ウォンさん


8月の始めにウォンさんが出て行った。  

ウォンさんは就活で日本に来ている同い年の男で、たぶん生活費の切り詰めや、クリアできない入居審査などの関係で僕の家に住んでいた。僕と同じように、月に3万ほどの家賃を義姉には払っていたのではないかと思う。

 帰国するので、不要の家具などが欲しい者はいないか・・という募集や、逆に、この春から日本へ居を移したいので、間借りさせてもらえる物件はないか・・・といったやり取りができる、すごいジモティーみたいなサイトが向こうの人のスマホのブックマークにはあるらしく、たぶんそこから義姉をツテに、彼女の持ち物であるこの家に来た。荷物を運び込む音で目覚めたのが最初の記憶で、2月のはじめだった。ノースフェイスの上着。背が高かった。黒い眼鏡。

ウォンさんの部屋だけでは仕舞いきれない、と義姉が僕のところを開けてくるので、こっちの押入れの下段にどうですかと言ったら扇風機や電気ストーブ、でかくて黒いトランクケースなどで上段も下段もいっぱいにしていった。靴が多いと思った。黒い外箱。ナイキ好きです、と笑っていた。4年くらい前にマクドナルドで貰えた、コーラ缶の見た目のグラスもたくさんあって、それらをナイキの箱の上に並べて部屋を出て行った。その日から同居が始まった。 


部屋のシェアは初めてではなかった。大学を卒業しても2年、副手(ふくしゅ)と呼ばれる雑用係で残るつもりでいた僕は、それだけが理由じゃないけど就活をしていなくて、あなたを副手にはできないという郵送をアルバイト先の旅館で受け取って途方にくれていたりした。それとは関係なく地震が起こり、宿泊部屋のキャンセルが続いたので帰された大阪の部屋で、埼玉の先輩に電話をした。3LDKのアパートに、同じ大学を出た人たちで暮らしてるんだけどそのうちの一人が春からひとりで暮らすとのことで、部屋が1つ空くらしい。そんな話を以前に聞いていた。4畳半の、3つの部屋の中ではいちばん小ぶりな部屋だった。マクドナルドのコーラ型のコップは、このときに住んでるみんなで集めていたので覚えている。2年後に、短歌の本を出す費用のため自動車工場に就職するまで、ほんとうにお金が無い、時期は続いた。 

貸したハサミを返してくれなかったり、マットの代わりに敷いてあるバスタオルをまたいだ、ところで体を拭くから「ぽとぽと」で床が白く、汚れてしまうことや、それぞれの置き場所を守ってくれない冷蔵庫の使い方をしたりなどと、小さなストレスはあったにせよウォンさんとの生活におおむね問題はなかったと思う。荷物を運び込む日に見えた、乃木坂の写真集を「ともだちから預かっているもの」と説明してきたり、風呂蓋の上に「全身シャンプー」があったりなどということにウケたり、ひもじい気持ちになったりする楽しさの方が強かった。

 『今日 家に友達を呼ぶんですが12時。』

 『12時までにはいっしょに出るので』 

 『泊めないです大丈夫』 

と来たLINEを隣の部屋で読みながら、まぁ12時くらいになるよねと頷いてたら連れてきた子の声が女性だったりしたときに、ちょっと心が停止したりはあった。ちちくりあってるようにも、言い合いをしているようにも聞こえる。他の日にする、たぶん実家にかけている電話なんかははっきりと怒号のように聞こえて、そういったいくつかのウォンさんを経て聞く、僕へのていねい語なんかを話し半分くらいのニュアンスで受け取るようになっていた気がするし、たぶんその頃の電話でお父さんの話をしていたのだと思う。8月にウォンさん、お父さんの病気のことでそっち出て行くことになったから、と義姉からLINEが来たときに思い浮かんだのが床の「ぽとぽと」のことだった。あれをもう拭かないでよくなる、と思った。


 いやな予感だけはしていたが、深夜に帰宅した台所で、それがこのような形の、ものであったことに思い当たった。部屋を片していくとき、「とりあえず」分別とかなしで紙くずや発泡スチロールを入れていくゴミ袋。役所とかでくれる小冊子。それがどっさりと、そのままで置いていかれていた。破いて平らにした、から積んで縛るのも手間そうな段ボールに「××きゅうり」とあり、死ねばいい、と思った。すいませんけど捨ててもらえますかの一言もないのかお前、たちは、と思ったあと実際にLINEでも送ったら次の日に義姉から連絡が入っていたけどそのときは取れなかった。これからするいやな作業にうんざりして、うんざりしながら風呂に入ったら逆さにしてあった 


を見るまでこのうんざりは続いた。そのまま体を洗いながら、お金がないこと、とお金がないと見ることができるもの、について座り込んで雑に思った。川崎駅のロータリーで始発を待っていた夜、ホームレスの人が自分のテリトリーでない、僕のいる椅子、のところに「どすん」と捨てていったビニール袋がおむつみたいに膨らんでいたこと。

同じ班の同僚に借金しまくってるらしい、という噂のある人と食堂で初めて軽くしゃべった何日後かに、アパートの1階エントランスにその人が来て、金を貸してくれと言われたこと。

つまり帰り道に尾けられていたというのがわかったこと。

その謝罪のために故郷から来た、身元後見人の人が喫茶店で話してくれた、秋田のトリマーの給料の額のこと。

でも書くもの撮るもの歌うもの、ほとんどがお金がない勝負、になったら勝てないくらいの「無さ」のレベルにいる人間が、結局ほんとうの意味での持たざる者、なんじゃないか、と思うと黙り込んでしまう。

ビデオを、GEOに返しにいく。

帰りの一本道が最近、タクシーの路駐でいっぱいだ。0時をまわって、そこでドライバーが休んでる。自転車が走るゾーンで寝てるから、いったん車道にはみだして真横を通るとき、マックスで倒されたシートとおじさんが、一瞬見える。完全に通り過ぎたあとで、今のタクシーは沖縄ナンバーかもしれないと思って引き返すと、別にふつうに多摩ナンバーだった。 

 雨の中を帰る。 


 ※   ※   ※


ウォンさんの引越しに立ち会って手伝っていたらしいチンさんが、ウォンさんの住んでいた部屋には住むようになった。 トランクスでうろうろする。トイレのドアを閉めない。家の鍵をかけない。生ごみを庭の穴ではなく燃えるゴミに捨てる。100均で買えるメロンパンとか、クッキーとかが好き。

「んーー」と思っている。