たかさんのブログ


「ヤングマガジン」誌上で連載が始まっている たかたけし『契れないひと』のコミックス1巻が、12月6日に発売されます。楽しみです。

Amazonからの購入はこちら。

1話の試し読みはこちらのようです。


「自分もおもしろい人間になって、おもしろいことを言い、それでウケ続けていきたいな」という欲望があるとして、そんな欲の持ち主たちは、人生のどのあたりでそれをあきらめていくんだろう‥‥ということが最近は気になっています。

脳にある「おもしろい」が出力、にどうにも追いついてくれなかったり、そもそもとっくの昔に「おもしろい」を見失っていたり、新たなおもしろいもの‥‥がどうにも見つからなかったり、見つかったとして、とっくにそんなものは著書「天才になりたい」で山里亮太が自らに禁じていたチャゲ&飛鳥の【チャゲ】や、大喜利のコツを教えるライブ「喜利ンジ」にてひみつスナイパー・仁木やバーニーズ・細田が東京ホテイソン・たけるに「(大喜利回答の)スターターパックです、」とダブル推しする【みひろ】のようにウケのテンプレ登録‥‥を終えられていたりする中、それなら、的に「その中でどう突き抜けていくか」で開き直ったり、横穴破りの「横」を探したりに移行するもやがて開き直り疲れ… 「横」が見つからずに終わっていったりする‥‥というのが「おもしろくなりたいな」の墓場なんだと思っています。 

自分のことも少し書いておくと、僕は短歌をやってる人間なんですけど、まず「思ってること」を「こんなにもこいつは言うのかよ」が、なんというか一番いいな、という方向性のようなものがあって、2016年の冬に 


という短歌(は、5-7-5-7-7で区切って読む一行の文章なんですけどこれだと6-7-6-7-7でモッタリとしています)を作って以来、これ以上に思っていることが言えないな‥‥の自己判定が下ってしまってからはただただ無風なんですね。「次」があるのか、この「中」に「さらに奥」があるのか…というのを考えているうちにどうにも墓場、 墓場, と思ってしまう夜眠る前 があって、そういうときに僕は〈たかさんを見に〉いきます

特に、この何年間はこの たかさんを見にいく が多い期間でした。そうこうしているうちにたかさんは、コンビニ時代に「友達から預かってるエッチな本はあります」と言っていた後輩くんをモデルにしたマンガで賞を取り、たかたけしとなって、単著が出た。


最初に認識したのはなにで、だったろうと思い返す最初のたかさんは、ツイッターアカウント(@ketuge)に浴槽で全裸の写真をあげていたり、酉ガラさん(@torigara4
 この人もおもしろいです)にフィフスエレメントを送っていたり

歯みがきをしていたりして 

今はさらに、でしょうけどそんな写真をネットで見れる機会って少なかったので、そういう諸々をネットのこっち側で見て笑っていた覚えがあります。そのうちにアップされるみかんや

ハンバーグパンのどうにも忘れられなさから、漫画を描いていこうとしている人なんだ、を知ってブログ「今夜は金玉について語ろうか」に辿り着きます。結論から言うと、僕が2016年以降の無風‥‥のなかで惹かれ続けている、文章表現から受け取れる快楽の極北がこの「今夜は金玉について語ろうか」にはふんだんに含まれている。このブログはちょっと普通ではありません。ほんとうに読んでみてほしいです。

世間にはここまでコンビニの店員さんに「他人」として振舞える人間がいるのか‥‥な「くやしい漫画を描きました」の一連や

レジへの列さばきと、袋詰めの達人化(か)によってむしろ後景化されている「くやしさ」が色濃く浮かびあがってくるような「正拳突き」、

自分も一緒に働いている気持ちになれる…どころかため息までつけてしまう、びちゃびちゃで、シャマランで、「後輩くん」な同僚たちを書いた一連からも目を離せないものがありました。


2012〜2014年頃ーーーが僕の個人的な思い入れを持って区切ることのできる期間なのでこう括らせてもらうのですがーーーーのネットで読めていたすごい書きもの、には「今夜は金玉~」に加えて、こだまさんの「塩で揉む」や爪切男さんの「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」、硬派めな内容としては(当時)のりしろさんの「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」、次点として現・ガクヅケの木田さんによる「アクター団地」などがありました。最初の4人は、後に「ヤングマガジン」誌の『契れないひと』コミックス発売の告知の際に『伝説の文藝誌』と銘打たれ引き合いに出されるまでになった『なし水』の同人として、それぞれ「夫のちんぽが入らない/こだま」「鳳凰かあさん/爪切男」「弱いもんばっかいじめやがって/たか」「西を東のイーストウッド/のりしろ」等を執筆しています。初頒布となった文学フリマ東京で、開場と同時にブースへついた行列に勝手に嬉しくなって、写真を撮ったことも懐かしいです

「生きてて起きてきたことを、」「ここまでそのまま書いた」のが「こんなにおもしろい」、というのが『なし水』掲載作品だとたかさん・こだまさん・爪切男さんの作風の特徴として挙げられるかと思いますが、「とある〈暴露〉の要素を含む夫婦生活」(こだま)や「かつて生き別れた母親との再会」(爪切男)という、なんというか〈太文字〉な、一見、そのテーマ選択と展開、だけでスタートの時点で履くことができているーーと、いったん乱暴に書いてしまいつつ「それだけではこうなっていない」のが両作品でもある、ともエクスキューズしておくのですがーー「おもしろさ」のゲタ、からは一段落ちるような「とある家族史」をテーマに選んだたかさんの「弱いもんばっかいじめやがって」に当時の僕は最もグッときていました。

その、結局を言ってしまえばどこまでも個人の好き嫌いーーにあえて理由を続けるとすれば、たかさんの「弱いもん~」に僕が惹かれたのは、冒頭に書いた「自分もおもしろい人間になる」のための引用技術、をその内容に豊富に含んでいたからだった、と言うことができるかもしれません。つまりこれを真似すればたかさんのように、おもしろく書ける。(この気づきは、今のところなににも結実できていないのですが)

役所の窓口で長居してるおっさんを、なんで怒ってるかは知らないが子供ながらに恥ずかしい奴だと感じていた。
二十年後「こんなもんヤクザやないか」と手で催告状ビームサーベルの柄にした三十代半ばの自分が窓口で怒鳴ってた
(たか「弱いもんばっかいじめやがって」冒頭)

の【手で催告状ビームサーベルの柄にした】の、助詞「を」の省略による「喩」への生々しさの刻印と、「喩性」の強度の復権。 

(加えて、たかさんの文章ではほとんどの文節において末尾の「。」が省略されていて、このことが呼び寄せている「消え入るような独白」感などは、散文においてはほとんどたかさんの発明であると思っています。)

平日急に家寄られたみたいな茶菓子とお歳暮丸出しのネクター(よく贈ってもらえたな)しか出してくれないので、
 親父は鏡台を作る会社に勤めていて、「ワシは総務部長ぞ」とよく自慢していた。総務部長がどれくらい偉いのかよく知らないが、名前の響きだけで吉本の木村常務ぐらいかなと理解していた(木村常務の偉さがわからないけど)。(中略)ワシの文章で有名人も鏡台を買ったと自慢され、クロマティだと聞いてどうしていいかわからない気持ちになった(高級なのはわかった)。

の()づかい、

ある年から生意気にも犬を飼い出したので、それからは犬と遊べることが楽しみで行くようになった。犬は六階級制覇目指してるみたいにガリガリで、茶菓子のせんべいあたえるとせんべいの内臓ほじくりだすみたいな食べ方するので、飼ってるんじゃなくて鎖で野良犬捕まえてるのかなと初め思ったのだが、「飼ってる?」と兄夫婦に聞くと「飼ってる」と言うので、ご飯もちゃんとあげてるらしいし、元々太りにくい体型なのかなと納得することにした。

【せんべいの内臓ほじくりだすみたいな食べ方】のような、「あたえられた現実」をもう一段「おもしろの上等」にする書きぶり…。

冊子になったものから挙げるとすればこの『弱いもんばっかいじめやがって』、「今夜は金玉について語ろうか」内の記事から、なら後に〈これは大変なたかさん〉と「のりしろ」さんから言及を受けた一件さえ最早なつかしい、

「終わりの季節」でひとつのピークに到った「たか」の文体は、専業の漫画家「たかたけし」の始動によって(おそらく)いったんの凍結をみます。「なし水」は現在入手困難の冊子であり、オークションサイトで高値で手に入れるようなものへとその価値を変えたようです。だけどたかさんの散文、に関してはブログ「今夜は金玉について語ろうか」でたいへんな量を読むことができるのです。

には、

ICUでピトーを倒したあとみたいになってる母親(「終わりの季節」)

まさしく「自分たち」にオートクチュールで贈られたような【ピトー】があるし、

「そんなことありますか?」と半信半疑な不動産屋の人と2人でおばさんの部屋のインターフォン押したが、中でお経読んでる声がするのに無反応。ドアをノックし「すいませーん」と呼ぶと、中から「無礼者!」と一喝された。しょうがないので「あの..なんか俺が物を壊したとかトイレ覗いたとか聞こえてくるんですけど」と上地雄輔のアルバムタイトル言ったあたりで、「帰れ!」とまた一喝されたので、まあ不動産屋の人にどういう人か伝わっただけでもいいかと思って帰った(「隣」) 

こんなところに召集される上地雄輔がいるし、

その日から今まで聞こえてこなかったおばさんの喋る内容が壁に耳を当てなくても入ってくるようになり、今まで意識してなかっただけでめちゃくちゃ滑舌よかったのとダイノジ大谷のオールナイトニッポンより自分語りしていて、俺が怨まれてる理由や知りたくもないおばさんの歴史を知ることができた(「隣」) 
中学生の頃休み時間はよくベランダに出ていた。それは別にベランダが好きだったわけではなく、教室にいるクラスの女子やゴリラの顔マネで誰かの背中を上から下に叩くことで主にウケてる宮迫みたいなクラスの人気者の男やダークシュナイダーのことと思ったら自分のエロい話をしてるヤンキーたちから感じる俺とは関係ない空気に耐えられず、ベランダのくせにほぼ不法投棄とドブ川しか見えない景色を無心で見ている人たちが集まったら、自然と気が合う人たちも集まったというだけでその中に山地(仮名)もいた。(「ベランダ」) 

「たかさんにこう書かれてしまう」という形で復讐を受けるダイノジ大谷や雨上がりの宮迫がいるし、

コンビニの床が汚い。内戦が多い国の民家ぐらい足跡がある(「解散」) 

ひたすら危なげのない喩えがあります。


「今夜は金玉について語ろうか」、ぜひ読んでみてください。


もちろん「契れないひと」も、ぜひ。


僕もようやく、これから一気に読むことができます。
たかさん、このたびはコミックスの刊行おめでとうございます!


◾︎


 僕の〈書く〉、〈何かを思う〉、〈聞いてもらうためにがんばる〉に幼年期があるとすれば、そこでのほとんどは村上春樹へ持っていかれた。これを抜いてくれたダルクのような場所が僕には穂村弘であり、平山夢明であり、斉藤斎藤だった。もっとすごくなってからこういうのは言ったほうがさまになるんだけどさ。この二人には、なんというか平場(ひらば)での強さがあった。春樹を連れていくより、穂村な、夢明な自分の飲み会のほうがなんというか、うけた。その後、斉藤さんのいる部屋が脳に一室、できた。
 たかたけしさんは、僕にはなんなのかわからない。ただひたすら、【胸ポケットに2本もボールペンをさしてるコンビニ店員はお侍さんである。】や、(バーニングをバーニと言うのはやめてくれ)等の言い方に夢中だ。よりによって石川さんがこれらを読んだと思うとこの二〜三日、別件での失恋の痛みが和らいだ。失恋はきついけど、たかさんがいる。

(2021年・某所に書いた推薦文)

◾︎