ビリーアイリッシュの回

 

「ビリーアイリッシュはぼくと同い年」なににでも興味あるようでない/沢茱萸


【ぼく】の「」内発言に対し、「(この人は)何にでも興味あるようでない…人だよなぁ」と主体が思った、という歌意で読みました。「浅いなぁ」くらいまでは思ったかもしれない。【なににでも】の挟まってきかたはそれくらい、苦いように思えるんですね。

声に出して言ってみると、「なにに」はタタタ、って口腔に当たる気持ちよくなさを舌に与える。その後の「でも」でピシャン、って舌は口内で跳ね上がって解放……の気持ち良さがくるんだけど、この不快→快な舌の運用、は表情を険しめなものにするかも。

声には出さずに、そう思った…だけでも表情は「それ」になってるってことはあるから、ビリーアイリッシュ豆知識をちょっと言ってみた【ぼく】は怖い思いをしたかもしれないですね。

【ぼく】が過去にしていた「浅いなぁ」発言のアーカイブスが主体に【なににでも興味あるようで〜】をしみじみと思わせたわけだから、【ぼく】は主体と付き合いの長い我が子や、歳の離れた弟妹、親戚の子だったりするのかもしれない。

でも親戚の子へ思うには【なににでも興味あるようで〜】は少し体重が乗りすぎている気持ちのようにも感じます。そこから、同じ家に住む年少者、へ【ぼく】は絞られていく。ビリーアイリッシュは2001年生まれの、現在18歳とのことです。「bad guy」が有名。 アルバムに入ってる「ilomilo」もダウン…な感じで格好いい。


そんな歌意の短歌が【ビリーアイリッシュ】から始まるというのもよくて、人は〈本当のところは興味のない事柄〉を詠むとき、その名詞を一番最初に言いたがるのではないか、という持論があります。

例えば、自分ではパソコンをさわらない、でも職場では駆使してる部下がいるし、往来ではスマートフォンを触っている年少者を毎日のように見かけるが、なんでもネットか…みたいにその人たち、を少なからず苦々しく思っている人がそのことを詠むとしたら

インターネット若人(わこうど)達が集まりて夜な夜な言(げん)を交わすと云いき

みたいな歌になるのじゃないかな、というか。なにか言いたい、でもずっと持っておきたくはない…語句を上の句へ早々に「置いて」77に向かうというか。
偏見ですし、こんな「云いき」の言い方無さそうですけど

下句での「◯◯◯◯◯◯◯インターネット」という体言止め、だと、一首の間じゅう持っていた「インターネット」を、はぁ、やれやれ的に置いた感じになるので、初句に持ってきた場合の「実際のところはどうでも良さ」よりかはもっと醒めた、語句を利用した雰囲気が乗りそう。この場合だと、

家具としての音楽といふ論ありていかなる椅子か マイケル・ジャクソン
香川ヒサ『テクネー』

なんかの名前の出されかたを連想します。海外シンガーときゃりーぱみゅぱみゅの短歌での名前の出され方、散々だな。

「ビリーアイリッシュはぼくと同い年」なににでも興味あるようでない

「ビリーアイ/リッシュはぼくと/同い年」なににでも興味/あるようでない

みたいに読んだ場合「ビリーアイリッシュ」が一息で言えず、歌の中で切断されてしまうわけですけど、この〈短歌化に際しの、愛のなさ〉が「興味のなさ」の立ち上げに成功してる。

そのうえで、この歌のおもしろいのは、「(実のところは)興味のない」【ぼく】の「興味なさ」を言おうとして、主体の「ビリーアイリッシュ」へのだいたいの興味の度合い、も一首に出てきてしまってるようなところだと思います。自分の差し出しているものもある、というか。

花曇り彼にあだ名が付いてから辞職願が出されるまでを/ぱる子

「彼にあだ名がついた」「彼が退職をした」どちらかで詠むでもなく、二つを贅沢に一首に入れ込んだこの「・」2個の置き方がおもしろかったです。

「あだ名がつくような人」や「仕事を辞めてしまう人」がいない世界のつまらなさって凄そうですけど、そういう〈おもしろそう〉ゾーンにいる人は仕事を辞めてしまうんだよなぁ、みたいな感慨がありました。

天皇が家族になった夢を見てごはんのおかわりを出しました/シロソウスキー

そういえば「ご飯のおかわり」って漫画やアニメでしか見たことってないな、というところから思っていった歌でした。お母さんに「おかわり」ってよそわせた事たぶん無いです。「出しました」とかって敬語だし、たぶん作者も無さそう。そういうことさせてる見た目ってふつうにむごいですよね。

『巨人の星』みたいな畳の部屋とちゃぶ台があれば、「母ちゃん、おかわり」みたいな空気も生まれるのか…とかって考えてるうちに脳内の【天皇】が畳の部屋に来てておもしろかった。「ごはんのおかわり」と書くことで(少なくとも僕には)畳の部屋、を思い浮かべさせられるんだな、みたいな言葉の効きかたが興味深かったです。

買うたびに世界旅行へ行っているマーブルチョコのキャラクターたち/橙田千尋

こうなっている現物…を知らないのですが、「どれどれ」みたいに検索するよりは、忘れてていつか買った【マーブルチョコ】で【キャラクター】なるものを目にして思い出された、ときにこの歌のおもしろさは最大化しそうなのであえて情報を増やさないまま読みました。なんかそういう、世界の名所みたいなシリーズがあるんですかね。エッフェル塔とか印刷されてる。セサミストリートくらいモコモコした連中が、合成されてたりね。

「こいつらまた旅行してるな」みたいな「また」っておもしろいですよね。トイレに関するエピソードトークが多すぎる千原せいじにジュニアの「どうでもいいけどトイレばっか行ってんな」とか。クレヨンしんちゃんの、山形のおじいちゃんが「今日行くよ」の電話の直後にドアベル押してくるノリとか。

またやってるよ、の「また」にウケつつもほっとする、のは〈自分はまだ死なない〉の「まだ」って擬似な永遠、に手をふれるような体感があるからだと思います。一方でホッとしてる、の自分がすぐに怖くなるから、【買うたびに〜】は

サザエさんオープニングの旅先をいつ福島にしてくれるかな/横山ひろこ

のような苦めの歌を連想させたりもします。橙田さんの諸作はこの「怖め」とは距離をとれてるものが多いのかな、と『毎月歌壇』時代から振り返って思ったりしました。

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