短歌道場のこと



メッセージ欄を見返すと、9月の8日には石井さんから出場しませんかのDMを受け取っていて、驚いてる。助走を含め、全部で1ヶ月ほどしか費やしていないイベントのように思っていた。その頃にはまだまだ先か、なんても思っていたはずだが、終わってからはもうこのようにしか感じられない。

最初は僕と石井さんの二人だけで、なかなかメンバーが決まらなかったことが1つ目のままならなさ・・・として残っている。法橋さん→谷川さん→平岡さんというふうに以降、決まっていったように記憶している。初回の話し合いは新宿西口の、磯丸水産が多い通りのサイゼリヤで行われた。ピザのサラミを噛んだら、白いのがニュッと出た。サイゼリヤの食べものといえば・・・な青豆ボウル、をスプーンで掬っている者もいた気がするが、谷川さんの決勝の歌の「青豆」はこの青豆ではない気がする。普段そんなレベルで歌読んでるのか伊舎堂、を恐れずにそう言っておきたい気持ちがある。サイゼリヤは地下にあった。

顔合わせが終わり、その日最後の交差点で信号を待っていると、「優勝しかないんですよ」と石井さんが左側から言ってきた。ひらおかさんを巻き込んだわけですから・・・と続ける。

「これは僕と伊舎堂さん、ひらくさんがメンバーに決定している時点ではなかった感情です」

言うかね、と笑った記憶がある。





「ポップでキュートでカラフルな~・・・これどうですか」 

  伊舎堂「僕はこれ反対で」
  「はい」
 
 「というか責めれ、ますね」
   「へえ」

       「『チャップリン』」

   「『ポップ』」  
         「『キュート』
「『カラフル』」

「あと僕はこの『街』の漢字選択がきらいなんですけど」
   「うん」
      「はい」     

「すでに世界にある概念、な『』を借りてきて借りてきて自分の歌にしてる、感じが、
あって」 
 「はい。はい?」

「別にそれが悪いとは言わないですけど、この借り物、っぽさが」

「『愛だろう』にまで及んでて」
    「『愛』まで借り物っぽく思えてくる」

「『愛』が借り物に思われるときついんじゃないか」「という、」
 平岡さん「わたし好きだけどな、『ポップでキュートでカラフルな街』」

  「ま・・・・じですか、」

            「・・・語呂めっちゃいいっすよね」

愛だろうチャップリンみたいに歩くポップでキュートでカラフルな街
/黒川鮪




「テーブル席での宿題などはご遠慮いただいている」サイゼリヤはやがて場所をルノアール→西武珈琲と移し、僕は2回程行けない日があったりしながら、提出歌一覧ひとつひとつの歌意をとりにいく夜はつづいた。

スマッシュを決める評を探すというよりは、石井さんは助詞や修辞のほころびを削っていこうとするタイプ。谷川さんに評されてる歌へ宿る、あの祝祭感はなんだろう。僕が敵ならば「祭りをやめろ!」と公園に騒ぎに来る、〈その団地唯一のヤバいやつ〉的 評で戦う。谷川さんの評は声に、カールがかかっている。ハリーポッターのロンみたいな赤毛の。対称的に、ひらくさんの評は囁き声で、劇や映画のモノローグのようだ。ふだんは僕の次くらいに笑うメンバーであったのだが、どういう切り替えスイッチなんだろう、という興味。そして上のやり取りに見られるように、平岡さんとはいい緊張関係が築けたのかなという感想でいる。今へらへらできていても、次は分からない。平岡さんにいだいている、締まる思いに言葉を与えるとそういうものになるだろう。LとRは、離れていることで出音(でおと)がよくなる。で、LとRがその正面を見合うことはないのだ。


本戦における、それぞれの声や思想の出具合は、この練習の日々に感じたのとおおむね同じものになったという感想だ。ひらくさんが本番に強い。

どの日だったか忘れたけど、つよいズはどこの喫茶店で話し合いしてるんですか、と訊いたら「守秘義務があるので」と何も教えてくれなかったのは睦月さんだ。

つよいズには守秘義務がある。


■    ■    ■


12月の10日に青春18きっぷを買い、岐阜まではこのようなルートで行こうと思った。

04:35発
西国分寺

05:00着
05:14発
高尾
JR中央本線 大月行

大月05:50着
05:53発

JR中央本線 甲府行

06:41着
06:46発
甲府
JR中央本線 松本行

08:13着
08:46発
塩尻
JR中央本線 特急ワイドビューしなの4号 名古屋行

2時間6分
座席別料金
自由席¥2,160

10:52着
11:00発
名古屋

岐阜

11:18着


朝4時半、というと前日には職場帰りの寄り道や、「ドキュメンタル」を観たりをせずに寝ることになってきついのだが、こんなルートで向かう。それはひとえにお金が無いからで、今は違うかもしれないけど、クリトリック・リスはライブ移動を、使えるシーズンなら青春18きっぷでしているらしい。「バンドマンの女」で、「おまえ(恋人)」と言わなくちゃいけない歌詞のところをその前の曲で連呼していた「お母ちゃん」で言い間違えて、母親を妊娠させたことになってしまったまま歌が続くゾっとする時間があった。たしか熊谷モルタルでのライブのときで、MOROHAがかっこよかった。そこから4年くらいが経って、なんか、短歌のことで岐阜に行く日がある。

3時半に起きて、コンタクトレンズを入れて詠草用紙を持ち、ホットカーペットも暖房も切って西国分寺の駅員口を通ろうとするも、開けた財布に18きっぷが見当たらない。「乗車の際のご注意」「その1、」みたいな、同じ素材に色み、の紙は4枚もあるのにスタンプを押す券は無いのである。駅員の顔がカウンターの向こうで見る見るうちに、死みたいになっていく。思い出して、思い出してをしながら戻る自転車で、12/10~12/16で読んでいた、どれかの本の栞にしていたような記憶がよみがえってくる。

穂村さんや、筒井康隆にクソがああああああああああと思うことになるとは思わなかった。自室の畳で、ガムを補充してるみたいなひざまずきで、棚の本を見上げていた朝の時間があった。いったいどの本に挟まっているのかが、まったく分からなかった。

「海と珈琲と石井」のグループDMにそういえば谷川さんが貼っていた、乗り換え案内のスクリーンショットを見ると新横浜に9:32に着いて1号車に乗ればメンバーと同じ新幹線らしく、それまでに「ドキュメンタル」を観たり、桃色のピンセットであごひげを抜いたりしてすごした。4時間ちかく早起きをして、4時間 暇をつぶしている。こんなやつが戦えるわけがないと思いながら、薬局で買った〈Feたっぷりウエハース〉を5枚6枚食べた。

予定外の出費があるとそこから散財、までのテンポがつく。あなご寿司弁当を新横浜のコンコースで買ったのだが、お米が多すぎて土日をかけても食べられなかった。座れる席は無く、2号車へ。何駅か進んだあたりのトイレタイムで、1号車~2号車間の喫煙スペースに平岡さんと谷川さんを見つけてガラスの向こうから手を振るも、たぶん頭にある「いしゃどうは別ルート」を上回れる、強さで手を振れなくて、談笑しつづける平岡さんと目は合っている朝の時間があった。死んだ後ってこうかもしれないと思った。

名古屋駅の在来線ホームで無事に全員とは落ち合えて、岐阜で降りると黒系のコートの濱松さんと廣野さんが「コチラ」的なペーパーを持って待ち構えていて、たしかに廣野さんはブルックス・ブラザーズに似ている、2人組だとそれがわかる、と思ってから教えてもらったコンビニの方向に5人で急いだ。バスが出発してから、濱松さんが窓の外に見える何かをイジって笑いをとっていたのが悔しくてイヤホンでラップの曲を聴きはじめたんだけど、3曲くらい経ってから外したら誰もひとりもしゃべっていなくて笑った。

記憶は飛んで飛んで夜、(カメムシのツイート笑いましたとたいようさん、に言えてよかった)(たぶんかなりちゃんとしてる人だし・ちゃんとしなくては・を話した瞬間・秒で思える、僕が「社会人」を思い浮かべるときに出てくる・伸びた背筋の・持ち主でした)、交流会の挨拶、30番の席、どぶろく、温泉。あのとき話したのが広大短歌会のせぐちさんだったのだな。

男湯の露天風呂には青いすべり台があって、そのあたりを地元の中学生くらいの人たちが占領していた。行きますか?と石井さんが言って滑ったあとに滑った。後からひらくさんも来て、僕と石井さんは2回、ひらくさんは1回すべった。石井さんは言われたのか分からないけど、すべり終えた溜まり、のスペースに僕がすべっていって水中から顔を出したとき「誰や? こいつ」と地元の子たちに言われて、しばらく口がきけなくなった。

旅館の、「海と珈琲と石井」の石井・法橋・伊舎堂 部屋で最後の歌意の取り合いの時間を、5人で0時ちかくまで。僕は先に寝た。


毛布

かけ布団

寝る人

敷き布団  じゃなく、

かけ布団

毛布

寝る人

敷き布団  のほうがひんやりしなくて良くないですか、と言ったらひらおかさんに「防寒が分かってないな」と言われて良かった。


■  ■  ■


これぜんぜん終わらない、 滅入る、

砂を・粒で・拾え って言われてるみたいな気分、なので以下、箇条書き。覚えてる分を・思いだした順に。

・お~いお茶のホットありがたかった

・平岡さんの

わたしそれ呼ばれてないってすぐ思う耳だけ森から出してるような

を「森っていうのは自分にとっての安全な場所というニュアンスでとったんですけど」と言ったひらくさんが忠典さんに「森を安全な場所ととりますか・・・」「ほお」と返されていて、怖い!怖い!となった

・「マックポテト」「ちくり」「ポップでキュートでカラフルな街」、あと別の歌会での「常設展」と、連続して黒川鮪さんを読んだわけだけど、振りかざすテンション、と妙に耳残りのいい言葉の連ね方、はまたそんなに間を置かずに自分の前に現れるという気がした。30首とかで読んでみたい し読むことになる のじゃないか

・見れてない歌合せもめちゃくちゃあった中で、見たものでは広大短歌の人たちいいなあ、と思った。戦闘員として、カラーの合ってない人がいない、というか。この人たちがおもしろい、きれい、と思うことのブレがこの人たち間(かん)でほとんど無さそうな感じが見ててうれしくなる。時に場の空気が悪くなる、のも辞さずに好きなお笑いとか大喜利の回答とか語り合ってる、詰めてる、夜がありそうな感じ。おれがこういうのを書いてたことなんかいずれ伏せる未来がくるくらいに、愉快なこと/ひと がここから出てきそうな、気配。

そのときはサーカスみたいに見えたのに近づいたらおれでした。すみません。/瀬口真司

短歌道場前の歌意の取り合いの時間でこの歌は、石井さんに「いしゃどうさんの友だちがいますよ」と言われていて、元パートナー・・・への謝罪(「いちゃつき」に寄った)、っぽく読めるところがその意味するところなのかなぁ、みたいな野暮を挟んだうえで、たしかにこういう歌は差し出される、とむらむらくるところがある。僕のとった歌意としては、「サーカス」くらい楽しげな人だと思ってあなたはおれと仲良くしてくれたけど「すみません」、おれは単にみすぼらしいおれでした、という読みです。そこをかなり、書き方や主格の置き方で曲げてある、ことで「おれ」の錯乱を言っている。こういう歌は差し出される、とむらむらくるところがある。

攻めることになるとすれば、特に今から書くことが効力を持つとは思えないけど言うと思う・・・のは

○「サーカスみたいに見えた」の直喩/暗喩の指示対象が広すぎる

○下の句で「すみません」と言うはめになるまでにみすぼらしく転化、させることのできるキャラクターは「サーカス」に存在するのか

○いるとすればピエロだろうが、(「おれはただのピエロだった」みたいな言い方はある)、ピエロは「近づい」てもある程度、ピエロのままなのではないか。「おれ」には転化できないのではないか

○「サーカス」のピエロ、ではなくトランプのジョーカー、のほうが「すみません」と響きあう気がする

・・・・・なうえで、こういった「すみません。」を表現であれ、懺悔の気持ちであれ必要とする魂の哀しさと節操のなさ、にはとても感じ入るものがあってしまいます、ということになると思います。

・思い出す、一戦としては「ジェンガ」の決勝戦になるんでしょうけど、いちばん好きなカードとしては相田さん vs 谷川さん でしょうか。反論、というより持論、の深堀りに継ぐ深堀りで、もうこの対戦の時間は終わらないまま我々はガリガリになって死んでいくんじゃないか、と思ってしまうくらいに怖い怖い、時間帯でした。「これまで東京で、歌会なんかしてなくて」「この2人はここで初めて会ったんじゃないか」と思いました。

・バスの帰りの休憩で降ろされた道の駅で法橋さんが審査のすずきさんと立ち話をしていたので混ざったら、桜望子さんとの対戦の時間が芸になってた、と言ってくれたのが嬉し、くてこれ書い、たあと直ぐ忘れ、ることにしたいんだけどそれが難しそうな時間でした。  もう忘れました


帰りは朝の8時に18きっぷの在来線で、(穂村弘「これから泳ぎに行きませんか」の二階堂奥歯のページにはさまってた)途中静岡に下りて、ソフトバンクショップでiphoneの充電、その間大戸屋で昼ごはん。ただいま満員なのでお待ちいただいてる間→お名前を書いてお待ください→お席が空きましたのでご案内いたします のあいだに言えばいい「ごめんなさい」の数のゆうに10倍は言ってる店員さんがいて、いいのに…と思っていた。駅に戻る間にコンタクトレンズのティッシュを配っている人がいたので大きく迂回してよけると追いかけて来て、渡そうとしてきた人もいて、逃げ切りながら、なんだか同じような表情に見えた。静岡駅付近で働く、というのは僕なんかには分からない強いられる緊張感、がつきまとうものなのかもしれない。

充電が終わってなかったのでスターバックスに入ったら、横の2人の女子高生のひとりが「スクショチャーンス」と言ったあともうひとりに「…クレバじゃね?」と首をかしげられていて、どっちも初めて聞いた言葉の並びだった。名古屋~西国分寺間、妙に近くにいる知らない人の言ってること、が耳に入って来る半日だった。

家に着いたのは17時くらい。洗ったお米を炊飯したあとりんごをむいたら怖くて、短歌道場はおしまい。




いろんなありがとうございますもいつかの日に言い逃さず、直接、言っていきます。楽しませてくれてありがたかったです。を、いろいろな言い方です。

どこかでまたお会いしましょう。