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4月・母の部屋確保・日記 

4月1日(月曜日)

「タイタンの学校」の修了記念のライブを観にいく。

枡野さんは声がいいな、と短歌の枡野さんに接するときは思わないことを初めて思った。この日のネタはたぶん三〜四分だったけど、十分くらいあっても全然つかれないで聞けると思う。

これからいろんなお笑いライブに出ていくと、平場(ひらば)の枡野さんは、舞台への独特な居かたゆえに、めっちゃ煙たがる同業者の人はそのうちに出てくるかもしれない。枡野さんが喋ると枡野さんの時間になる、これを「みんなで積んでって、積んでって、破裂させる」派の人はなんなんだよ!みたいに思いそう。野性爆弾のロッシーが大喜利でウケてるときに似た空気を感じたことがある。

枡野さんはここから場数を踏んでプロになり、観てるだけの人、が言うようなことはとうぜん意識に折り込み済みになっていくのだろうから、こんなことを好きに言えるのも今の時期だけかもしれない。

枡野さん、今まで、あなたみたいな人はいなかった、と正岡豊さんは2015年ごろ 朗読された手紙のなかで言った。
そう言う人だって、正岡さんしかいなかった。

西武新宿駅に向かう途中、花園神社ではない神社があったのを通り過ぎたあとやっぱり鳥居をくぐり、一回「完全に人のためにだけに祈る神社」をやってみようと思った。たかたけし『契れないひと』の連載が決まったときの酉ガラさんみたいに。

枡野さんが、

自分で勝手にやりだしときながら玉みたいな涙がつぶつぶ出てきたのを帰るときスーツの女の人に「……。」みたいな目で見られて、鳥居から出てきながら泣いてる人になった

帰るとき子供用の小さい靴を見た




4月5日(金曜日)

「仁が好きそうなものを見つけた」と母が買ってきてくれる。

日清のCM
ゴールデンボンバー
さだまさし
笑点のこぜりあい
ムロツヨシ
我武者羅応援団
サラリーマンNEO
三谷幸喜の映画
佐藤二朗のツイート
文化祭の出しものとして、女子が男子を女装させてるクラス
般若の曲
ドンキだけで買えるペヤングの味 

とかで笑ったりした覚え ないんだけどな

⚫︎

なんというか

川村有史『ブンパップ』は肉体労働後の体にかなり入ってくる。昨日読んだけどすごかった。夜読んだほうがいいかも。

気の早い予想を併せてすると、いつか出るだろう左沢森さんの歌集はこれのけっこう逆の読み味になりそうな気がする 
これは休みの日のお昼。

4月6日(土曜日)

朝に軽バンで、僕らが配達する荷物を持ってきてくれる人が飲み物の1ケースを抱えながらアパート階段で足をくじいたらしく、しらべたら靭帯をやったらしい。午後の配達の集合時間に遅れる、とグループLINEを投げていた人は脇腹をやったらしい。二人とも、本当に気の毒だ。個人事業主は怪我してても働かないといけないし……

こればっかり言っててすまないけど、怪我も病気もしたくないぜ

やっぱり40歳くらいまでしかできないものなのかね…
本当にいい労働なんだけども、

ジョギングとかしててまだよかったのかもしれない。
最近できてないけど。

石田と嶋佐さんが飲みながら喋る動画を見る。「♪松ちゃん松ちゃん〜」でちょっと嫌になったけど、嶋佐さんは相変わらず好きだ。

「こんないっぱい芸人の近況や特徴や精神論を知ってどうするんだ」と冷める瞬間がそろそろ要るかもしれない

4月7日(日曜日)



3月くらいに8ottoの「china」を聴いていて、8ottoかっこいいなぁ、ちゃんと見たことないんだよな、と検索したらこの日に代官山でテレフォンズとのツーマンがあるとのことで予約して、北海道から戻ってきたくらいからずっと楽しみにしてたんだけど、前の日の夜にチケットのQRコードを表示させとこう、とスマホを見たら取っていたのはテレフォンズとのツーマンではなくテレフォンズとグループイノウのimai、病欠された方の代演でDE DE MOUSEだったことに気づき、テレフォンズと8ottoのツーマンはそもそも大阪での開催だったことまで知れた。そんなことあるんだ。

自分にもボーッとしながら違うチケットの予約をして、当日ふつうに行くような日があってもいいな、と恵比寿駅までいってそこからは歩いた。

恵比寿駅は、おととしにダースレイダーが医者から宣告された余命を越えた年に開かれたイベントで来て以来だった。DE DE MOUSEさんは10年前、北区の「きたとぴあ」という施設で会場のプラネタリウムならではの演目をし、そこでの限定の音源も出す、ということでそれを買ってきてほしいという大阪の先輩からのおつかいで買いに行ったことが直近のDE DE MOUSEだった。

お金が無かったのでそのときは物販だけ帰って、ネットでEAST END GIRLという曲のチェリーボーイファンクションRemix というのを聴いた。キュゥゥゥン、みたいな切ない気持ちになれてよかった。

初めてみたDE DE MOUSEさんはやがて、台にのぼりはじめた。台にのぼってくれてありがとう。

そして初めてテレフォンズを見た。「sick rock」やってくれないかな、これだけ知ってるんだよな、PVがモノクロでかっこいいやつ、と思ってたら新体制になって最初のツアーの最終日がこの日だったらしく、そういうMCがあった。

sick rock は、島の友達が結婚したとき作ったビデオで冒頭のエド・サリヴァンショーの口上のところの映像を借りて作らせてもらったです。あの年は就活もしないで、六月いっぱいをかけて、友だちの結婚おめでとうムービーと、友だちの結婚おめでとうムービーを撮りに全国から長野県の友だちの家に集まった道中もムービーにして、贈って、でもべつにあのあとほとんど誰とも会ってなくて、それはあんまり自分っぽくない思い出で気に入ってる。

当然、当然テレフォンズがよくないってよりは、テレフォンズの人たちはテレフォンズを好きな人たちに最新のテレフォンズを届けようとしてて、sick rock とI hate discooooo しか知らないでライブに来た自分がトンマなのであって、合間のMCで「サンキュー トーキョー」とか「まだまだ盛り上がっていけんのかトーキョー」とトーキョー。をあまりにもたくさん言っていたので、僕もテレフォンズも悪くないけど、なんか次「トーキョー」と言ったら帰ってみよう、と思ったらそこからしばらくトーキョーを言わなくなり、そういうことある笑 となってたらついに「トーキョー」を言ったんだけどそれは「何歳になっても音楽はすばらしいものだな、トーキョー!」で、そうこられるとなんか帰れなくなった。

歌詞中に「セブンティーン」とある歌が良かったので、探してると思う。


東中野って恵比寿からいけるのか
コンビニの横がエスカレーターなことある?


藤子不二雄世界のビジネスホテル


4月8日(月曜日)

明らかに自分の様子がおかしくなってきたので母の部屋は母の部屋で、今住んでる団地の別の棟で借りることにしたんだけど、その鍵がもらえたので、手だけで引越しをした。

母は鍵を受けとりに午前中、住宅供給公社へ。
自分はその間、五階から段ボールを次々におろした。

前の日までは、母親と渋谷にいった日があったら面白いだろうと「一緒に行こう」と約束してたんだけど、やっぱり途中で「渋谷までと渋谷からの帰り、何を話せばいいんだ」と青ざめて、テレフォンズのライブ中にやっぱりごめん!とLINEした。いいよ。とLINEが来た。

お金を払って業者の人に頼む、と姉が言ってたらしいので、この距離で!?と吝嗇心(ごころ)を出したおれに、半分でいいから俺がやるよと言って、夜ご飯のときに缶ビールで母と乾杯したときに30000円もらった。

これは姉のお金なんだよね? を何回か言った。
そうだと言われた。


自分の部屋をコピペしてるみたいな気分だ

エディオンにもいって、エアコン冷蔵庫洗濯機炊飯ジャー、ガステーブル、パンも作れるオーブンを買って21万円になるのを横で見ていた。五階のエレベーター無しはすみません……冷蔵庫だけ、一階あげるごとに550円いただいてるんですすみません……のところで、一緒に暮らしてからでは母が心の底から笑ったように見えて良かった。母はこういうので笑う。


ガスの開通があさってなので、ガステーブルだけ部屋に持ち帰る途中、ティファールは今の家のをあげるし、一人用のソファもテーブルもあげるし、ウォッシュレットはおれに後々買わせてほしいと言った。


まじで俺 人生で何回これやるんだ

部屋を別の棟に借りる案から含めて、母のためになってたらいいなと思った。
あとは、部屋を離れて暮らすことで、詐欺にあったり、中で倒れてるのに気づかなかったり、部屋からベランダにでるときにハートアタックが起こったりがなければいいなと思う。祈る。

両手でものをもって階段を降りないようにと注意する。

あれをやると俺でも怪我すると思うので、とかを言う。

怖いなぁ。ほんとに不安でいっぱいだね。母を帰して、図書館に期限切れの何冊かを返しにいく。

4月9日(火曜日)

雨がすごい日だった。台車配送を始めてから一番降ったのではないか。
センターの人が、雨の強さを懸念して、普段の半分くらいの荷物での稼働を掛け合ってくれたみたい。ありがたい。30個ほど配達して、11時15分には松屋でエスニック牛肉を食べていた。

でも、早く終わったというだけで、稼働中はかなり大変だった。なんか、「ついでに」みたいな感じで、風も強かったから台車を持っていかれる瞬間もあったし。


無印のリュックは水を吸うと本当にかなしい色になるんだ




店内の椅子には白いレジ袋を引いて食べた。
ほんとうにどこまでも濡れた。

この松屋の斜向かいにはインドカレーなのか、エスニック料理の店を営む異国の人が立っててニコニコしてるんだけど、(給料日とかに食べにくると思うんで、すみません)と毎日  会釈を返し続けといて、エスニック牛肉が始まったらおれは松屋に入るのかよ、と食べながら気づいた。

「なんか向かいも、自分たちっぽいことしだしたぞ」

みたいな会話 閉店後にしてるのかな。
一回くらい行きたい。鷺ノ宮駅前の、メニューの写真のカレーのルーがみちみちな店。

17:30ほどに終わり、母が石垣島の頃に食べてたお菓子、ダックワーズをシャトレーゼで買って帰る。
ダックワーズ、おいしいのにあんまりどこでもは買えない。「笑みころん」という10個入って700円くらいのやつ+コーヒーのダックワーズを二つ。

次の日の朝、「笑みコロン」の外装にプリントしてあった木籠の柄が本物の籠に見えていたらしく、「これ、本物じゃないんだね」と言っていた。

今日はガスの開通の人が来るので、今ごろ部屋に行っていると思う。

4月11日(木曜日)

このあとオレンジジュースをこぼして店員さんに迷惑をかけた。
オレンジジュースの床って歩くと「だッ…チ」みたいな足元になりますよね

「なりますよね」じゃない。
しょうもない。気を付けたい。

持ってた本がゆっくり手から落ちていってこぼした。読書中に眠ったやつみたいなのが最近けっこう起こる。起きてるのに。切ない。図書館でもあった。




4月12日(金曜日)

共同親権強制の反対をチェンジオルグに署名したら、その直後にフンを落とされて「俺は共同親権を危ぶんでるのに。」と思った


チェンジオルグに月500円も払ってるのに

「生きててこのまま誰にも好かれなかろうがどうでもいいぞ」的に勝手にあるとき腹をくくって以降、「心臓の動く限り生きて、良い思いのほとんども味わい尽くしてやるし他人は他人で俺じゃないからどうでもいいぞ」みたいなやばいおじさんが、そんなやばいおじさんなまま、この世に迷惑をかけ続けることができる国すぎて反吐が出そう!

傘を振って歩くから先端が危ないおじさんとかがこの国のおじさんの平均だと思う

やさしくなりたい!

4月14日(日曜日)

【4月の新宿での歌会】。ビッグスビル久しぶり。
かわせみの皆さんにもそろそろ会いたい

石を投げて、隠れる みたいな司会運びが多かった気がする。
投げるならコインチョコとか、つやつやしたボタンとか、ピンク色の紙テープとか、がいいし、べつに投げないで手渡せばいいし、投げたあとも隠れなくていいし、次はもっとマシに行きたい、 楽しみつつ、

一緒に歌会できて楽しかったです。


よしださんかはしもとさんかが「秀歌性が高いクリームソーダ」って言ってたのがおもしろかった

プリンパンの黄色い部分みたいなのぞきかた

4月15日(月曜日)


中島裕介さんは「文学で飯を食う」「短歌で飯を食う」という意味を込めて「短歌」「文学」と書いてあるお箸をBOOTHか何かで販売されているんだけど、


(BOOTHでした)


「文学」はめでたそうな赤い色なのに、自分の属するジャンルである「短歌」が真っ黒のお箸にそれを刻印してて、マジで普段づかいさせてもらってるのでこの黒色を毎日に近い頻度で見る。

「ベノム」は日々のこの色と、中島さんの諸作の印象が呼んできた語句だと思ってる

斉藤斎藤(さん)と中島さん、この二人はなんか、歌謡曲の歌詞でおもしろいことを言うのが異常にうまい気がする。

4月17日(水曜日)

朝8時から、母の部屋にウォシュレットを取り付ける業者の人に立ち会い(2万8000円)、11時に国立で散髪(3000円)、15時にzoomでの話し合い(ひげ剃り忘れ)。こっちの部屋から母の部屋にソファーを運ぶ。布団を運ぶ。レンジやジャーや食器を置くラックをラジオをかけながら組み立てる。

休みの日のようには朝 遅くまで寝れなかった分、18時とかにソファーで、日没までの外を見てるだけの時間があった。

まどろみとつかれが、かたまる前のゼリエース液みたいなとろみを自分につけていって心地よかった。この時間が一生にたくさん欲しい。自分が自分の部屋のことを好きだったことを思い出した。

11時の散髪、帰りながら都立図書館での短歌雑誌のスキャン、そのあと最寄駅に帰ってくるころの駐輪場の誰もいなさとちょっと日の暑さに、このだだっ広さと暑さと、人が誰もいない感じは、地元で10代の頃は無かったものだと思った。

思い出せないけど、料金の機械のゲートに向かいながら、何かの曲を歌った。


ウォシュレットの取り付け業者のおじさんは、自分の部屋のも昨年にやってくれた人で、作業してるあいだ畳の部屋で水筒の水を飲みながら待った。
「何もしない」にさいきんがんばって自分を置こうと努めているので何もしなかった。

ときどき「……よし。」「よっ…しゃー…!」とか聞こえてきてて、おもしろかった。
あと、「koro」とか読んだ。何もしてなくないね。

1時間くらいかかると思って予定を組んでたら、二十分くらいで終わってびっくりしたので、早いですねとお金を払いながら言ったら「いやぁ、ははは」と言っていた。

この日はけっこうそういう、思ってた時間よりも早くことが済んでいく日だった。

とても話しやすい人だった。
よい誌面になりますように。

4月18日(木曜日)

違う棟の5階に越した母親の家に、水を上げさせるのもしんどいだろうとドラッグストアで汲んできた電解水を仕事帰りに4リットルだけ上げる。

時間の使い方がへたなことをしてる気がしたので、「ごめんだけどAmazonで買ってみるというのはどうだろう」とLINEする。敗北宣言、


「水道水を入れたわけじゃないぜ」用の写真を撮ったあとに、母親はツイッターのタイムラインじゃないしなとべつに送らなかった。

4月19日(金曜日)

仕事に行ってるあいだの家でサァターアンダーギーを作ってくれるとのことで、帰ったらトーストして食べようと思いながら働いていると、「水分の量を間違って蒸しパンみたいになった」とLINEが来た。


食べたら、ほんとに蒸しパンだった。固めの。おいしい。

4月21日(日曜日)

雨。次の日ラジオでがんばって喋るのでモスバーガーを食べていいことにする



小平駅前、初めて入る ここでiPad+Bluetoothのキーボードいじくってナルシシズムばりばりのnote書きたいな

4月22日(月曜日)

いいことってあるし、いいことって次のいいことのための基準だったり課題だったりに変わるまでもほんとに早いなー
この日を何回も思い出すと思うし、そんなようではへなちょこだとも思うし

こういう機会をありがとうございました。ほんとうにありがとうございました。
どんだけの人を、うっとりとさみしくさせてきた人なんだろう、といつまでも思うと思います。

4月24日(水曜日)

長いイヤホンでラジオ聞いて、荷物置いたまま駅前まで行って戻ってきたり、寝てるから係の人に注意されてるおじいさん見なくなったな

不在、を撮ろうとしたら自分の机のほうの物の量がそのおじいさんのものと近くなっててゾッとした

星新一の話の終わり方みたいだった

4月25日(木曜日)



母さんが駅前で買ってきてくれた。誕生日は親に感謝する日だからとかなんとか言って、ミートソースのスパを自分で作ったのを出した。母親とサシで誕生日を祝うなんて実家時代にもなかった。姉は東京、父は石垣にいる。


表紙が入江文学だったのはたまたまでした



4月27日(土曜日)

廣野さんの歌集批評会にいく。

正岡豊さんたちのイベントのときに思ったのが「しばらくこれを越える幸せっぽさの短歌の行事ないんじゃないか」だったけど、そのとき思い浮かべてた「他の短歌の行事」のよさを自分は、京都で感極まってるゆえに低く見積もりすぎていた、と思うくらいに・思い出すくらいに良い時間だった。これは別でも書いとくといいのかな。会場発言タイム、GETできなかったので

「会場発言タイム、GETできなかったので」とかいうくらい思いあがってる自分なんだなと思った

4月28日(日曜日)

ZAZEN BOYSを「ZAZEN BOYS」から聞き直す。
天気もいいので

もうだいぶ暑い。29度。外で働く仕事にはやばい季節の始まり。

明日から7連勤。マジかよ。
今月の日記はたぶんここまでです。

読んでくれてどうも どうも








どうも


ーーーー画像 自撮りの訓練 いやなこと 削除したようなツイート 他 ゾーンーーー


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