自死について



を想像する時間がこんなにあるってのはさぁ、生活に、考えてみると不思議だよ。何度でも不思議だよ。


遊戯王・デュエルモンスターズに「死者蘇生」という、墓地のモンスターをバトルフィールドへ生き返らせるカードがあるのだが、昔それについて、「無いこと に言葉があるのっておもしろいよな」と言っていた人とその言葉、があったことをモゾゾゾゾ、と芋づるしきに思いだす。

語尾の「〜な」という口調から言って、ツイッターの人だろう。

死者蘇生がおもしろい人は、僕がこのnoteのタイトルに置いた言葉に対しても、おれくらいに不思議に思う夜があるだろうか。
「夜」なのは、僕がこの言葉を思うときがいつも夜だからだよ。


この人ふうに言えば、僕にはこのことにも

「無いこと に言葉があるのっておもしろい」のだが、現実には、自分で死んでる人は毎日いる。俺が自分で死ぬ日はあるだろうか。

(僕、という本来の呼称を、ぜんぜん自殺しなさそうな奴の呼称「俺」に変えるくらいには書きながら怖かった)

……この言葉を思うとき、自分に浮かぶのは、『歌姫2001』という本で松本亀吉が岡田有希子について書いていたページの、「ピンクの」という言葉が置かれている箇所、そして「それからどうも、変なのだ。」という結びの文章である。

僕の松本亀吉の岡田有希子は、穂村弘『世界音痴』所収のエッセイ「七月の記憶」の「本当だ、と私は思う。」に連想として続き、

「歌手のY.O」が亡くなった場所は「四丁目」なままで、なぜかこの文章では、日付だけが実際の四月八日ではなく「七月の」と、タイトルにおいて虚構化されている。
これは、穂村さんにとっての「僕→俺」的改変だろうか。

穂村さんも、僕がこのnoteのタイトルに置いたこのことを怖いと思う夜があるだろうか。
穂村さんも、この言葉を思うとき、おれのように、『ソナチネ』たけしの(『ソナチネ』のたけしの、というよりソナチネたけしと言うほうが口気持(くちぎも)ちいい。なので助詞を省略した)、「死ぬことを怖がりすぎるとな、死にたくなっちゃうんだよ」を思い出すだろうか。僕にとってひとまず現段階、このnoteのタイトルに置いたあの言葉にいちばん 〈近寄れている〉   のはこのたけしである。このソナチネたけしである。

ソナチネのたけし、と思うと「自分で死ぬ」がこんなに近ぇし怖ぇけど、「ソナチネたけし」と思うと馬鹿でおもしろくて全く怖くなくなる。
よく笑う人、って、死にたくないのでそうなっていったのだろうか。
お笑い芸人がナルシストキャラに手を出すのも僕はあれは、売れたいから、とかの前に「死にたくないから」なんだと思う。

あれをすると、なんか時間が自分の死にたさを置いていく速さで流れていくんだと思うんですね。
だから、ツイッターとかで「まぁ私はかわいいし、そんな(※ツイートで愚痴ってるクソな他人)やつのことなんて関係ないくらいに幸せになるけどね」→自撮り みたいになっていくアカウントを見ると不安になる。

この人、死ぬんじゃないか。

って。

自分で死ぬこと、を思うとき想うのは、実家時代に取り寄せた大阪芸大パンフレットの、コンクリ打ちっぱなしの広い、壁一面がガラスなため抜け感がある、クーラーの効き冷たそうなスペースの写真と、笑ってる男の人女の人のことである。

男の人のほうが女の人より、首2つぶんくらい背が高い。

「自分で死んだ自分」のことを思うのは、こめかみに力がめちゃくちゃ要るけど、ここでうつぶせで死んでる自分のことは、スッ、と頭にうかぶ。

なんか。

他のページにはたぶん、いろんな国籍の人たちが、石製のなんかの台を囲みながら笑ってる写真もあったと思う。 どうだったかな。 
死んだあとに、パンフレットのなかでうつぶせから起きあがったおれが、そのページに確認に来るので、さっきまで歯(ほんとうに白い)を見せて笑っていた外国人たちから表情が消える。しょうがないもんな。それを誰にも責められないよ。怖いし。「死体があった部屋って血の匂いキツすぎる」って『鍵泥棒のメソッド』で荒川良々が言ってたし。

あと、

⚫︎自分で死んだ自分

を想うとき、JR日野駅のホームから上り坂側を見やるときに目が拾う、なんというか〈空中にあるマクドナルド〉もなんでか思い浮かぶ。

行ったことはないんだけど、兄が一回 終電を逃して早朝までいたことがあるらしい。

生き方や服装、人の話聞いてるときのあごの動きに鼻を「スン」とすする涼しさのけだるさまでおしゃれな人って、町やみんなの記憶にもいると思うけど、ああいう人ってほんとうに前向きに「おしゃれ」を詰めていった結果、自分で死ぬことがあるんじゃないかと思う。

おしゃれすぎる人って、自分で死ぬんじゃないかと思って怖くなることがあるんですよね。
あと『morrow』を出した頃のKj。フリースタイルダンジョンで二代目モンスターに就任してイーライワンと闘ってた回の呂布カルマ。
みんな生きてる。ほっとする。やっぱり、

⚫︎自分で死ぬ 

は「死者蘇生」くらい〈無いのに言葉になってる〉ことなのかもしれない。自分で死んでる人は毎日いる。

自死、じゃないほうの言いかたがもう一つ、あるでしょう。

そっちを言うほうが一般的で、ニュース原稿とかでもそっちで、こっちのほうはなんか「自室」で「自死」をする昭和までの文豪みたいでフィクションっぽいけど、ニュース原稿のほうを言うのが本当に怖かったのは、そっちのほうの響きには、そっちのほうは、言葉が持つ音としての響きのなかに、

⚫︎自分で死ぬ 

に向かって背中をパーで押すようなエネルギーが最初から含まってる感じが音としてある感じ。
それで怖いんですよね。

自分の周りで自分で死んだ人は自分を含めてたぶんいない。

怖くて、目もトロンとしてきたから、帰りにたい焼きでも買うよ。

夏だからあんまりおいしくないかもしれないね。