という嘘にそれでも宿ってしまった実際のなにか、みたいなね。

「いくぞ」「われらの」「ウルトラマン」じゃないですけど、3音→4音→5音、のたたみかけって気持ちいいですよね。「持って・帰って・飾りたい」。あのぐにゃぐにゃ時計、でなにかを詠もうとしたところから始まったテンションが、短歌、という装置に加速させられていって、デタラメとまでは言わないまでも主体に「飾りたい」まで言わせてしまった何か、その瞬間を見れた楽しさや、ともすると怖さ、があった一首でした。


今回いただいた短歌です。

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今月も短歌をありがとうございました。投稿先のリンクはこちらです。

・月の末日までに届いたどれかへ1首評を書き、翌月の3日にこちらのnoteへアップいたします。

・引用された短歌は既発表作扱いとなります。
(新人賞応募作品等に組み込めなくなります) 

・投稿歌・投稿者に関して、文章以外の形で喧伝・口外することはありません。 

・短歌内の「 」(半角スペース)は適宜「 」(全角スペース)に変更します。半角のほうを希望されるかたは、名前の欄に()で記載してください。

伊舎堂 仁(TWi ID:@hito_genom)



※1平出さん(からの投稿でしたか?)、投稿、「平井奔」で来てましたよ。