銭湯の回

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音を食らう仙人たちのあいだでは意外と評価の高いエミネム
/笹井宏之『ひとさらい』

 短歌に「エミネム」が入ってくるなんて……の嬉しさは、そのまま作者の笹井宏之を「エミネムを短歌に入れてくれた人」にした。
 初読の時点では。
 程なくして、「意外と」のほうにも目が行ってからは、この「エミネム」はちょっとどうなんだろう、となる自分がいた。
 有名な「Lose Yourself」冒頭のギターや、繰り返される〈トゥルルルル〉〈トゥールッルッ…〉の遠いピアノ音、「The Real Slim Shady」の 3:49あたりから後ろで鳴る音、オルガンの音、ってよりはオルガンの落下音、みたいな「Square Dance」のイントロからもらう暴力的な高揚感などのことがつぎつぎに浮かぶ。「意外と」をここに置いた者は、はたして僕の今のこれと同じことをしてくれただろうか。そのうえで「〜評価の高い」を続けたのだろうか…ということを考えはじめていくと、段々と同じ「エミネム」が疑わしいものにかわっていく。

 もちろん、自分の耳と笹井さんの耳、俗世の価値観とはおそらく離れたものと共に生きている仙人…のよりにもよって味覚、とでは単純に「良いもの」への判断は違っていきそう、なため「エミネムはめちゃくちゃ格好いい音出してるだろ」という反論はそもそも当たらんのだけど、(なんだったら「きれいはきたない」的な価値観の転倒が仙人界では起きているのかもしれない、ということさえ分からない、ため)とはいえ、「『意外と』?」?を笹井さんへ思ってしまうことをハショって一首を読むこともできない。エミネムの音は真正面から「良い」から。

「エミネム」で好きになった一首が、その「エミネム」をほとんど「暴走族のバイク音」と置き換え可能な「エミネム」のようにそこへ置いている、と感じるとき、チャームポイントがそのまま嫌さ、に見え変わるような体験がとても新鮮だった。

そこから7年ほどを時間を経過させる。今年だ。あけましておめでとうございます。朝の台所が寒かった。そこで、とある一首を、そしてその歌が呼んできたもう一首のことを思う時間があった。

「エミネム」→好きなもの

x→自分が思い浮かべることさえできないもの

と考えてみるとき、「エミネム」とxの間の「肉まん」がめちゃくちゃ多い、ことこそが短歌の強みなのでないか、とひとまず思いたくなる。そして、きっとこの強みこそが「x」の開拓や理解をサボることのべつに後ろめたくなさを発生させてしまうし、これは普通に引き続き考えていくとして、

銭湯で剥がれなかった瘡蓋が部屋のエアコンの(弱)で乾く
/川村有史

今回はこの「銭湯」。
「銭湯」の「肉まん」感をいいなぁ、とまず思う。銭湯、好きです。行けるとしたらその日嬉しいし。そのうえで「エミネム」すぎない「銭湯」っていうか。〈エミネムすぎない〉の判断基準として、笹井さんの残してくれた言葉を使わせてもらうなら、頭に「意外と評価の高い」を付けたときに「…。」とならない語句が〈エミネムすぎない〉「肉まん」や「銭湯」です。

意外と評価の高い肉まん
意外と評価の高い銭湯

「はい?」とならない。なのにxではない。肩の力を抜いて想像を走らせられる「肉まん」や「銭湯」は、たぶん歌への読みの態度をオープンマインドなものにする。

「瘡蓋」があったということは【すりむいた瞬間】がこれより前のどこかにあったわけだし、「瘡蓋」の後に来た【銭湯】から帰ってきて当たっている「エアコンの(弱)」の前には【もしかしたら(強)】があったかもしれなくて、そういう行きつ戻りつ~の時間や期間、を「銭湯」にいるあいだのようなぼんやりと湯だった頭で思い浮かべることができる。結局はがれることのない「瘡蓋」が、一首を瞬間の「・」=「ついにはがれてしまう」で終わらせず、さらにだらだらとした時間へ引き延ばされていく…この体感が、こんな短い持ち時間で発生しているのをおもしろいなあ、と思います。

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三日月
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伊舎堂 仁(TWi ID:@hito_genom)