ほんみちの概要②

【教えの概要】
 ほんみちでは、各施設の神拝殿及び信徒宅においても、甘露台人の理、また親神様(月日様)を目標(めど)と称する御神鏡を祀り、朝夕の「おつとめ」や日々の礼拝の対象としている。
 礼拝の際は「南無甘露台様」と唱え、天啓者甘露台の名を唱えることは親神様を含め十柱の神様を唱えるのと同等であるとしている。
 教典は、愛治郎の著した『教義一斑』と、天理教の教祖中山みきが著した『みかぐら歌』『御筆先』と、みきと本席の飯降伊蔵が示した『お指図』、みきが命じて作らせた『泥海古記』である。
 
【甘露台人の理】
 ほんみちでは「甘露台人の理」を説いている。これは、天理教が「甘露台」を「神が人間を初めに宿し込んだ〝ぢば〟と呼ぶ場所に据えられる石の台」のみとしているのに対し、ほんみちでは「親神の心を人間に取り次ぐ唯一人の存在、天啓者である」として、人においての甘露台を説いている。
 天啓者は、天保9年から大正元年までは天理教祖「中山みき」、大正2年以後は人の理甘露台「大西愛治郎」であり、さらに愛治郎の死後は「愛治郎の再生者である」と主張する。
 中山みきは明治20年に90歳で亡くなっているが、魂は存命で、115歳の定命までは働きをするとし、本席「飯降伊蔵」に入り込み天啓を出しており、115歳の定命の年が大正元年である。

【教理・教義】
 また、ほんみちでは、教えの内容を「教理」と「教義」とに分ける。教理とは「教祖・中山みきが示した永久不変の天理の教え」であり、教義とは「時代に合わせた天啓者による直接的な教え」であるとしている。
 ほんみちでは、近い将来に世界の危機が到来する、とも説いている。愛治郎が「世界の大掃除、越すに越せんの関」と示したように、理想社会である「甘露台世界」を迎えるにあたって、人々の心に溜まった八つの埃を一掃するための大難関が必ず起こるという。この危機を乗り越える唯一の教えがほんみちであると主張し、甘露台・天啓者を中心に救済に立ち向かう人材となる信徒「みち人」づくりを目指すとしている。

【活動】
 信者の活動には「匂いがけ」と「ひのきしん」がある。匂いがけは主に個人で行う伝道・布教をいい、ひのきしんは労働奉仕による施設の建築や維持管理をおこなうことである。これにより全員が心を一つにする「心のふしん」ができるとされる。しかし現在信者の活動は「ひのきしん」が主であり、ほんみち組織はひのきしんにより運営されており金銭報酬はない。「匂いがけ」は組織としては行っておらず、信者個人の自発的な活動に委ねられている。

【みかぐらづとめ】
 ほんみちでは毎月一回の「月並祭」と各大祭に「みかぐらづとめ」が行われる。天理教の各教会で行われている「月次祭」とほぼ同等である。
 信者の朝夕のおつとめは、各施設の神拝殿や各家庭の御神鏡の前に座り、中山みきによって定められた「おてふり」をしながら「あしきを払うて助けたまえ、てんりおうのみこと…」等の文句を謡いつとめられている。

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