Exercise the Right (キングヘイロー)

ウマ娘のキャラソン歌詞2本目。今回はキングヘイローのExercise the Rightです。ウマ娘のキングヘイローと実馬のキングヘイローを区別するために、ここでは実馬の方をキングヘイロー号と呼びます。

Exercise the Right

日本語にすれば「権利行使」。普段は彼女から権利を貰ってばかりなのですが、彼女はどんな権利を行使するのでしょうか。ところで、ホーフェルドという法哲学者がいます。彼によれば権利を行使するということは、その対象が義務を負うということになります。物を買う権利を使うと、販売者はそれを売らなくてはならないわけです。キングヘイローは「〇〇する権利をあげる」とよくプレゼントしてくれますが、例えばキングを応援する権利だとすると、彼女は応援されなくてはならないわけです。これは深読みしすぎな気もしますが、彼女は他者に権利を与えることで間接的に自身はそれに相応しい存在でなくてはいけないと義務を背負おうとしているのかもしれません。

生まれた瞬間に 刻まれていた
焦がれた約束は この手から零れ落ちて

例え どん底でも 希望 疑わず
顔を上げてきたから
幾度 敗けようとも 奪われないココロは
私だけの権利

私は私らしく 道を駆けるから
誰かではなく私が 誇れる勲章(もの)を
現在(いま)はまだ報われない 敗者だとしても
明日はどうかしら?
Exercise the Right

彼女はいうまでもなく名家の生まれです。母親がグッバイヘイローなのかダンシングブレーヴなのかはわかりませんが、彼女は生まれた時から「あのウマ娘を親に持つご令嬢」という評価を嫌でもされるわけです。零れ落ちた約束とは、期待された大活躍ができなかったことを指すのでしょう。
G1を10連敗という記録を残しながらも、自らの勝利を信じてレースに出走します。実際のキングヘイロー号は首を下げずに走るという話がありますが、それも踏まえて「顔を上げてきた」となっています。
私は私らしく道を駆けるというのは、おそらくキングヘイロー号が混んだ道を嫌ったところからも由来しています。また、たとえ母親に認められないとしても私の道を行くという決意の意味もあるでしょう。他人がどれだけ別の勲章を称えようとも、自らが誇れる一つの勲章があれば良い。そんな彼女の良い意味で自己中心的な歌詞です。そして敗れても、敗れても、敗れても。折れることなく挑み続ける。その挑戦する心は決して奪われない。誰も私の心を折ることはできないのだから。と締めています。
ところでキングヘイローはこの歌詞聞いたら怒ったりしないんですかね。彼女が「誰が敗者よ! まだ勝ちの途中なだけなの!」とか言っても不思議じゃないですけどね。

重ねた挫折さえ 愛し続けて
哀れみ嗤う声さえも チカラに変えてきたわ
証明するために

例え 出遅れても つまずこうとも
取り戻せないものはない
前に 進むことが ひとつだけの真実
私だけの権利

私がどうするかを 決められる理由は
誰よりも自分自身を 信じてるから
笑われ泥にまみれて それでも消せない
王(キング)の証(プライド)
Exercise the Right

敗北さえ、哀れみさえ、嘲笑さえ、自らの糧として。実力を証明するために努力を続ける。きっと他の黄金世代のメンバーが「私に相応しくない」とトレーナーの申し出を断ったり、偉ぶった態度をとったとしてもきっと嗤われないでしょう。もうその実力は証明済みだから。キングヘイローだからこそ意味を持ち、キングヘイローだからこそ響く歌詞です。
出遅れやつまずき程度で諦めるキングではありません。ただ勝利を目指して前へと進み続け、その末脚を爆発させればいいのです。
どんなレースに出るか、どんな自分であるか。キングヘイロー号は短距離・マイル路線に移行した1999年、はじめの2戦をG3とG2で様子を伺った後の6レース中5レースでG1に出走します。また、2000年も8レース中6レースがG1です。さらには短距離から長距離まで、全ての長さのレースで走っています(どの長さでも入着経験あり)。それほどまで無茶なレースの出方を決められるのは、そしてそんなことができるのは、彼女が彼女自身を信じているからです。
王の証。英語に直すとPride of KING。キングヘイローの固有スキルになります。これまでの歌詞も踏まえつつ、泥にまみれて発動する固有スキルは、まさに嘲りや泥では消せない王の証といえるでしょう。

挑み続ける ユメの先の景色へと
そう 走れ、走れ、走れ
私だけの道を
強く美しく

私は私らしく 道を駆けるから
誰かではなく私が 誇れる勲章(もの)を
過去も未来も全てを 心に刻んで
目指した栄光(ひかり)は
もう、誰にも譲れない
Exercise the Right

キングヘイローのユメに関しては解釈がいくつかありそうですが、個人的にはやはりG1だと思いますね。高松宮記念を勝利してもそこで引退ではなく、その先へ。
キングヘイロー号の祖父はHalo(ヘイロー)で、後光や栄光といった意味です。祖父のヘイロー号から、母のグッバイヘイロー号、そしてキングヘイロー号へ。キングヘイロー号の産駒で1番有名なのはローレルゲレイロ号かカワカミプリンセス号だと思いますが、こうして先祖(過去)も子孫(未来)も活躍しているわけですね。余談ですが、ウォーターナビレラ号やモカフラワー号には頑張ってほしいです。
ウマ娘の話に戻ります。ウマ娘のキングヘイローには子どもがいないので、未来とは未だ敗者である彼女自身の将来といえるでしょう。母親の活躍という過去も、(まだ報われない敗者だという現在も、)自身に待ち受ける未来も全てを受け入れてその上で栄光を目指すのです。母親とは異なる短距離・マイル路線で。誰に誇るためでもなく、自らが誇るために。結果はご存知の通り高松宮記念制覇。誰に譲ることもなく、彼女は栄光を掴み取ったのです。

冒頭でホーフェルドの話をしましたが、権利とは義務に比べて軽いものです。Noblesse Obligeではなく、Exercise the Rightなのです。行使しても、しなくてもいい。モノによっては放棄することすらできる。ですから、その権利を行使するためには行使するという意志が必要になります。だからこそ一層、生き様が響いてくるわけです。捨てようと思えばいつでも諦めて捨てられる権利を決して手放すことなく掴み続けた彼女の執念に、私は畏敬の念を感じずにはいられません(メジロアルダンと同様にこうしたところが彼女の大好きなところです)。他者に畏敬を覚えさせるその姿は、まさに王といえるのではないでしょうか。

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