学校の怪談(講談社KK文庫)シリーズの表紙絵の感じは最高だ


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4月から始めていた、昔好きだった「学校の怪談」シリーズを買い集める の趣味が今週に終わりました。

電子書籍だと、このシリーズに特徴的な【本文中の遊び】のようなものが排除後、均(なら)され、テキストのみとなっていたので、どうしても現物が欲しかったのです。

本文中の遊び。

たとえば、「後ろを振り返るとミイラ男がいて、こちらの首を絞めるように手を伸ばしてきた」がオチの話では、そのオチのページで、実写の、この国のどこかの職場で働いてるようなおじさんすぎるおじさんが、ミイラ男の扮装をして【手をぬーんと】伸ばしている写真が載っているのですが、それが「怖い!」じゃなく ひたすら「誰???」となるようなおじさんなんですね。

いま講談社で常務になってたりすんのかな。なってたら嬉しいな、なおじさん。国保じゃなくて絶対 社保のおじさん。が、にも関わらずミイラのかっこうをしている。してくれている。させられている。

知らんですよ。外部から呼ばれたモデルさんなのかも。
でも常務になってたりすると面白いと思う。大出世しててほしい。ミイラまでさせられてるんだから。

メガネも、『羽生の頭脳』の表紙で羽生名人がしていたみたいなメガネすぎるメガネだし。っていうか、ミイラなのにメガネしてるし。

「学校の怪談」本文アートワークの味わいは、このミイラおじさんの扮装に象徴的だと思います。


なんというか、子ども心で言っても、これらの本文アートワークによって〈怖さのかけ算〉が起きてるという感じではなく、「なんかあのページにミイラの格好してるおじさんいたよな」というふうに処理後・判断を保留にされていた思い出があります。まぁでもあの工夫でシリーズ全体に通るあやしげなイメージがあったのか。

それを今の年になって、読む、というよりほどくと、ものすごい多幸感が発生する。

なんというか、新自由主義や加速主義、経済合理性や冷笑ではないゾーンに懐中電灯(単1電池が5本)の光が当たるようなふうで爽やかなのです。

給食が終わったあとの理科室の掃除で、掃除をせずにガイコツに「こう言ったら怖いよな」的にアフレコをして遊んでいた男子二人が、放課後に訪れた理科室で、

「おまえたち、おれを片付けるのを忘れただろう。」

とガイコツに怒られる怖い話では、ごたぶんに洩れずガイコツの写真が、ページ端にバストアップで映っているのですが、このページとかも本当にいいんですよね……

ガイコツの一人称なんて知らないよ。
でも、このガイコツは「おれ」って言うし、「だろう」で結ぶよなぁ!ってな口調をいかにも思わせるガイコツな顔で、たまらんのですよね。

実際の声まで聞こえてくる。

「学校の怪談」の再読がおしえてくれるのは、子供の頃って集中力も空想力もとにかくすごかったんだなということです。「はだしのゲン」の途中に、なんか歌いながら行進するノリのコマが唐突にあったじゃないですか。

〽月夜の晩に
火事があって
水をもってこい
木兵衛さん
金玉落として
土まみれ

とかってある、マジで文字だけだった謎の歌を、僕は今でもメロディーで歌えますからね。『学校の怪談』には、怖がらせる側と怖がらされる側、怖い箇所のセリフから生活の最中すぎる発話まで、いろいろな人のいろいろな声がありますが、ほぼ全員の声を覚えてました。というか、自分の口でも言えました。

懐かしいなぁ、

「拾ったサイフ」の【あのう、わたし、財布を拾った人を知ってるんですけど。】とか、自分が死んでることに気づいてなくて朝食のテーブルに来たら、妻にも子供たちにも無視されてたときのお父さんの

「まったく、どこまでも不愉快な連中だ。」

っていう、怖い話とかよりも前にそっちで怖すぎる吐き捨てとか……

あと、「かいだん」という題名の話がその巻 冒頭の話を飾る、ノリもなんか最初のころはありましたね。

名前が「学校の怪談」だから、っていうところを、謎の律儀な守りかたをしてる。

怖い話のあとにね、「これが、かいだん。」っていうシメの言葉があるんですよね。
誰なんだよ、これを言ってるのはってなる。

怖い話が終わったあとに、怖がらせる気まんまんみたいな低い声で

これが、かいだん。

じゃないんだよ。常務がよ。

いま見返したら、このパターンだけで4話ありました。最高…

「かいだん」はちなみに、いつも首にネッカチーフを巻いている女の子に何故いつもネッカチーフを巻いているの?と訊いた男の子が「中学生になったらおしえてあげるわ。」→「高校生になったら教えてあげるわ。」 「大学生になったら教えてあげるわ。」→「結婚したら教えてあげるわ。」の婚姻第一日目、に「とうとうこれを言う日が来たのね」とネッカチーフをほどい、たらその子の首が地面に転がって、ぼん、ぼん、ボン、ボンボンボン……と階段を跳ね落ちていった……

これが、かいだん。

という話なんですが、この話が「かいだん」なのは語り手としての色気をしすぎている。

この話のタイトル、「かいだん」か???

というような「これはなんなんだろう」に満ちている。

アートワークの話もですし、表紙絵と本文中の挿絵を担当している楢喜八(ならきはち)さんの絵も本当に好きです。ノスタルジーがここをおおいにハブ空港としているよ僕は。こないだ、ネットの記事を読んでたら漫画家の押切蓮介さんが「この絵に影響を受けた」と語っていて、こんなに嬉しいことはないよ! と眠る前に思ってから寝ましたね。たしかになあ。

楢喜八さんの画集が手に入らないので、今回の「怪談」コレクションに走ったということもあります。「また会いましたね」のカラー挿し絵とか、ほんとに美しいんだよな…
自分はベーコンの「ヘッド なんたら」みたいなシリーズと、楢喜八さんの絵が好きです。家の壁にひとつ、ガラ空きなんがあるので、そこにB3でこの絵を飾りたいなぁ。空の色が怖すぎるんだよね…


いちばん好きな表紙はこれですね。
すごいんだよこれ。

全巻を通しての、表紙絵のマナーというか、トーン? テーマ?みたいなのには、たぶん、【これを読んでる君たちがいるような日常の世界/不気味なことが起こりまくる異界】を同時に存在させてね、みたいなオーダーがあると思うんですが、この6巻がいちばん、そのトーンに接近できてると思うんです。

境界、として描かれてるのが障子だから、自分の家の窓とか自室とかなんですよね。その先に、おなじみの、「読んでる自分」と同い年くらいの、しかしどう見ても妙なニタニタの子どもがこっちを迎えに来てるような距離まで来ている…

僕はこの表紙、見入っちゃいますね。
見入っちゃいましたね。

こういう気分になりたいから絵とか見てるのかな。みんな。ベクシンスキーとかもいいですよね。なんというか。好きな絵の。傾向が。一日9時間くらい寝てる大学生が深夜の3時くらいに携帯電話でみてる「3回みたら死ぬ絵」みたいな。そんなセンスから遠くに行けてないみたいですね。でもベーコンのヘッドなんたらも、楢喜八もベクシンスキーもデ・キリコもいいよなぁ。なんというか。怖がらす気かー!みたいに言ってもいい何かがあるし。むこうも、怖がらせられたら嬉しがってそうな気配があるしね。いやぁ、いいねぇ。B3で貼りたいなあ。


8と9は じゃっかんねぇ、シリーズラストの2冊なんですけど、ここまで来るともう、なんかスキマがないですよね。

怖さっていうかは、にぎやかになっちゃってる。入ってる怖い話の怖さ不気味さ、いかがわしさってのは貫徹されてるんですが…

(学校の怪談、なのに「これはアメリカで噂になった話です。」から始まる1話があったりする。でもその巻でいちばん怖いのもそれだったりしますからね。)

やはり、このあたりですね。(下の画像)

いいなぁ。貼ってるだけで嬉しくなってきますね。

やっぱり、「窓の向こう」みたいに見える、ふちどりの処理っていうんですか、が置かれてる表紙の怖さがレベルの抜けてて怖いですね。【この人たちはどこかへ行ってしまった】って思うと怖いですよね。「ハーメルンの笛吹き」のオチとか、恐ろしいじゃないですか。ゲゲゲの鬼太郎でも、鬼太郎が向こうに歩いて行く背中を映し続けるエンディングとか、怖いし切ないしだったし。

この人、が【どこかに行ってしまう】を恐ろしい、と思う気持ちってのは、どこか、自分の人生の時間のゆるやかな・しかし確実に消滅していっている今、っていうかの痛みがヴィヴィッドに可視化されたものの、現れなのかもしれないですね。

仕事やめたり恋が破局したりしたときの悲しいしさびしい、ってのは人生の時間が・引き続き・残りわずかになり続けている、の里程標としての突きつけだから、だと思う。

5巻も怖い。

5巻は有名なんじゃないかな。これも「窓」ですね。

この表紙で急に〈ふちどり〉の処理じゃなくなるんですよね。
怖さ、に非日常感が消える。そうなると。うーん。
この巻には「幽霊屋鬼助(ゆうれいや おにすけ)」の話があって、内容的には極まってていいです。

やはり6巻だな。



……うん。

すばらしい。

怖かった話のベスト3も書いておきます。

・占い師に見てもらいにいったら、同行の友人が「これからの半年、あなたは何をしてもうまくいく」と運勢を絶賛される話
・拾ったサイフ
・公園でクマに会う話

どれも、幽霊の話じゃないんですよね。

この傾向が、後年の「人間がいちばん怖い」時代の幕開けとなっていくのかな。でも上の三つは、幽霊ともサイコホラーとも違う怖さと切なさと説明困難な嫌さがあるんですよね。  

人間の嫌さ、だと

・目撃者
・電気をつけなくてよかったな
・カギかけたっけ?

か。下の二つは、人間怖い系のド定番ですよね。

「怖い」と「切ない」が混ざってるようなのだと、

・オバリョ山
・ジャラン、ジャラン

かな。「オバリョ山」は、オチのセリフで手書きっぽい荒い字に変わるところが本当に嫌だ。
このシリーズ的な工夫の、最高地点って感じがしますね。楢喜八さんの、あの女性の顔の描きかたにもやめてほしさがある。

最高!

読んでみてください。

(新・学校の怪談 4 講談社KK文庫)