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ヤングアダルト

9/18

これ https://note.mu/gegegege_/n/n286b7cb41403 

の次の日は「天国歌会」(山本まともさん、鈴木ちはねさん主宰)で渋谷に行く。行きは無事、帰りに降られる。票を入れたのはちはねさんと灰羽連盟さんの歌。

とあるスマートフォンの周辺グッズを読み込んだ歌があり、ホストっぽい人がそれを使ってたのを見たことがあったので「ホストとかが使ってますよね」「電車で」と評で言ったら「電車にいるホスト、がわかるんですか…?」とまったくその通りの返しを喰らう。こういうやつは余裕でバレる。し、テンポよくこんな冷や水を喰らっていかないとどんどん調子に乗っていくので、試しに天国歌会に出ずに家で寝ていた方の自分を考えてみると怖すぎた。

終わったあとはジョナサンかデニーズで夜を食べて、日頃のこういう時間とはまたなんか違った空気だった。

いい感じに車道が見える二階の窓側席で、後ろのグループの女の子たちが有線に合わせて合唱したときに、全員が首を動かして見た。個別会計だけ禁止されています、と最初に言われたので最後小銭と千円札を集めて持っていく。

前日の「好きな短歌を語る会」(そういえばこれは「飲みながら」が「呑みながら」じゃなくて本当によかった)の紙を文系フットサルさんが持ってきてくれてたので、参加者と照らし合わせて歌を当てていくのをした。マジで誰も当たらなかった。

出ると雨で、寄って行きませんかとなって卓球バーに。カフェ・ミヤマから近いほうのお店は店じたいが団体貸切で入れなかったので明治通りのほうのゲームセンターで白いブラックサンダーを落とそうとしたり(だめだった)、この時間からコーヒー飲むの格好よくないっすか(茶亭 羽當「申し訳ありませんが満席です」)と、一軒ずつずれながらうろうろしてたらダーツのお店のビルに卓球ブースもあるらしかったので入る。3台埋まっていたので順番待ち。カウンターでなにかを飲みながら待つ。


その県で作ってるんだ。

いいもの見してもらった、ありがとうございます。


リノベーション

ピンポン球がはねない素材の床

拾うときわりに苦労した。

女子とデュースになる。「女子とデュースになる」みたいなくすぐり、の言い方はあって、「女子とデュースになる」で起こる笑い声も絶対にあるんだけどもうそろそろ「女子とデュースになる」はどこでもできなくなる言葉遣いになる。そうなると「女子とデュースになる」で笑ってた自分はどこに行ってしまうんだろう。

「女子とデュースになる」は言わずに楽しんだ。楽しかった。

9/19

鶏肉がとにかく安いので、夜はほうれん草とで水炊きばかりしている。エリンギも入れる。豆腐はまだ早い。豆腐は働き出してから。豆苗も良さそう。千葉のマンスリーマンションのときから使わずにあるトマト缶があったので、クックパッドで探してたらかなり口調がちょうどいい人がいる。

なんだろう、やっぱり「大丈夫です」のおかげなのか。上の「目分量でいいです。」とかもかな。トマト+鶏+ほうれん草+エリンギ、ソフト麺。鍋蓋の裏が真っ赤になった。

9/20

図書館。「竹とビーナス」「海雨」「高柳路子全歌集」「花柄」を借りる。「RERA」のAmazon注文分が来る。『RERA』の初版には他者のブログの記事を短歌化したものが全部で十三首あり、それが作品としての独自性に欠け~~

了解。

松木秀さんという歌人を僕は勝手に自分の血筋の先達にある人だと考えていて、そういう意味でのストレス、も「分からなさ」も、読んでいるときの自分には無い。完全に無い 

なので話は次に「完全に無い」が引き起こすストレス、のことになる。でもこれはたぶん、「笑点」や「よしもと新喜劇」に笑えなくなって、しかし年を取るとだんだん笑ってしまうようになってくる、みたいなジャンルの話だと思うし、イラっとする時期が今後どんなに長く目の前にあったとしても、僕は笑点やよしもと新喜劇の、そして松木秀さんのない日本に住むということが当面出来なさそうなので(でも一方でたぶんそんな「日本」にわたしはいませんという歌人の顔も思い浮かべられるくらいには居て)(それが松木さんと、そして僕のいる今後の「日本」の苦しみだろうくらいには思ってる)、言い方はほんと最低ですけど自分にどう「活かして」いくか、の短歌の人のラインに松木さんはいる。大いにいる


まだ読み終えてないけど『RERA』にはたとえば

差別にもいろいろありて究極はジャイアンの言う「のび太のくせに」

/ THE UNFORGIVEN

シスターズに還元できぬ姉妹とう言葉はなんだ叶、こまどり

/ この先は火葬場ですか明日ですか(2009年のつれづれ)

といったお題、も回答、も同時に入れこんである親切さ、が速さ、を手放してしまっているというような歌が何首も見受けられて(作者のほしいものに速さ、があるかどうかは別として)、でも僕にはこの「親切さ」から始めることによってしかまずはGETできない「読み(手)」への怖々(こわごわ)感への他人事でなさが、愛おしさとか苛立ちとかと共に自分の中にあるんだということを黙っていることができない。

松木さんの歌を読んだそのときの自分がもしも無言、という反応をとってしまったら、その無言、はいつかの自分の発表作への(しかも増幅された)沈黙となってそのときの僕の目の前に現れる。そういうことになるはずという予感がある。どうしてこんなにすぐ自分の短歌の話になってしまうんだろう。でも、その人の話をしているといつの間にか自分の話になってしまう、という歌人って自分にとってそう多くなくてですね、松木さんを見ている必要が自分にはある。そして必要、は苦しい、ものなんだということを僕は、松木さんを見ることで体感的には初めて知ったような気がする。


生卵割るほどすごき突風のいまも世界のあちこちで吹く   松木 秀

洋風に鳩サブレ焼け、かつてなく薄汚れたる平和の祈り   斉藤斎藤

短歌のキャリア、がその歌人を連れていってしまうグロテスクな場所の一例に、たとえば本歌取り、をしている松木さんの歌があると思う。ここからどうやって逃げるか、そしてこういうときに「逃げる」みたいな言葉を当ててしまうヌルさ、にどう重みをーー重みに見えるものをーーまとわせられるのかみたいなところに目下の興味がある。その場に座りこみたくなる

9/21

これの前の日朝五時くらいに寝てしまって夕方に起きて、冷蔵庫になにも無いのでもう1セット入れ(眠)てからまた日光に当たれる時刻くらいに起きよう、暮らしをやり直そう、と思ったんですがそれでも20:00。借りてきた歌集をワードに移したりしてるうちにスナック菓子とか食べだしてしまい結局前日の生活パターンの繰り返し。吉川さんはわりと敦賀(つるが)とか碧南(へきなん)みたいなそのままの通りのルビが多くて大変。

トークイベントのあと書店さんからお礼でもらうとき「ありがとうございます。ようかん」「ようかんではないです」というやり取り(こういう「流れを止める」だけ、 みたいなことをもっといっぱい言いたいです)をした包みを開いたらお茶っ葉と、ようかんが入っててなんか一人で申し訳なかった。きゅうすを100円ローソンに買いに行こうと思う

9/22

13時から阿佐ヶ谷ロフトで『地元のツレに久しぶりに会ったのにそんな話するなグランプリ』を見て、とんかつ屋さんでカツカレーを食べて、19時から『シャラ~ぺ杯』を見る。

両方すごく面白かったけど、地元のツレに~の方は「なにその話?」という聞き味(あじ)の話をするんだろうな、というこっちの予想に対しての演者おのおのの「地元で」「久々に会った人との会話」ってシチュエーション、という一味(ひとあじ)を足せているかというと特にそういうことはなかったと思う。「わたしの同級生に●●って子がいて~~」みたいな、『地元』で『昔馴染みどうし』、というそもそものシチュエーションを総崩しにする出だしから話し出してた出演者もいたし。最近のライトノベルとかアニメのタイトルにめちゃくちゃ長いものが多い、とかそういうのと同じ効果を狙った、あくまで集客の惹句、のための『地元のツレに久しぶりに会ったのにそんな話するなグランプリ』というタイトルだったんだなと思うことにしたんだけど で、はたして、これはなんに対する不満なのか。

うまく言えないけど、このような長いタイトルを良しとして銘打っている主催側の、こちらに還元されない部分での演者側の「はしゃいでる」雰囲気、に蚊帳の外感を喰らっていると感じているからなんじゃないか。告知ツイートのときとか、そんなライブ名をツイートに入れこめるのは楽しかっただろう。客側にも、そんなタイトルのライブに行ける自分、が愉快でしょうがなかった人がいたに違いない。でももうそういう気配が自分は決定的に無理になっているんだ、というエネルギーがこのくらいの長さの文をキーボードでかたかた打つくらいにはある。その分喰らう「蚊帳の外」感はなかなかのものがある。

いつかに自分は、面白いんだろうけど・行かなくなる、みたいな場を多く得ていくと思うけどこの日に受けた気分が、いつかに始まるそのような流れ全体を象徴するものになる気がした。このおもしろさは、自分と関係がない。そう思ってしまったとき、また自分のなかの何%かと、外の何%かが死ぬ。

いったん家帰って、「ファイトクラブ」と「隣人13号」を借りてから、また西荻窪来て、夜明かし。

許さないぞ木下

朝4時ごろに赤色になってるカラオケ館のトイレ個室の鍵穴、都会の暗部って気がする

写真のマクドナルドは、座ってる人と その隣、にしかコンセント穴が無くて苦労しました。

9/23 

「ファイトクラブ」、あんまりなんで殴り合いしてるのかがわからなかった。歯折れる手前くらいまでの痛みでわいわい、くらいのノリまでなら没入できたとしても、歯折れたらほんとうに嫌にならないですか?

金曜土曜、と母さんが小金井の兄ちゃんの家に来てるので二日間いこうと思ったんだけど眠くて起きれずに部屋暗くしたまま短歌のピーナッツとか正岡さんのブログとかを見てた。17日の瀬戸さんとのやつまでポテトチップスとか食べない、って決めごとを科してたので、終わったら食べてしまう。

王将じゃない中華屋も探したい、とEDIONとかあるところの餃子専門店、に行って から揚げ丼を頼んだら、メニューの写真では見えなかったマヨネーズがご飯とから揚げの間にみっちり塗られてて、自分はマヨネーズが好きじゃないんだと気づいた。性的な気持ち悪さがあると思う。お冷は水でなく、ベロの上がすっきりする系のお茶だったんだけど、それでもどうにも始終ギトギトして嫌で、なんか斉藤斎藤さんの歌集「人の道、死ぬと町」はそういう気分でときどき開いて読むのがいちばん心に来るものがあるような気がした。これを書いてる今はもう読み終わってるけど(この歌集以後、短歌の評も、歌集の上梓も、短歌の人たちとの人付き合いに対しても、慎重になる人がかなり増えそうだなと思う一冊です)、この日の時点では

お菓子バリバリコーヒーガブガブカイロホカホカちんぽこスコスコ充実のわたし

/「今だから、宅間守」

の押し付けてくる嫌悪感がいちばんすごかった。男であるのが嫌になってくる。この歌のなかに書かれてることはその全部が自分もできるから、自分は女性よりも一個嫌 が多い。今後慎重になってしまうのは、短歌内のことだけではなくなる気がする。もう何回か読んでいて、なんだったらこればっかり読んでたいくらいなんだけどほんとうに滅入るので間隔をあけている。自分のときは1ページ何首組にしようかなとか、そういう話じゃなくなってきたと思う。

一首の屹立性なら第一歌集「渡辺のわたし」(引用歌も引き続き、こちらからの方が多いのは変わらない予感はする)、一冊としてのゴリゴリ度なら「人の道、死ぬと町」、ちょっとうれしくなるくらい良かった。

9/24

兄ちゃん家へ。靴下に石を入れて同級生の子を殴ったとか、爺ちゃんは電パチ漁をしてたとかの話が面白かった。替えのコンタクトレンズがなくて目が気になってきたので終電で帰る。東小金井駅まで走って10分、まにあってうれしかった。横浜までしか無理だったので、そっから歩いて帰る。ipodの放送室では、杉田かおるの話が3週くらい続いた。

9/25

スカイプで伊舎堂仁トリビュート歌会。参加してくれた方ありがとうございました。へそさんと加子さんの邂逅(かいこう)に立ち会えてよかった。ポケットWi-Fiでもスカイプできるっぽくてほっとした。なにか、実になる時間になってくれたらいいんだけどと思った。星に貼られてある のふせんの歌とか、もう今めっちゃ別のと入れ替えたいです。

9/26

三角チョコパイ一個買えるくらいしか財布の中身がなかったのでマンション横のセブンイレブンでお金おろして。業務スーパーで鶏肉や豆苗を白菜を買いに行く。「ナビスコ」のリッツ、まだ余裕で数あるんですね。ここで買った韓国産のボトルガム、ケースきちんと閉めても外出から帰ってきたら開いてたりして怖かったので帰りにイオンで新しいやつを買う。

「ドキドキ郵便箱」っていう何年か前に出会い系っぽくツイッターで流行ってたアプリは海外の人にもメッセージがランダムで送れるんだけど、この前の日くらいからそれで「dessert storm」とか「vietnum potato industrial」とか「full moon videogram」とか、「German shepaherd diner's」とかってただただ格好いいと思う英単語の並びを送り付けてる。だいたい「ha?」とかだけど一応返事があっておもしろいです。あと「what?」とか、「wrong word」とかだけど。ロシアの人がいて、白夜とかあるんですか、ときいたらめちゃくちゃ黄色いストーブの写真もらっておもしろかった。


夜、youtubeで観てたらサンドウィッチマンの靴屋のコントの動画が流れる場面があったんだけど、セットの書き割りにABCマート、っぽいデザインで「DEFマート」ってあって自分はこのコンビのこういうところが嫌いなんだと思った。きゅうすを買いに行く。