2月 人が辞めていく… 日記
●2月1日(水曜日)
武蔵野線から中央線に乗り換えるまでの階段を最近は気をつけて降りている。
●2月2日(木曜日)
『クレイジージャーニー』の崖から飛ぶ人の回を観る。この人が死ぬとして、死因はこれなんだろうな、という人
石田純一にも見えるし、ジグソウみたいにも見える
レクター博士にも見える
ヨシダナギさんって東直子教室に生徒として通ってる東直子さん っぽさがある
日常のそこをそう見るんだ、みたいな短歌や、妙な持論の短歌が多めで、けっこう激務な本業のお仕事をされていそう
おれのことなんてマークしてないんだろうなーと思っていたらけっこう文フリで同人誌を買ってくれたりする
●2月3日(金曜日)
斎藤潤一郎『武蔵野』に描かれていた/書かれていたステーキの焼き方をしてみる
味が濃く感じられたような気がした。
マッシュポテトがわりに添えた、お湯を入れて戻したじゃがりこがすごくおいしくて、ステーキ肉の印象に割り込んでくるようなこんなものが、100円で買えるこの世が頼もしかった。
そのあと「月に吠えらんねぇ」読んだのでマイナスが出るくらいにこの気持ちは帳消しになった。
「オッドタクシー・インザ・ウッズ」が流れてる横で奥野紗世子『オーシャンビューの街のやつ』を読んでいたら、両作品にマッチングアプリと〈巨大浴場の脱衣所で写真を撮ろうとする〉が出てきた。
休憩時間のトラックの助手席で本を読んでいると「本なんか読みやがって、 「本が読める自分を見せてきやがって、
「気に食わないやつだ、 のような目線を受けることがあるし 実際にそう言ってくる社員もいて その人は禁止されている車内タバコを注意したら、そんな決まりを作った会社じゃなくおれと戦おうとしてきたので馬鹿すぎて、もうパートナーを組まなくなったし、そんなときの目はそんなときの目で鋭く野生で好きなんだけど、
夜が始まって夜が終わるまで、そのあとにくる朝も終わっていくまで、をこうして小説の外から通り過ぎさせてもらえる、盗み聞く、ようにそこでの会話をちゅうちゅう吸う、 を、自分の体はその世界に置かずして延々おこなえる、は「快楽」なんだ、気持ちよくてやってるんだ、 気持ちいいが好きならタバコ休憩をする人ほどタバコにも読書にも手を出していいはずなのになんでなんだろう、タバコの人としか生きてて毎日出会わない、こんなに楽しいのに、とこれまでいろんな本で思ってきたことを『オーシャンビューの街のやつ』でまた思った。
奥野さんの小説に表紙がほしい。「逃げ水は街の血潮」「無理になる」「オーシャンビューの街のやつ」で一冊にならないかね…
●2月5日(月曜日)
ブックセンターいとう・国分寺店が閉店するとのことで、なにかいいものが無いか買いにいく。
カートコバーンが語ってるDVDがおもしろそうだ。50円だった「図鑑」「THE WORLD IS MINE」の歌詞カードが読みたくて買う。正確に言うと歌詞カードだけ本棚にあったらかっこいいのじゃないかと思って買う。
帰りながら早春書店と七七舎にも寄る。
つげ義春の本、永井祐さんの「57577について」が載っている『びーぐる』を買えて嬉しかった。『びーぐる』は大学時代にゼミを担当してくれた山田先生がやっている文芸誌だ。卒業に際しての何かのパンフレットを作る折、受け持ちのスペースに「女・子供を騙して大儲けできるような小説を書きたい」と書いたのを読んだあと「…まあ、あなたはこれでいいでしょう。」のようなことを言わせてしまったのが山田先生との最後の記憶で、いまでは思い出すのも恥ずかしい。「まあ」じゃなく「もう」だったかもしれない。
話す日が来るなら、大学時代より緊張しそうだ。
ふすまを持ち上げたときに天井の棹に当てて出来たキズを「図鑑」の後ろの紙で隠す。
●2月7日(火曜日)
西国分寺で人身事故。コンコースに、初めて見たくらいのすごい人だかり。
検索したら、「昔は西荻窪、今は西国分寺って感じ」「西国分寺の人身事故は今や新小岩を越えているという話さえある…」と言っている人がいた。
カレーうどんを夜 初めて作った。
カレーがどうスープになるんだと二十代のころ思ってたんだけど、めんつゆでのばすらしい
最初「精液を顕微鏡で見よう」にしたあと、やっぱり変えた
●2月8日(水曜日)
帰るころには大雨。
新秋津駅前の電話ボックスの中で「あーーーーーーーー」と泣いてる女の人がいた。
「あーーーーーーー」は誰にでもくる。
自分が「あーーーーーーー」のときに誰に、何をされたら、世界や偶然から愛されてる、を感じることが出来るだろう。
「あーーーーーーー」を「あー…」くらいに、それから「……はぁ……」あたりに落ちついて、家系ラーメンでも食べて帰るか、となれるんだろうか、みたいなことを考えながら駐輪場まで歩いた。
駐輪場に着いても「あーーーーー」は聞こえた。
結局この世で自分があの女の人にできたことはこんな日記であの人の「あーーーー」を〈掠め取る〉だけとなった。
人が「あーーーーーー」のときに「大丈夫ですよ」や「よければ話を聞きましょう」、そんな奴最悪だけど「うるさい!」と言ったりするのは「あーーーー」の人にとっての「うーーーーー」だったり「あーーーーー!」だったりでしかないので何にもならないのじゃないか、ということを、アイディアの一切が実用的であった経験のない頭で思う。
振り切れてしまって「あーーーー」になった感情はもう言語での解決を取れる領域にはなく、
【竹とんぼを渡される】なんかがあーーーが「…あー…」になる糸口なのじゃないか。
こっちが「あーーーー」になっていたら、感情でも言葉でもなく、竹とんぼが手に乗っている。
(そしてこれは【自分は世界からバカにされている。】と判断や・見切りをつける・最後の一押しとさえなってしまうかもしれない)
それでも、「あーーーーー」には竹とんぼ等(とう)なんじゃないか、と思う自分は夢想家である
掌底のように耳にパーでの打撃が入り、2日ほど鼓膜が破れるに覚悟の取れた「竹とんぼ」を「あーーーーー」の電話ボックスのなかのひとに渡せる準備がいつでもできる人間に、それか通帳にいつでも人にあげられる1000万円が入っている人間にならない限り、ということは必然的に【世界はあなたを軽んじてないですよ】を鼓膜を覚悟にやりにいける人間にしか、こんなところでお菓子や焼き肉やセックスを楽しんで生きていい資格はないと思
いたい。
感情と言葉の駅前に妖怪のように現れる
家帰って靴洗って録画のガキ使いを見てワイン2杯飲んでつげ義春を布団にうつぶせで読んで寝た。
●2月9日(木曜日)
こうやって仕事から帰ってきて音楽流してTwitterみながら酔った頭でブラックサンダーを食べてると、自分が生涯で読めると思ってる本 から-1000冊、自分が生涯で愛聴できると思ってるアルバムから -350枚くらいしないとなあと感じる。
こんなに文化への好奇心が駄菓子と安い缶酒で大負けしていく30代だとは思わなかった。
あしたは早々に2℃くらいになるらしいけど、午前中にジョギングをして、三鷹に古本売りに行ったあとラッキーだったらコメダ珈琲で海老カツパンを食べながらなんか書く。
●2月10日(金曜日)
コメダ珈琲をあきらめる。雪の日にコメダ珈琲に行った、って思い出はでも欲しいなー。
キャンドゥで買ったソイミートをお湯で戻す。
6回くらい噛んだら一瞬だけ肉?って味がする
●2月10日(金曜日)
しくじった!
しくじったら一回 歌集の告知をしていいことにしたい
●2月11日(土曜日)
休みの日の動きかたパターンを見つけたかもしれない。9時までには起きて,朝のトーストを食べ、昼のうちにジョギングをし、帰ってきたら17時くらいで夜ご飯を食べ一日2食とする
そこからは本や、Abemaでラップバトルの配信をやっていたらそれを見る
なんか地元っぽいな
呂布カルマがサイレントキラージョイントに一回戦で負けたので図書館に行って、橋本治と笹公人と横山やすし伝説を借りた
つげ義春 漫画術の上・下を都内図書館の横断貸し出しをするためのリクエスト用紙を書いた
一枚書き終えてカウンターの女の人に渡したあと、「これたぶん上巻・下巻それぞれで一枚ずつ書くやつっぽいな」と思い、そう言ったら、「下巻の紙はこっちでやっておきます」と言われて、すまない気持ちになった
そうするように誘導するような僕の言い方だった
なんの話だろう
●2月12日(日曜日)
うおーー
.
.
南部鉄器がガラス底を突き破った
●2月13日(月曜日)
近くのスギ薬局にある、電解水を入れる機械で水を汲んでたらすごく哀れそうな目で見てくる女の人・こんなのがこの世にはあって こんなのを使うやつがいるんだ の目のおじさん(引退した野球部がおじさんになったみたいな黒さと目の小ささの人)が僕の後ろを嫌なはやさで通り過ぎたので睨み返したら、女の人とおじさんは自動ドアのところで夫婦になったので不倫と病苦と交通事故、やってるんなら投資の焦げ付き ひとつのこらずが今後に起きて死ねと思った
タダで・ゼロカロリー消費でいける悪意ならいくらでも駆動してくる他人ばっかりだ
ヨガスタジオに配達に行ったら、そこの人も見下していい他人は存分に見下すタイプの人だった
ここの人、他のドライバーが配達に行ったら,男とディープキスしてたらしい
●2月16日(木曜日)
いったん置くような物と場所じゃないだろ
●2月17日(金曜日)
家でのポテトチップスとお酒やめる。決めた。
明け方に2回、水を飲むために起きて台所に行ってる自分が怖くなった。
高校のとき「人間バイバイ/人身売買」って詞を含むラップを歌ってた友だちのあれがなんの曲だったのか、思い出したので検索してて
だとわかった
ミートソース、鶏モモ、うずら・小松菜・木綿豆腐の味噌汁
すいません お酒はやっぱり有りにしてください、
●2月18日(土曜日)
図書館で「つげ義春漫画術」、パリにつげ義春が行く本、『なめらかな社会とその敵』を借りて、そのあと三鷹に本を売りにいって(1200円)、りんてん舎で吾妻ひでおの日記本と藤原マキの日記本を買う。
昨日 予約で電話をかけた美容院の人は「当日キャンセルはキャンセル料金がかかりますのでご注意ください」を言わなくなっていたし、古本屋さんでは免許証の本人確認をしなくなっていて、東京で何百日も過ごしてきた同じような休みの日 がなんか実体感として立ち上がってきた。いちげんさんではなさ
自転車で帰る途中、家から一番近い交差点で、小学生たちがスシローの寿司を舐めた奴の話をしていた。
●2月21日(火曜日)
「解放区」か「おぼえてる人」の原稿かが書けないか、と国立で髪を切ったあとコメダ珈琲に行く。市外からの横断取り寄せで借りた『つげ義春漫画術 下』を読みながらエビカツパンとアイスコーヒーを飲む。
近くのテーブルでたぶん付き合ってはいない若者の男と女が甘噛みみたいに延々ボケあってる……会話を凪の気持ちで聞くことってずっとできないんだろうか。顔の真横に性欲があるような気持ち悪さがある。でも、自分も逆の立場で、どこかの喫茶店でこれをやっているのだ。
どこかのテーブルで、スピーカーでLINE通話を始めようとしてる人が(この人もたいがいだが)スマホから立てた「タタタ♪ タタタタタ♪タタ・タタ…」という音に合わせて男のほうが「ぽぽぽ♪ ぽぽぽぽぽ♪ ぽぽ・ぽぽ…」と歌いだしたときがいちばん死ねと思った。
「おぼえてる人」だけ書けた。立川の図書館に移動して「岡井隆の忘れもの」「永井陽子全歌集」「百人一首という感情」「サーベルと燕」「寂しさでしか殺せない最強のうさぎ」を借りる。
共用ソファーで『世界』のひろゆき論を読みながら、ちょっと鼻をいじったらかなり血が出てきて、左手だけでなんとか読む。
帰りは上北台駅に行って、そこから東大和市を歩いて東久留米に行こうかなと思ったけど日が落ちてきてさみしい気持ちになるだろうので辞めにした。ジョギングはしたくないけど運動はしたい日、結局 午前中の明るい時間から行動開始しないと、長歩きにも不向きになる。
●2月22日(水曜日)
夜にポテトチップスとワインをまたやってしまった。ごめんなさい。
この日はもっとひどくて、ポテトチップスのあとに食パンを3枚も食べて、次の日になってもお腹がくるしい。吐け、いまここで吐いたら10万円、と言われたらぜんぜん吐ける。苦しい。家での食後はもうコーヒーにする。
●2月23日(木曜日)
何日か前にここに書いた「あーーーー」となっている女の人には言葉や感情ではなく竹とんぼ(等)を渡す のがいいのじゃないか、という日記を気持ち悪く感じてくる。はなから女の人、だけを対象としているこいつのこれは単に性欲だから竹とんぼなんてまぬけな見た目のものを渡したとてそれは性欲みたいな見え方になるだろう。
渡すなら【そのとき財布に入ってたお金全部】とかなんじゃないか。これはこれででも、吉本興業っぽいノリの嫌さがあるな。
「あーーーー」の時はほっとかれるのがいい、というのは分かっている。でも毎回・死ぬまでがそうじゃないだろう。おれは自分がないてたらたまに竹とんぼか謎の金額の金を欲しい。
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